相手の心を受け入れるということ 

相手の心を一人の人間として

ひとつの人生として

どこまで認めることができるのか

 尊敬することができるのか 

愛の心で包み込むことができるのか

 そこにかかっていると思う


ただ心なく相手と性行為をする 

ただするだけだったら 

心は問われない

相手のことを嫌いだったとしても 

何の感情がなかったとしても

その行為をすることはできてしまう


それによって 時間を潰す

それによってお金を稼ぐ

それによって自分のストレスを解消する

自分のトラウマを 一瞬だけ 癒すという

そういうこともできるだろう


しかし自分の心と比例した結果というものが

そこにはある


自分の心が その時どんな状態なのか

どんな想いでそれをしているのか

 当然 それに比例した結果というものが生まれるように、この世界はできている 


だからこそ 心の使い方

自分が心だということ

心の重要性について 私は話をしている


心の悩みにしても

こういった性行為にしても

私からすれば 枝葉なのである


 その根っこにあるもの

この世界の本質、我々の本質をいうものは

あくまで心であって

我々が人生で遭遇する様々な事柄

様々な人たち

そこから何かに気づいていく 学んでいく

そして心が成長していく

自分の100%の愛の心というものが

分かってきて、それが拡大していく


それが我々の人生の目的だということ

 その一部分として、心が病になってしまう 

性行為に走ってしまう

性行為が本当に深い愛の行為となるのか

それとも単なる 欲の行為になってしまうのか

ということ