僕は仏教徒の(というより寺に生まれ寺で育った)人間だから天国って言うより浄土って言葉の方が馴染みがある。
とりあえず、宗教を今勉強してるから、キリスト教っていうものも学ぶ機会がある。
だからこそ、よく使われる天国って言葉は疑問を持つ。
明らかに天国って言うものの考え方が都合のいいものにしかなってないと思う。
これはテレビとかでよくあることだけど、確実に天国という言葉を死んだ後すべての人が必ず行く世界という言い方しかしない。
自分たちが死んだ後どんな世界に行く。どれだけの人がそのことを真剣に考えて自らの信仰または宗教への感心を深めてるのかもわからない。
むしろ今、宗教の存在を必要としない人が増えてるからこそ一旦宗教のことを考え直す必要があるのではないか。
たしかに仏教をひいき目に見てるところはあるけれど、テレビでいたずらに天国って言葉を使うのは本当に好きではない。
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今日も堕落しきった生活。
でも、ふと気づく。
大学に入ってからとっても忙しかった。あり得ないくらい部活があって、やめてやろうかとも思ってた。でも今となってはなんていい日々だったんだろう。
いい先輩、いい同期に会えたんだな。
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でも、ふと気づく。
大学に入ってからとっても忙しかった。あり得ないくらい部活があって、やめてやろうかとも思ってた。でも今となってはなんていい日々だったんだろう。
いい先輩、いい同期に会えたんだな。
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昨日あげわすれてた
自分の中を何かで埋めたくなって走った。
琵琶湖疎水のそばを走った。
いくつも架かっている橋のひとつの欄干に腰掛けて川を眺めた。
その川の水は、ずっと琵琶湖から流れて自分の住んでいるところを通り、またその先へと流れていく。
人も、また同じことだろう。
常に流れがある。自分の前にあるのはこの前までの水じゃない。
だったら先の水もまた、
自分の求めるものかもしれない。
もう、自分のみてたものは先に進んでしまっている。
だったら、自分も先にいかなければいけない。
形は常に変わる。
自分も変わる必要がある。
ただ、永遠に人を愛することだけは変わりたくない。
その人を想い、寝れない夜を忘れたくない。
結果はどうあれ、次に自分が愛する者と一緒に、その橋の上で出会いたい。
自分の中を何かで埋めたくなって走った。
琵琶湖疎水のそばを走った。
いくつも架かっている橋のひとつの欄干に腰掛けて川を眺めた。
その川の水は、ずっと琵琶湖から流れて自分の住んでいるところを通り、またその先へと流れていく。
人も、また同じことだろう。
常に流れがある。自分の前にあるのはこの前までの水じゃない。
だったら先の水もまた、
自分の求めるものかもしれない。
もう、自分のみてたものは先に進んでしまっている。
だったら、自分も先にいかなければいけない。
形は常に変わる。
自分も変わる必要がある。
ただ、永遠に人を愛することだけは変わりたくない。
その人を想い、寝れない夜を忘れたくない。
結果はどうあれ、次に自分が愛する者と一緒に、その橋の上で出会いたい。
