さて、さてさてさて。
私は西尾維新さんという作家さんをこの上なく尊敬しているわけなのですが、
今回感想を述べさせていただく
「きみとぼくが壊した世界」という小説も、
西尾維新さんが書かれた小説の一つです。
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こいつは世界シリーズというシリーズの三作目なのですが、
別にこの本から世界シリーズを読み始めてもぜんぜん大丈夫であろう親切な感じの一冊でした。
ちょっと設定が複雑…というか。
なんというか、。
あまりにも面白かったので興奮冷めやらぬまま現在小学6年生の妹に貸したら、
難しくて無理といわれて若干ショックでしたが、
確かに常に頭を働かせながら読まないとちょっとわけがわからなくなってくるような気がします。
「読み終えると必ず死ぬ小説」の調査の依頼を受けた病院坂黒猫は、ただ一人の友人・櫃内様刻とともにロンドンへ向かった。そこで2人は、次々に起こる奇妙な殺人事件に巻き込まれていく。
というのがこの小説のあらすじです。
といっても、私はこの本を読み終えてからこのあらすじに若干裏切られた気分になったりもしました。
この小説、内容の推理、トリックもそれ単体がとてもしっかりしていて、
少し拍子抜け感はあるものの、その推理を中心に1冊推理小説がかけそう…な感じのトリックたちが、
散りばめられていました。
しかし、それらよりも特筆すべきであろう、この小説ならではの素晴らしい表現方法…
というのを紹介します。
まず、この小説には…【作中作】というものが出てくるのです。
つまり、小説の中の登場人物が書いた小説です。
何の違和感もなく小説を読んでいたのに
「今までの会話や事件はすべて登場人物によって書かれていた小説だ」
という事実が明らかになっちゃうというか…。
私たちは小説(文字)という媒体を元にしてでしか物語をえることができないのですから、
今まで「物語の中での現実」だとおもっていたのは、
「物語の中で書かれた物語」で…と、非常に紛らわしい。
作中作でもちゃんと登場人物の心境だとかは普通に描かれているし、
とりあえず流れに従って読んでいくしかどれが物語なのかを見極めるすべはない。
(ていうか結局全部が作中作だったんですけど…)
話はそれるのですが、
「現実だと思っていたら小説だった」(現実だと思っていたのは読者だけなのですが)
この表現の仕方から私が思い出したのは、
「名探偵夢水清志郎事件ノート」という小説のシリーズの一つ、
「機巧館のかぞえ唄」という本です。
この本自体は子供向けといった感じでミステリー!という感じよりは、読みやすさを優先した感じだと思います。
私も小学校の頃に初めて読んだのですが、
シリーズの中では一番好きな一冊だったりします。
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この小説のオチ(というかなんというか…?)は、
「現実だと思っていたら夢だった」(もちろん現実だと思っていたのは読者のみ)です。(たしか
完全なるうろ覚えで申し訳ないのですが、
「夢から覚めたと思ったら夢だった」
「あなたは自分がだれかの夢の登場人物でないと自信を持って言えるのか…?」
とかそんな感じの内容があったような、気が…たぶんします。
文字をなぞることでしか物語を読むことのできない私たちには、
こうして作中作、作中夢を現実と見分ける手はそうそうないと思います。
というわけで、
この本を読むときには、一回このブログで読んだことは忘れて、
思いっきり騙されて、そんでもってラストに
「やられたー!」
と叫んでしまいましょう。
以上です。