前回までのお話
凪が講師をしている教室に、生徒として通っていた、医師のヒラメさん。1年して凪が辞めた後すぐに、ヒラメさんも教室を辞めていた。
その後、凪の自宅で習いごとを続けることになったヒラメさんに、難病が発覚。
その後、不思議な現象と共に、ヒラメさんに片思いをしてしまった凪。やがて気持ちが通い合うように。
夫『コハダ』による、モラハラの呪縛からヒラメさんが解放してくれて、以来、褒め合い、励まし合う関係となる。
ヒラメさんにも、凪にも、試練が次々襲いかかり、短期間のサイレントを繰り返すが、お互いに与え合う関係の中には、楽しいことも沢山ありました。
けれど、ヒラメさんとのお別れは、着実に忍び寄っていました…。
ヒラメさんの病状を何とか食い止めようと、ヒラメさんご本人も、凪もあがき続けましたが、容赦なく難病は進行していく…。
二人で過ごす時間にも、その対策が必要になってきました。
転びやすくなったヒラメさんは、仕事帰りに怪我をすることも。凪は、可能な限り、1時間弱ほどかかるヒラメさんの職場まで、お迎えに行くようになりました。
いつも、どこかでごはんを食べて帰るのですが、ヒラメさんはお箸やスプーンを上手く握ることが出来なくなり、こぼしてしまいます。
そこで、黒のプラ板で、テーブルのお皿を載せられて、ヒラメさんの体とテーブルの隙間を作らない、折りたためる道具を作ったりもしました。介護用エプロンでは恥ずかしいようでしたが、これなら目立ちませんでした
歩く時は、ヒラメさんの肘を支えながら、転ばないように歩きました。荷物も持ちました。
それでも、凪にとってはヒラメさんと一緒にいられる幸せな時間だったし、ヒラメさんもそれが癒しの時間になっていると言ってくれていました。
ヒラメさんは、度々幻覚を見るようになりました。悪夢だったかも知れません。寝ていても、すぐに中途覚醒してしまい、恐ろしいものを見る。ヒラメさんは医師なので、それが幻覚や悪夢だと自覚していました。それでもやはり、怖いものは怖いし、ほとんど眠れないのはとてつもなく辛い。
LINEの内容は、ヒラメさんの辛さが書かれるばかりになりました。凪はいつもそれを聞いたり、励ましたりする役で、自分のことは書かなくなりました。自由に動けて、仕事が出来て、うらやましいと思われたくなかったからです。
ヒラメさんにとって、切っても切れない、医師という仕事。それを、周りの先生たちよりも早く、病気のために、辞めなければならない苦悩。
高度な手技により、とんでもない数の患者さんを助けてきました。良く「医者は職人だ」と仰っていましたが、科にもよるのでしょうけど、ヒラメさんの場合は、本当に職人そのものでした。
その手技がまず出来なくなり、普通の内科医に戻りました。そして、出勤日数を減らすため、長年ヒラメさんを信頼し、通い続けていた患者さんを、次々に他の先生に引き継ぎました。
内科での仕事とは別に、健康診断や人間ドックの仕事もするようになり、画像診断の勉強を始めましたが、最近の医学誌にはQRコードがついていて、ネットで動画を見られるようになっていたりします。
様々なサイトで、パスワードなどを登録しないといけないので、凪が代わりに設定して、メモを取ってまとめて渡したりもしました。
ヒラメさんはパソコンなども得意だったのですが、この頃には、短期記憶が弱くなっていたのと、上手く指が動かず、スマホの操作も思うように出来なくなっていたのです。
短期記憶…。ヒラメさんは、ご自身の認知症状が進んでいると自覚されていましたが、凪はそう思いたくなくて…。
だけど、会話の中で、感謝などは伝えられるものの、恋愛感情については、この頃にはもうなかったようです。
というより、凪を好きでいてくれた感情の記憶が、すっぽり消えていることに気づいたんです。
これは、流石にショックでした…。
でも、凪はまだヒラメさんが好きでした。だから、これまでと何も態度を変えずに接し続けました。
つづく