http://hochi.yomiuri.co.jp/column/shirota/news/20110909-OHT1T00151.htm

日本のメダリストのコーチたち~門奈裕子編〈2〉

 日本の歴史の中でも、世界チャンピオンの座を2度手に入れたのは、浅田真央と安藤美姫の2人だけ。その2人が「姉妹のように」同じコーチの下で過ごした日々。2人がスケートを始めた最初の4年間をよく知るのが、門奈コーチだ。まずはバンクーバー五輪銀メダリストでもある浅田真央、彼女の少女時代の話を聞いた。


 ◆門奈裕子氏・城田対談


 城田「その『楽しかった頃』の選手たち、まずは真央ちゃんについて聞きましょう。真央ちゃん、姉の舞ちゃんたちも、他の先生に習っていたわけではなく、初めて習ったのが門奈先生なのよね?」


 門奈「真央なんてまだ、氷の上で『歩け歩け』の状態から始まりましたね。ヘルメットかぶせて滑らせたのも、シングルジャンプ教えたことも覚えてます」


 城田「本当に最初から教えて、先生の所にいるうちに、かなりのところまでジャンプは跳べるようになったでしょう? 5種類も、トリプルアクセルも出来てた?」


 門奈「いえ、私の所ではトリプルアクセルは、まだ。3回転―3回転まででしたね。とにかく3―3をクリーンにしようと頑張っている、そこまでは私が見ていました」


 城田「そうか、トリプルアクセルは山田先生(満知子コーチ)の所に行ってからね」


 門奈「真央が初めてアクセルを跳んだのは、確か試合の会場なんですよね」


 城田「あの頃は小さな選手が、みんなで競うようにジャンプを跳んでたから。練習のリンクで一人が何か跳び始めると、全員がそれを見て跳べるようになっちゃう―。そんな勢いがあった。競争意識をみんなが持ってるから、あっという間にすごいジャンプを降りちゃうのよ。真央ちゃんのトリプルアクセルも、そんなところで跳んでしまって…。私はてっきり普段から跳べてるジャンプなのかと思ったくらい、最初からちゃんと跳んだのよ」


 門奈「子供って、そういうことが出来るんですよね。そんなのを見ちゃうと、子供ってすごい力を持ってるんだなって思います。真央はあの勢いのまま4回転をやろうとしてたから、ひょっとしたら行けるかな? と思ってた。でも4回転は、そんな簡単じゃなかったんですね」


 城田「真央ちゃんたち、いくつまで先生のところにいたんだっけ?」


 門奈「4年間。真央が5年生くらいまでですね」


 城田「その間で、だいたい出来上がってたわけよね」


 門奈「真央はサルコーも得意でしたよ」


 城田「あら、今はちょっと苦手にしてるのに?」


 門奈「真央にね、『小さい頃はトリプルサルコウ、上手かったのに』って言ったら、『ええ、そうなの?』なんて言う(笑)。小学校1、2年生くらいのことなんてね、本当に覚えてないんですよ。『真央はこうだったよ』って言っても、『え? そうなんだ!』みたいな感じ(笑)。まあ私たちでも、小っちゃい時のことなんて覚えてないじゃないですか。小学校5、6年生くらいにならないと、記憶なんてない。真央が私の所にいたのは、まだ小学4年とかそのくらいまでですから、ああ、あまり覚えてないんだなって…。私と一緒にイチゴ狩りに行ったことぐらいしか覚えていないんですよ(笑)」


 城田「でも小さい頃から先生と一緒に試合に出て、ジャンプを次々跳べるようになって。そんなことは、きっとどこかで覚えてるんじゃないかしら?」


 門奈「あの子たちもちっちゃかったけれど、試合でいい演技が出来なかったら私も真央も一緒に泣ける、そんな相手でしたね。向上心とか色々な気持ちも、内に秘めたりしないで、なんでも素直に私に言ってくれる。コーチって親の次に近い存在ですから、色々なことを吐き出してくれる…。小さなうちはそんな関係にならないとだめだな、って今も思います。でも大人になれば、それぞれ自分の意思も出てくるし、そうなれば私の考え方とはちょっと違う方向に逸れていくこともあるけれど…。そうなったらそうなったで、ね」


 城田「大人になれば色々なことがあるけど、でも先生の教えたものの根っこはきっと残ってるのよ。真央ちゃん今でも、『スケート大好き』っていうし」


 門奈「スケート好きって気持ちは、教えた記憶はないんですけどね(笑)。でも、『これを跳ばないと1番にはなれないよ。だから頑張ろう』ってことは、よく言ったかもしれないです」


