□普通の人の30倍努力して、やっと「普通」になれる。

*努力したい、しなければ、という焦燥

大学時代、始めて発達障害の診断を受けた際に、障害者だと周囲に思われたくない、といった相談をさせていただきました。

その際に担当医の方に言われたことが、「普通の人の30倍努力して、やっと普通になれる」という言葉でした。

 

薬物治療を行うと、催眠効果や倦怠感などの副作用で、社用車を頻繁に運転する私にはリスクが高すぎる。カウンセリング治療は、当時大学生で現在社会人一年目である私には金銭的に無理のある話でした。

何も外部的なフォローアップを行わず、自分自身の努力のみで健常者同様のパフォーマンスを発揮するには、最低限、普通の人の30倍努力をする心づもりがないと難しいとのことでした。

 

*努力したい、したい、しなきゃ。……何もしたくない。

「普通」の人として取り繕いたい。だから、努力しようと思う。しかし、努力しなければならない局面、つまるところ、焦っているときほど、無気力になってしまう。それはなぜか。

 

ADHDを持っている人は、神経伝達物質の一つである「ドーパミン」の分泌量が少ないと言われています。

ドーパミンは、快感幸福感意欲(やる気)を感じさせるために必要な脳内ホルモン(神経伝達物質)であると言われており、不足すると前述のような感情を感じにくくなり、鬱のような状態になるのだとか。

加えて、ストレスを感じると、ドーパミンの分泌を阻害する「コルチゾル」というホルモンが分泌され、更にドーパミンの分泌量が少なくなってしまう。

 

普通の人以上に努力が必要であるにもかかわらず、「ここぞ!」という努力しなければならない局面で、無気力になってしまう。

「何で自分は頑張ることすらできないのだろう」とまた、ストレスを感じて、そしてもっと無気力になるという負のスパイラルから抜け出せなくなります。

 

*人は言う。「そんな都合がいい病気があってたまるか!」

ですよね~!って感じです。私も他人事だったらそう思います。

「頑張んなきゃいけないときほど、やる気起きないんすよね~」って、何甘っちょろいこと言ってんだ!って話です。だからこそ、この病気のことを言い出せないというところもあります。

 

昨今、うつ病など心の病が取沙汰されることも多くなり、心の病を理由に会社を休む権利が与えられるようになってきましたね。

社会人になって一年、様々なお話を、社内外で耳にしてきました。同期・先輩社員にもうつ病で休業を取る方もいました。それに対する他社員の評価の大多数は「うつは甘え」「甘やかされて生きてきたんだろ」といったものでした。言い回しはオブラートに包んだものも多いですが。

あぁ、そういう評価なんだなと。つらいと、言うことすら甘えなのだと。

理解できてしまって。それがまた、自分の首を絞めていく。

 

*依存させてくれる何かを見つけること

ADHDの特徴の一つとして、依存体質なところがあります。

ADHDの人は、何か一つのことに熱中しがちな性質から、ということもありますが、注意欠陥による失敗・それに伴う上司その他の人からの叱責・自己嫌悪からストレスを感じがちです。

そのストレスの捌け口、心の自己治癒のために何かに依存する道を選択することが多いとされています。

 

この点に関しては、様々な意見があると思うのですが、私は依存先を見つけるべきだと思っています。

依存先がある間は、少しばかり常時付き纏う焦燥感から解放されるように感じます。

ただし、大事なのは、依存先の選別

私が今依存しているのは、「アルコール」です。どう考えてもダメなパターン。

車を運転することが少なくない仕事なので、平日は飲みません。ただ、飲みたい欲求は溜まる。そして金曜夜、土曜夜と浴びるようにお酒を飲みます。

この飲酒によってメンタルを保っていると言っても過言ではありません。

 

後は、兄弟に相談に乗ってもらったり、二次元に飛び込んでみたりとしていますが、兄弟には兄弟の生活があり、愚痴ばかり聞かせるのは申し訳ないと思ってしまうとネガティブモードに。二次元に飛んでる最中も、仕事のことが頭をちらついてしまい、結局集中できず、焦燥モードに。

単純に頭の中をハッピーにさせることができるのが、今ある手札だと、お酒だった。

現在彼氏無しですが、恋人がいるとまた違うのかもしれませんね。大学受験期は、当時の恋人にものすごく依存していた自覚があります。

危なくない依存先を今必死で探している最中です。

 

*正論や理想論が聞きたいんじゃない。ただ肯定してほしい。

こちとら大人ですから。今あることに対して何をすることが正しいのか、どうあるのが理想かなんて、ある程度理解しています。そりゃそうです。馬鹿って言ってもさすがに20歳越えてますから。

だから、「そんなこと言わないで頑張って」とか「○○を△△すればいいんじゃないかな」なんて、激励してほしいわけでも、解決策を提示してほしいわけでも、ましてや怒られたいわけなんかないんです。

 

ただ、「そうなんだね、頑張ったね」と、「分かるよ、つらかったね」と、受容してほしいだけなんです。

最近つらすぎて、両親に相談してみましたが、余計につらくなっただけでした。

母曰く、「もっと頑張れる、頑張れ」と。

父曰く、「お前の頑張りが足りない。人として最低だ」と。

父親には、障害のことを打ち明けていないということもありますが、もうつらすぎた。

ほとんど親離れしている状態であっても、やはり腐っても親の言葉というのは響くものです。

 

つらい時に、ただ受け止めてくれる相手を見つけるということが、この障害と付き合うカギになるのかもしれないと思う今日この頃です。