http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120829-OYT8T00115.htm?from=popin


「もっと手を大きく使って」。「関西大学アイスアリーナ」(高槻市霊仙寺町)の隅で、選手の滑りに目を凝らしていた本田武史コーチ(31)が声を掛けた。その傍らでは、田村岳斗(やまと)コーチ(33)が転倒した教え子に近づき、「練習から全力で高く跳ばないと、試合では跳べない」と注意する。


 東北出身の二人は、ジュニアの頃から仙台市で練習し、長久保裕コーチに師事。1998年長野五輪の男子シングルにともに出場した。その後、カナダに拠点を移し、2002年ソルトレークシティー五輪で4位、2度の世界選手権銅メダルを得た本田コーチ。東京の大学に進み、全日本選手権で優勝した田村コーチ。二人とも関西にはなじみがなかったが、今は関大リンクでコーチを務め、高槻市で暮らす。


 本田コーチは選手を引退した後、カナダでコーチ学を勉強。高橋大輔選手(26)らを教える長光歌子コーチ(61)から「一緒に指導してほしい」と誘われ、06年夏、完成したばかりの関大リンクに移った。


 週6日氷に乗り、約20人に手ほどきをする。ジャンプ前の助走カーブの軌道、踏み切るタイミングは選手によって違う。かつて一つのプログラムで3度の4回転を成功させた名ジャンパーは、教え子の特徴に合わせて自分でも跳んでみる。「わずかな変化が成否を左右する。それぞれの最適な跳び方を探したい」


 高橋選手のジャンプコーチも務め、4月の世界国別対抗戦(東京)では長光コーチの代役で初めてリンクサイドで試合を見守った。「試合日の朝の練習でも4回転が決まらない状態だった」が、二人で話し合いながら修正。リンクに送り出した高橋選手はショート、フリーとも4回転を成功させ、自己最高得点をマークした。


 「大輔を失敗させるわけにはいかないと思うと重圧を感じたが、何とか冷静に対応できた」。指導者としての経験を重ねている。


 田村コーチは05年春、好選手を輩出する浜田美栄コーチ(52)に指導技術を学ぼうと、アシスタントを志願。当初活動していた京都醍醐スポーツクラブの閉鎖後、07年、浜田コーチとともに関大リンクへ。18年に韓国・平昌(ピョンチャン)で開かれる五輪のホープとされる宮原知子選手(14)ら約30人を教える。


 選手時代、日本選手で初めて公式の国際試合で4回転―3回転―2回転の連続ジャンプを決めた。難しい技に挑んだのは「決めればかっこいいから」。「スケートは楽しく、笑顔で」のモットーは今も変わらない。練習で苦戦する教え子には「ジャンプの3本勝負しよう」。本気の勝負でコーチに勝てば勢いがつくし、負ければ悔しくて頑張るだろうとの狙いだ。選手が自然とスケートに夢中になるように工夫を凝らす。


 世界で選手として活躍した経歴を生かし、後進の育成に力を注ぐ二人のコーチ。関大リンクから全国へ、世界へ羽ばたく選手を送り出すための挑戦が続く。


 

 ◆引退後のキャリア


 2002年ソルトレークシティー五輪女子シングル代表の恩田美栄さん(29)や、カナダ代表で世界選手権でも活躍した元ペア選手・若松詩子さん(30)は愛知県でコーチに。兵庫県出身の元アイスダンス選手・宮本賢二さん(33)は振付師となり、今季は06年トリノ五輪金メダリストのエフゲニー・プルシェンコ選手(29)(ロシア)に競技用プログラムを提供する。一方、08年世界選手権女子シングル4位の中野友加里さん(27)はスケート界を離れ、テレビ局に勤務する。


2012年8月29日 読売新聞)