http://t2.pia.jp/interview/sp/samuragochi.jsp


現在の日本クラシック音楽界で最も旬なアーティストのひとり、佐村河内守(さむらごうち・まもる)。広島の原爆被爆2世として生まれ、35歳のときに一切の聴覚を失った全聾の作曲家だ。耳鳴りなどの重い発作と闘いながら作曲を続けるその活動は、「現代のベートーヴェン」として様々なメディアで紹介されている。

大きな注目を集めるきっかけとなったのが交響曲第1番《HIROSHIMA》。東日本大震災直後の2011年4月に録音されたこの作品のCDは、売り上げが17万枚以上(*2013年7月時点)という、クラシックCDとしては異例の大ヒットを記録している。そんな時代の寵児としての人気と注目を本人はどのように感じているのだろうか。そして、今秋にCDがリリースされる予定の最新作、ピアノ・ソナタ第2番に込めた思いとは。これまでの軌跡と素顔に迫った。

内側から湧き出てくる音こそ、自分にとって“真実の音”

――交響曲第1番《HIROSHIMA》は、CDの売り上げが17万枚超、コンサートでも2人の指揮者と10のオーケストラによる全国ツアーが行われるという記録的大ヒットですね。そうした反響をどのように捉えていらっしゃいますか。


僕は普段テレビを観ないし、机と椅子と五線紙しかない作曲部屋にこもっているので、実感がまったくありませんでした。でも先日より、《HIROSHIMA》の全国ツアーで会場に何度か足を運び、終演後のお客様たちの大変な熱狂に接することができて。公演を重ねるごとに、スタンディングオベーションと拍手の数がどんどん増えていくように感じる中で、ようやく実感が湧いてきたところです。

自分で作った作品を聴けないことは本当に悲しいし、苦しいし、情けない。皆さんの拍手や感動してくれている様子を見る中で、そうした葛藤が少しずつ和らいでいきました。

佐村河内守

――2003年に作曲され、2008年9月11日に初演(広島にて第1・第2楽章のみ)。東日本大震災の1か月後にセッション録音された《HIROSHIMA》が生まれるまでの経緯を教えてください。


子供の頃から交響曲作曲家への憧れが強かったですね。17歳の頃から実際に交響曲の作曲に着手し始め、12曲の交響曲を作りました。でも35歳の時、ちょうどゲーム《鬼武者》の音楽に着手する直前に完全に聴覚を失ってしまい、以来、内側から湧き出てくる音しか見出せなくなりました。日常においても大きな耳鳴りや発作などに苦しむ、地獄のような日々です。

でも、そんな苦しみの中で作曲を続けるうちに、岩の隙間を伝い降りてくるようなその音こそが自分にとっての真実の音だと思うようになりました。逆に過去に書いた作品は、いずれも何かしら作為臭く感じるようになって。それで以前の12曲はすべて破棄する決断をし、再び第1番から出直すことにしたのです。そうして生まれたのが《HIROSHIMA》です。

一筋の希望の光でありたい――そんな思いで書いた《HIROSHIMA》

――《HIROSHIMA》というタイトルにはどのような思いが込められているのですか。



音楽にタイトルを付けるとイメージがひとり歩きしてしまうので、命名にあたっては半年ほど悩みました。でも、僕はやっぱり広島出身の被爆2世で、その血を受け継いでいる。そして、原爆を経験した父母や、原爆で亡くなった方々のことを思った時、自らの使命感と存在意義を広い世界に向けて語りたいと思って《HIROSHIMA》と名付けたのです。

作品内容に関しても、タイトルの話と同様にイメージが膨らまないよう、あれこれ解説するつもりはありませんが、作曲の根本原理には一貫したものがあります。それは「小さな光は、暗い闇の中にいるからこそ尊く感じられる」ということ。《HIROSHIMA》も最初は闇から始まりますが、最後はやはり一筋の希望の光でありたいという思いで書きました。実際、音符の連なりもそうなっていると思います。


――初演と録音を手がけられた指揮者の大友直人さん(演奏は東京交響楽団)とはどのようなお話をされましたか。



自分の作品は、お腹を痛めて生んだ子供のような存在ですが、可愛い子供には旅をさせたいのです。そうすることで、いい先生(指揮者)やいい友達(演奏家)と沢山出会って欲しいなと。だから、リハーサルにも立ち会わないし、大友先生には「楽譜に書いてある通りに演奏してください」とだけお伝えしました。その願いを完璧に実現してくださったことに心から感謝しています。そもそも、自分が生きているうちに初演されるなんて思いもしなかったし、いつか誰かがこの楽譜を拾って、演奏してくれたらいいなという気持ちで書いた作品でしたから。

