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「チーム高橋に、新しいコーチが加わりますのでご紹介します」

 高橋大輔の隣に立っていた日本スケート連盟の小林芳子副強化部長がそう言うと、集まった報道関係者の間をすり抜けて部屋に入ってきたのは、ニコライ・モロゾフだった。

「うそー!」どこからか、抑えた囁きが聞こえてきた。

 すべての関係者にとって、まさに「うそー!」の状況だった。

 6月15日、新横浜で開催された「ドリーム・オン・アイス」初日公演の後に行われたこの共同記者会見。ここに同席するためにだけ急遽来日したというモロゾフは、彼らしくもなく緊張した硬い表情をしていた。

「皆さんには、正直にお話ししましょう。ダイスケは、私のお気に入りの生徒でした。あのような形で別れてしまったことを、ずっと残念に思っていました。私の魂は、彼とはまだやるべきことが残っている、とわかっていたのです」

■ニコライ・モロゾフとの離別の事情。

 わずか30歳の若さで荒川静香をトリノ五輪金メダルに導いたニコライ・モロゾフは、安藤美姫を2度世界チャンピオンにするなどの実績を持つ。やり手のコーチ、振付師として日本でもすっかり名を知られる存在となった。

 その彼が、3年間指導してきた高橋大輔との師弟関係を解消することになったのは、2008年春のこと。当時の高橋にとって国内最大のライバルだった織田信成がモロゾフに師事すると発表した後だった。

 フィギュアスケートの世界では、コーチの方からスケーターを勧誘することは通常タブー視されている。だが何につけても型破りなモロゾフは、欲しいスケーターに自分からオファーを出すことで知られ、以前から関係者内で批判の声はあった。織田のところにも、移籍を決める1年も前から繰り返し誘いがあったのだという。

■「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」(高橋)

 モロゾフの愛弟子であった高橋にとっては、寝耳に水だった。

「当時の自分は、あの状況を受け入れるだけの器量がなかった、ということです」と高橋は彼らしい謙虚さで、思いを口にした。

「でも問題は、モロゾフが事前に知らせなかったということですよね」と言うと、高橋は少しこまったような表情で苦笑した。

「でも周りが思っていたほど、ショックではなかったんです。彼は“これ”と思ったら、衝動的に動いてしまう人だというのはわかっていたので」

 当時のモロゾフは、最後まで自分の非を認めなかった。師弟関係の解消は、高橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張。「高橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、時系列的に無理のある説明を世界中のメディアの前で繰り返していた。

■「ダイスケに嫉妬を感じていたこともあった」(モロゾフ)

 だがそのエージェントのI氏のもとに、モロゾフから和解の打診の電話がかかってきたのは昨シーズンの終わりのこと。I氏も驚いたが、高橋にとっても、まったく想定外のことだったという。

「それまで大会でニコライに会えば挨拶はしていました。でも(解消以降)話をしたことは一度もなかったので、本当にびっくりしました」

 日本人の感覚で言えば、あれほど派手な別れ方をしておいて、自らまたオファーをしてくるなど、いったいどのような神経をしているのか理解に苦しむところだ。だがこうと思ったら、一般常識などにこだわらず行動を起こしてくるところが、モロゾフという人物の長所であり、短所でもある。

「確かにダイスケに怒りを感じていた時期もあった。彼の成功に、嫉妬を感じていた時期もありました」

 会見場で日本人報道陣を前にそう語るモロゾフは、別れた当時「自分なしではダイスケはどこにも行けない」と豪語していた。だがその後、高橋はバンクーバー五輪で銅メダルを獲得し、2010年には世界タイトルを手にしている。

「でも2年ほど前からは、純粋に彼の演技を楽しみながら見るようになった。彼はもともと素晴らしいスケーターだったけれど、今では人々の記憶に残るスケーターにと進化している。私も成長していかないと、彼に太刀打ちできません」

 これほど素直で謙虚な言葉をモロゾフから聞いたのは、久しぶりのことである。それほどまでに、彼は高橋を取り戻したかったのだ。

■このタイミングで売り込んできたモロゾフの真意は?

