こんばんは!
935でぃす!
先程、NHKさんで
「聲の形」を放映していたので、
視ました。
「私が居なければ、元の世界を壊さずに済んだのに…」
この詞が一番、グサッと刺さりました。
過去、何度も何度も繰り返し自分が出した言葉。
そして…今も…。
私は、周りの人々の「世界」(ぬるま湯の世界)に足を踏み入れる事を
しないように…
って、生きてきました。
だから、一人だけでも「少しだけでも理解してくれる人が居れば…それでイイ!」
(今のところ、両親が最大の理解者ですね…)
そう思って…ずっと生きてきていました。
勿論、私は周りを理解しようと、ずっと歩み寄っていたわけです…。
だけれど…相手から逃げたり…
逆に…私の不可侵のところに土足で踏み込んできたり…。
でも、何をやっても…
「…いつも独りになってしまう…」
と言うのは…もう、変えようの無い事実なのでしょうね。
幼い頃から、今思えば…
「ずっと、周囲に受け入れられない「私」自身が一番嫌いでした」
【何もしていないのに、いじめられる辛さ】
これが理解できず…。
心理学を学び、人それぞれの事情で、こじれてしまう事…
これが理解できてからは、
人に対する「恐怖」は薄れていきました。
ですが…男性への恐怖は抜けないのですね(-_-;)
それだけ、怖い想いを沢山してきたのですから、仕方ないでしょう。
自殺未遂も何度か経験しています…。
本当に、必要とされていないのなら…
「誰も助ける事は無いだろう」
と…。
でも、私は、沢山の人に命を救われました。
交通事故にあった時も、沢山の人に助けられましたし…(思えばあの時、クンダリーニ覚醒がありました)
何より両親から「幾度となく命を救われました」
過去には「死んでしまっても仕方ない」と思われていた時期もありましたが…
私が交通事故にあい、両親の視方が一変したように思っています。
「当たり前のようにある娘の命…こんなにも脆いのか!?」
と、思ったの…かも、知れません。
しかも、私が命を絶とうと思う時は…
「誰かにとっての世界を壊さないように…」
「誰かが私のために不幸にならないように…」
そのために命を投げる行為を…。
最近でも、突発的に起こる「希死念慮」は…
同じ感覚が引き起こされる時です…。
特に、何かを残す事が出来ないワタシには…
「せめて、私が居ない世界で…幸せになってください…」
そう願う事しか出来ないのですから。
私にとっての幸せと…相手にとっての幸せでは、
形が違う事も往々にありますからね…。
それでも…
【私は…アナタ(達)に逢えて、幸せでした!】
【有難う…ごめんなさい】
それだけは…きちんと言っておきたいです…。
聲の形を視て、
なんども共感して、号泣して…。
あのアニメのように、ハッピーで終わったことが一度も無い私には…
途方もない世界でした…。
羨ましくもあり…ほほえましくもあり…。
現実として、沢山の人の間にも、こんな世界が待ち受けていますように…。
そう願って…居ます…。
愛する…全ての人へ…。
幸せになってくださいね!
…遺書みたいになっているけれど…
沈んでいるだけです…きっと…多分…。
【追伸】
動画2本目をアップしました!