何日か前に 自分が書いたメモ
私は何を思って 何を感じて これをメモしたのだろうか
少し酷かもしれないが、
と書かれていた
確かに自分が相手に傷つけられたのであれば 普通は相手を責めてしまう 自分を守りたくなってしまう
でも 客観的に見れば 簡単に相手が悪いと 言い切れない
確かにそれは少し酷なのかもしれない しかし それは確かに その人にとっては 大きな成長に繋がる
そんなふうに考えられるとしたら そんな角度から眺めることができるとしたら 確実にその人の心の幅は広がる 視野が広がる それは間違いない
ただ まだそれを苦しく感じるとしたら 相手を責める気持ちがあるとしたら 自分が傷ついて それが苦しいのだと 大きく感じるのだとしたら
まだこのやり方は その人には酷なのだと思う
人には成長の段階というのがあるから あえて自分のことを苦しめる必要はない
帰って自らストレスを与えてしまう苦しみを増やしてしまうのだとしたら それは逆効果になってしまう
ストレスも ちょうどいい量というのがあるから やはりそれが過ぎれば 害になってしまう
傷つきやすい人が もっと自分を大切にして欲しい人が 価値があるのに 自分に価値がないと思っている人が さらに自分のことを 自分で傷つけてしまう 低く評価してしまう 駄目だと思ってしまう それは見ていて悲しいものがある
本当はそうではないのに 悪い方に考えてしまう わざわざ自分に 低い点数をつけてしまう そしてさらに それによって苦しんでしまうとしたら それは 明らかに違う
その人は あなたは 笑顔なのが本来だから 作り笑いでもなく 愛想笑いでもなく 心から自然に浮かんでくる 柔らかくて優しくて 安心できるような 人の心を癒してしまうような そんな笑顔 人はちゃんと持っている あなたも間違いなく 絶対にもっている
もしまだ それが分からないのだとしたら きっとこれから 自分の素敵な笑顔に出会う時が来る
自分はこんなに 笑顔で笑えるのかと 感動するかもしれない まず自分が自分の笑顔に 心癒されるかもしれない
それはとても 幸せな体験だと思う
そしてそれはとても幸せな 実感だと思う
実感というのは大きい
自分にとっての確かな経験 間違いない経験だから それは何時でも好きな時に思い出せる 幸せの記憶
誰にも奪うことができない宝物として
体にあなたの心の中に 存在する
だから私は 自力でその実感をつかんでほしい
だから基本的に 写真は載せない 全部は 書かないし教えない
そこを実感してほしいから それに必要な階段を 自らの力で登ってほしいから
大きな実感は必要ない ほんの小さな実感で
もう十分だということ
その小さな実感だけで もうあなたは 確かなものを手に入れる ちゃんと自分でそれが何なのか どういうことなのかが分かって だから人にも説明することができる もうちゃんと自分のものになっている 自分の一部になっているということ
一度掴んだその感覚は もう失うことがない
だからまた成長の階段を上っていく すると今度は まるでレベル2のように 次の実感を 最初の時よりも 強くはっきりと そして新しく 感じ取る
レベル1の時よりも さらに何かを掴んでいる さらに一歩 高い段階に入る 今の自分を 最初の時と違った感覚で 眺めることができる感じることができる
私がこうして文字だけで書いてある 写真は使わない 変なイメージを生んでしまう 自分の心で感じて 自分の心で見て そして実感して それにとって邪魔になるから だから省いている
なぜこのブログが めくるめく感覚の世界なのか 心で感じとって 心で見て 心でつかむということ
階段をレベル1レベル2レベル3と 登って行けば行くほど 私の言ってる意味がわかってくる 私が何をやりたいのかが きっと分かってくる
心とは何なのか 人生とは本当のところになんなのか バラバラに見えていたものが繋がっていく 常識が本当のところ何なのか 目に見えるものが何なのか 心で感じとる世界というものが 本当は何なのか それらがすべて 繋がっていく それらがすべて 観えてくる