 もちろんコーチとして、スケーター高橋大輔に心の底から惚れ込んでいたこともあっただろう。だがシビアな見方をすれば、モロゾフが今このタイミングで高橋に売り込んできたのには、個人の思惑もあったことは間違いない。

 フィギュアスケートの世界では、「時の人」は次々と移り変わっていく。勝ちたい選手はモロゾフに行け、と言われたのはもう一昔前の話となった。

 バンクーバー五輪では、彼の生徒は一人もメダルを取れなかった。そして現在彼が抱えている選手の中に、ソチ五輪金メダリスト候補は一人もいない。織田は2年でモロゾフの元を離れ、長年彼に師事していた安藤美姫もこれからの競技活動についてはまだ白紙の状態だという。

 モロゾフが再び五輪金メダリストコーチに返り咲くために、高橋がどうしても欲しかったのだろう。

「彼があなたを必要としていると思ったのですか? それともあなたの方が彼を必要としていたのでしょうか?」

 会見でそう問うと、モロゾフは一瞬だけ顔をこわばらせたが、すぐに破顔してこう答えた。

「彼も、ぼくを必要としている、と思いたいです」

■以前とは違い、依存のないモロゾフとの新しい関係。

 高橋も、それに同意した。

「シーズンを終えてから、ゆっくり考えてみました。ニコライのことは、コーチ、振付師として尊敬する気持ちはずっとあった。実は毎年、プログラムの振付師を決めるとき、いつも候補に名前は上がっていた。こちらからまたお願いすることはあるかもしれないとは思っていたんです」

 周囲は高橋に気遣って彼の前でモロゾフの名前を出すことすら避けてきたが、本人の中ではそれほどでもなかったのだという。

「ロシアというのはかなり特殊な環境。ソチ五輪に向けて、アジア人だけのチームで挑むよりも、ロシア人に参加してもらうことは様々な面で助けになるだろうと思いました」

 また同時に、それまでずっと長光歌子コーチと築いてきた安定したトレーニング環境に、モロゾフならあと一押しのスパイスを与えてくれるだろうと思ったという。

「彼はもともと、選手のモチベーションを上げてくれるのがすごくうまいコーチ。この数年間の成長を経て、お互いがそれぞれの期待に応えられるかどうかは、やってみないとわからない。彼との新しい勝負、という気持ちもあります」

 だが今度の関係は、以前のように彼に依存するような形にはしない、と高橋は断言した。長光コーチがこれまでのように主任コーチを務め、モロゾフにはあくまでもアドバイザー的な立場で来てもらうという。

■唯一の懸念は、モロゾフに対する最近のジャッジの評価。

 お互い五輪の金を狙うという共通の目的のため、再結成を決意した高橋とモロゾフ。

 だが一つだけ懸念が残っていた。それは、モロゾフに対する最近のISUジャッジたちの評価である。

 かつては飛ぶ鳥も落とす勢いだったモロゾフだが、このところ彼の作るプログラムは点が伸びていない。それは、今の採点方式が重要視する「トランジション」(技と技の合間のつなぎ)に欠けているためだと言われてきた。

 一方、この「トランジション」にかけて右に出るものはいないと言われているのが、ローリー・ニコルというカナダ在住のアメリカ人振付師である。エヴァン・ライサチェックをバンクーバー五輪金へと導き、現世界チャンピオンのパトリック・チャン、カロリナ・コストナーとも、ニコルが長年手塩にかけて振付を指導してきた選手だった。すでに'90年代からスター振付師と言われてきた実力者だが、彼女の時代は息が長く、まだ当分終わりそうにない。

■今季のプログラム制作は白紙に……。

 実は高橋は今夏、このローリー・ニコルに初めて作品を振付けてもらう依頼をしていた。だが状況が変わりニコルとのプログラム制作は白紙に戻ってしまったという。

 天才パフォーマーと言われる高橋と、本物志向のニコルのコラボがどのようなものになるのか、世界中のスケート関係者は楽しみにしていたはずだった。

「一緒にできることを、楽しみにしていました。でも色々な環境と状況が変わってしまって」と高橋。現時点では、誰にプログラムを依頼するのか未定である。

 モロゾフに頼むのか、と聞かれると、即座に「いや、今シーズンはおそらくそれはないと思います」と答えた。6月半ばの現在、早い選手ならばもうプログラム作成を終えている時期である。

 新たな道を自ら選んだ高橋が、次のシーズンまたどのように進化を遂げるのか。モロゾフの影響力がどのように採点に反映するのだろうか。しっかり見守っていきたい。

(「フィギュアスケート、氷上の華」田村明子 = 文)