CDが被災地・仙台で一番売れていると知ったとき、素直に涙が出た

――作曲家を志されたきっかけを教えてください。


ピアノ教師だった母に4歳からピアノの英才教育を受けました。10歳でベートーヴェンやバッハを弾けるようになると、彼女から「もう教えることはない」と告げられ、それ以降は作曲家を志すようになりました。中高生時代は楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。高校卒業後は、現代音楽の作曲技法になじめず、音楽大学には進みませんでした。17歳頃から原因不明の偏頭痛や聴覚障害に苦しんでいたのですが、そんな中で、映画《秋桜》、ゲーム《バイオハザード》などの音楽を手がけました。そして、先ほどもお話したように、35歳の時にゲーム《鬼武者》の音楽に着手する直前に聴覚を失い、現在に至るというわけです。


――佐村河内さんの名前が、広く知られるきっかけになったのが、昨年末放送のNHK総合「情報LIVEただイマ!」や「あさイチ」、そして今年3月に放送されたNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」でしたね。東日本大震災の被災者へのレクイエムの制作現場に密着した感動的なドキュメンタリーでした。


これも先ほど申し上げましたが、僕はほとんどテレビを観ないし、テレビに映っている自分の姿を観るのが本当に苦手なのです。でも、唯一観たのがNHKスペシャル。あそこには真実しかありませんでした。

震災の後、様々な方々が被災地を励まそうと行動されましたが、私は勇気がなくて、何もできませんでした。その後、私の交響曲が、被災地で「希望のシンフォニー」と呼ばれていると知った時も、最初は、何かの作り話だろうと信じられなかった。でも、《HIROSHIMA》のCDが一番売れているのが、東京でもなく、広島でもなく、被災地の仙台だと知った時、素直に涙が出てきて、作曲を決意したのです。

震災を体験したわけでもない自分に納得できるレクイエムが作れるのかと、確かに葛藤はありました。そこで被災地を訪ね、被災者の皆さんとの交流を深めることにしたのです。宮城県女川町の仮設住宅の中にある売店を訪れた際、テレビ番組などで私のことを知ってくれた人たちが次々といらして、サインを頼まれた時は、本当に涙が止まりませんでしたね。そんな格闘の日々を、スタッフは丹念に記録し、静かに見守ってくださいました。

始まりはある少女のために捧げた《レクイエム》

――ピアノ・ソナタ第2番は、先日、東京で完成発表会が行われたばかりですね。演奏に約30分もかかる大作で、今回はその一部が披露されたわけですが、祈りと悲哀にあふれた壮大な音楽でした。


僕は、震災で母親を失った石巻の少女と交流を続けていて、彼女のために《レクイエム》を作曲しました。それをさらに拡大し、昇華させたのがピアノ・ソナタ第2番です。作曲のインスピレーションになったのは、犠牲者の痛みを少しでも知りたいと思い、今年2月に極寒の女川町で6時間の野営したこと。疲れ果てて明け方を迎えた時、大きな鉄の扉が開いたように感じました。「震災から2年も経って、僕みたいな人間が鎮魂のための音楽を書いてよいものだろうか」とずっと悩んでいたのですが、犠牲者の魂に「書いていいよ」と許していただけたような気がしたのです。それから一気に音符が降りてくるようになりました。 レクイエムは生者が死者を悼むのが一般的ですが、この作品は逆。犠牲者の方々には、ぶつけようのない怒りや苦しみがあったと思います。その思いを生きている皆さんに知っていただくことで魂が救われる作品を書きたかったのです。


――このピアノ・ソナタ第2番の初演を務めたのが、2011年のチャイコフスキー国際コンクールで第2位に入賞した韓国の若手実力派、ソン・ヨルムさん。CDも10月に発売予定ですが、作品は彼女に献呈されたんですよね。


佐村河内守

この作品には人間のあらゆる感情が詰まっています。超絶技巧の持ち主というだけでなく、人間的にもピュアで優しいヨルムだからこそ演奏できるし、彼女が演奏してくれることによって、作品の真価が発揮できる。だから、彼女への感謝の意味も込めて献呈したのです。ヨルムと僕の出会いは必然だったと思うほど、音楽性に共通したものがありますね。第2番の前に作曲したピアノ・ソナタ第1番は、やや難解であまり一般受けしなさそうな作品なのですが、彼女はとても気に入ってくれて。レコード会社のスタッフの評判もいいとは言えなかっただけに、とても嬉しかったです。

あと、ヨルムがもうひとつ素晴らしいと思うのがレパートリーですね。最近は変わったものや難しいものを弾きたがる若手が多いですが、彼女はソロの得意曲にベートーヴェンの「月光」「悲愴」「熱情」という3つの傑作ソナタを挙げているのです。誰もが演奏する名曲だからこそ、個性を発揮するのが難しい。それを堂々と好きだと言える彼女の生き方にとても感激しました。