 城田「『これを跳ばないと1番にはなれない!』そうやってジャンプ跳ばせるんだ」


 門奈「『1番になりたい人は、これを跳びなさい』って。で、私に慣れてきた子には、きついこともいいますよ。『跳びたくない人は、やらなくていい』『跳びたい人だけ、先生の言うこと聞いて練習しなさい』って。でもそこまで言っても、けっこう子どもたちはついてくるんです」


 城田「それは門奈先生が精神的に安定してるからじゃないかな。自分の気持ち、例えば怒りなんかを、どこかにぶつけるにしてもちゃんとセーブしてぶつけてるんじゃない? 外から見ていると、スケートの先生にしては冷静な人だなって見えるのよ」


 門奈「これは笑い話なんですけれど、ある選手が跳べなくてイライラして、氷を蹴っとばしてレッスン終わるっていう反抗の仕方をしたんです。それで私は怒ったんですけれど、もう一人いた選手がトリプルルッツとかをポンポン跳んでいたから、そっちの練習を見てたら楽しくなっちゃった。で、帰りがけに怒ったほうの選手が『先生、ごめんなさい』って謝りに来たんです。『ん? 何がごめんなさいだっけ?』って(笑)。あ、そうだ、私この子に怒ってるんだ! って思いだした」


 城田「他の子を楽しく教えてたら、忘れちゃった!」


 門奈「そう、忘れちゃったんです。怒りなんて、3歩歩くと忘れちゃう(笑)」


 城田「そんな先生だから子どもたちも安心してよく練習するのよ。真央ちゃんも、小さいころから練習する子だった?」


 門奈「真央もよく練習しましたよ。しかもスケートだけじゃなくて、最初のころはバレエも行って、塾にも行って。お母さんも大変でした。真央がレッスンしてる間に、お姉ちゃん(舞)を塾に連れてって、今度はリンクに真央を迎えに来てバレエに連れて行って…」


 城田「お母さんも頑張ってたのよね。色々あると思うけれど、名古屋のお母さんたち、本当に頑張ってる。それを知ってるから、先生も色々わがまま聞いちゃうんでしょう? うちの子の方をもっと見てほしい、とかね。特にあのころの先生には、美姫と真央と両方がいっぺんにいたわけだから、ある時期が来たらどうしたって当然、どちらかを選ばなくちゃいけなくなる」


 門奈「私はそういうつもりはなかったんですけどね…。でもあれだけの選手たちですから、自分の子どもだけをきちんと見てほしい、という気にもなるでしょう。それで一度気持ちが私から離れてしまったら、何を言っても離れていっちゃうし」


 城田「先に真央の方が山田先生の所に移ることになったのよね。あの頃は山田先生も慌ててた。『城田さん、すごい選手が姉妹でふたりも来ちゃう』って(笑)。私は門奈先生も知ってるから、先生の方はどう思ってるんだろう? なんて心配もして」


 門奈「私は当時、美姫のこともちょっと心配して。『真央、辞めることになったよ。4年間、姉妹のように練習してきて、辛くはない?』なんて聞いたことを覚えてます。美姫の方は、『そうですか』なんて淡々としてたけれど。ところであの…真央は今シーズン、大丈夫ですか? 上手くいってくれるといいんですけど」


 城田「やっぱりずっと、心配はしてるのね。もし先生のところに戻ってくることがあれば…」


 門奈「それはないですよ(笑)。もちろん、私だったら今の真央をこう教えるだろうな、なんてことはいつも思ってます。でもどの先生も考えてること、教える方法は違うので。だから私の考え方でまた跳べるようになるかどうかは…どうだろう」


 城田「でも真央ちゃんも、今年は盛り返したいよね」


門奈「そうですね。今年の世界選手権(ロシア)が終わってから、名古屋ではずっと姿をみなかったんですよ。だから私の方が『真央、早く練習しないと!』なんて思ってしまって(笑)。私のアシスタントに真央にメールしてもらったりしてね。『元気なの?』『鬼まん買ってきたから、遊びにおいで』って」


 城田「鬼まん?」


 門奈「フフフ、名古屋のお饅頭です。ゴツゴツしたお芋がたくさんくっついてるの。真央が小さい時、良く食べてたんですよ。『鬼まん持ってるけど、食べる?』って聞くと、『食べるー』って飛んでくるんです。同じリンクで練習してた小塚君も飛んできたから、『お、鬼まんは釣れるな』と(笑)。でも今年は真央、名古屋にいない間はロシアに行ったりしてたんですね。良かった、ちゃんとスケートしてるんだ、って…。それ聞いてまた安心したりして」(続く)