自分が仕事で苦しんでいた時に 犬だったり 

トンボ、虫 植物 そんな自分の周りの

生き物たちが 実に元気なのが目に入った


ちょっとうらやましいような 妬ましいような

 自分がかなり大変な日々を過ごしていたから

 少しでもたとえ、5分や3分でも誰かが手を貸してくれたらと思った


今思えば、自分が欲しいものが

その仕事の手助けというものに

限定されてしまっていた

だから私はその分、他の良いもの良い

エネルギーというものに、あまり気づけない

瞬間だったのではないだろうか


直接的に助けることができなかったとしても

誰かを応援するのだったり

間接的にプラスのエネルギーを

送ってくれるとか、

そういうことは可能だと思う


 彼らが私を励ますために、

何かしてくれていたのだとすれば

未熟な私は、それに物の見事に気がつくことができなかったというこちらは、になる


恋にしても人生の様々な場面にしても

ただただ自分の欲しいものに 執着してしまう


その強い思いが たったひとつのもの、

とても狭い部分に限定されてしまうと

それを本当に手に入れるのは、

実に難しくなってしまう 


第一希望がダメだったら

第2第3希望でもいいではないか 

それぐらいのゆるい気持ちだったり

広い心があったとしたら、

人生というのは、

随分違ってくるのではないだろうか 


100点を取らなければだめ

80点以上じゃないとだめ 

一番にならなければだめ 

その学校に入らなければだめ

就職しなくてはだめ 、


様々なものによって

自分の幸せだったり、喜びだったりを

とても限定してしまっている

のではないだろうか 


それが自分に、プラスになるのならば

いいけれど、 帰って自分を苦しめてしまう 

自分の幸せを、その種類を少なくしてしまう

減らしてしまうのであれば

 そのやり方は違うのかもしれない 


幸せな人生 、自分が喜ぶ姿、笑ってる姿

それを少しでも多く見る方が、

人は幸せなのではないか 

それが自分であったとしても

他の人、 他の存在だったとしても