ベートーヴェンはずっと心の師で、雲の上のような存在

――ご自身が広島出身の被爆2世ということで、今回の震災で発生した津波や福島の事故に特別な思いがあると伺いました。


以前は、核兵器の放射能にばかり注目が集まり、原発の危険性を論じる人が少ないという状況でした。私が子供の頃は、8月6日には原爆のことが大きく取り上げられていましたが、それも年々少なくなり、風化していく危機感をずっと感じています。だから、今回の震災も風化させてはいけないという思いが強くあります。今年9月から来年4月にかけて、「ピアノ・ソナタ第1番&第2番/世界初演全国ツアー」を行うことになっているので、そのための一助になることを願ってやみません。


──最後に、佐村河内さんが「現代のベートーヴェン」と称えられることに、どのような印象をお持ちか教えてください。


僕にとってベートーヴェンはずっと心の師で、雲の上のような存在であり続けています。6歳の頃に、彼の交響曲第6番《田園》を初めて聴いた時の感動は今でも忘れられません。子供だった僕は、ジャケットに写っていたオーケストラの団員を見て、この凄い交響曲は彼らが全員で協力して作ったんだと勘違いしたほどでした。まさかひとりの人間が作ったとは思えなかったんですね。

後に、作曲家という職業があって、ベートーヴェンがたったひとりでこの傑作を書いたと知った時、自分もいつかそういう人になりたいと強く思うようになりました。ですから、そんな神様のような存在と比べられるなんて本当に畏れ多いし、何よりベートーヴェンに申しわけないと思っています。ただ、作曲技法に関しては近いものを感じることがあります。それは、骨の髄までしゃぶり尽くそうとするような主題労作。自分の作品ができ上がって、全体を見渡すたびによく思うのです。「ああ、この“くどさ”と”しつこさ“はベートーヴェンだな、と」。

取材・文:渡辺謙太郎(音楽ジャーナリスト)

佐村河内守(作曲家)
Mamoru Samuragoch (composer)

1963年9月21日-


被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母親から告げられ、以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ。
1988年、ロック歌手として誘いを受けたが、弟の不慮の事故死を理由に辞退。聴力の低下を隠しながらの困難な生活が続く中、映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」で脚光を浴びるが、この作品に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となっていた。抑鬱神経症、不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続ける。 2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始。同年から障害児のための施設にてボランティアでピアノを教える。この施設の女児の一人は、交響曲第1番の作曲にあたり佐村河内に霊感を与え、この作品の被献呈者となった。2003年秋、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を完成。同曲は、2011年、日本コロムビアよりCDリリースされ、センセーショナルな反響を呼んだ。2012年1月に佐村河内守作品集、第2弾として「シャコンヌ~佐村河内守弦楽作品集」をリリース。同年11~12月にかけて、交響曲《HIROSHIMA》をめぐる特集がNHK総合の「情報LIVE ただイマ!」「あさイチ」で放映。さらに13年3月31日にはNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家」でその壮絶な生をめぐるドキュメントが大反響となり、その後も多くのメディアで取り上げられている。また、フィギュアスケートの高橋大輔選手が今シーズンの曲に佐村河内守作曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」でソチ五輪を目指すこともあり、今後佐村河内の音楽が世界に飛躍していくことは間違いないだろう。

オリコン総合チャート3位、AmazonとiTunesストアの総合チャート1位を獲得するなど 13年6月現在で出荷枚数が17万枚を突破するなどクラシックでは異例の注目を集めている。



コンサートスケジュール

◆佐村河内守 作曲 交響曲第1番≪HIROSHIMA≫全国ツアー

【2013年】
9/16(月・祝) 熊本県立劇場 コンサートホール
10/26(土) サントリーホール 大ホール
11/24(日) 神戸国際会館 こくさいホール
12/1(日) 横浜みなとみらいホール 大ホール
12/14(土) 東京芸術劇場 コンサートホール
12/19(木) 京都コンサートホール 大ホール
12/28(土) 広島文化学園HBGホール(広島市文化交流会館)

【2014年】

2/2(日) 岡山シンフォニーホール 大ホール
2/23(日) 長崎ブリックホール 大ホール
3/22(土) アクロス福岡シンフォニーホール
4/6(日) 愛知県芸術劇場 コンサートホール
4/11(金) 東京エレクトロンホール宮城 大ホール
4/13(日) 群馬音楽センター
4/16(水) 札幌コンサートホール Kitara 大ホール
4/25(金) 静岡市民文化会館 大ホール
4/27(日) サントリーホール 大ホール
5/10(土) 所沢市民文化センター ミューズ アークホール

◆佐村河内守 作曲 ピアノ・ソナタ第1番&第2番 世界初演ツアー

【2013年】

9/16(月・祝) 横浜みなとみらいホール 大ホール
10/13(日) 東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル
10/26(土) 愛知県芸術劇場 コンサートホール

【2014年】

4/13(日) いずみホール


 

◆佐村河内守 弦楽四重奏曲/シャコンヌ

10/25(金) 浜離宮朝日ホール





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