人間の肉体というのは

私は着ぐるみだと思っている 


もし私が今、障害を持った体に入ったとする

 それはそれで 今まで出来たことが

できなくなるから 

どこか気持ちをリセットする必要がある 


そこをスタートにして いま自分にできること 

それをじっくり見つめる 必要があるだろう


 ONE PIECE の トンタッタ王国だろうか

 ドフラミンゴによって 様々な人達が

自分の本来の体ではなくて 

おもちゃの体になってしまう


そして自分の能力が それに見合ったものに

変わってしまう それをちょっと思い出す 


確かに姿は形は変わってしまっても

その中身は変わらない

その心はちゃんと、そこに存在していて

生きていて だから様々な想いをもって

 生きている


あのシリーズを見た時に

私は何度か涙を流した


 姿形はそうだったとしても

その中に入っているもの、その人の心という

ものは、やはり変わらず同じで

綺麗なものだということ


るろうに剣心の 志々雄真ではないけれど 

『お前は、俺の見てくれに惚れたのか?』

という彼の言葉が、私の心には残っている


 相手の見てくれを 重視しているのであれば 

その表面が、ちょっと変われば

 自分の気持ちは 軽く傾いてしまう

失われてしまうだろう 


自分の心が、相手のどの辺を見てるのか

どのぐらいの深いところを 見てるのかで

それが決まる 


だからこそ簡単に、障害者という言葉を

つける事ができてしまう 


本当に浅い表面のところしか 見ていないから

 その人が見てくれだったり

表面的な部分しか見えずに 終わってしまう


でもそれが、今の常識 、間違った常識 

だから私は それを壊したくなる 


その常識では いつまで経っても

皆が笑顔で幸せと言う 時代には到達しない


 だからそれは 100%正しくない 

まだまだ 若くて未熟だということ 


もっともっと 人の心は成長できる 

まだまだ 小学校の1年生や 2年生がいいところ


小学校2年生にも 達していない位の

まだまだ 幼い段階にいる

 それが今の日本の常識、 私はそう感じる