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日本のメダリストのコーチたち~長久保裕編〈6〉

 鈴木明子を始めとした多くの選手を率いつつ、今後も日本フィギュアスケート界の中心人物として期待される長久保裕氏。スケート人生50年、コーチ生活40年を経て彼が培った「最も大切にしたいもの」。そして、スケートを続ける子どもたちに最も望むこととは?


 ◆長久保氏・城田対談


 城田「今、名古屋には、全部で何人くらいお弟子さんがいるのかしら?」


 長久保「僕自身が特に力を入れて見ている選手は25、26人ですね」


 城田「それは仙台時代に比べたら?」


 長久保「ほぼ同じくらいの人数です。トップの選手から若い選手まで、僕自身が見られるのはだいたい20人。25人がギリギリだなって決めてますから。それ以上になっちゃうと、さすがに大変」


 城田「仙台時代と違うのは、今はチームで教えてるってことでしょう? 1人で教えるのと違って色々できることも多いんじゃない?」


 長久保「そう、うちのチーム、今のところはすごくいい調子でやってるんですよ」


 城田「成瀬葉里子先生がボスで、長久保君、川梅みほ先生、本郷裕子先生の4人?」


 長久保「あともう1人、下のクラスの子どもたちを専門に教えてる先生がいて、5人ですね」


 城田「でも長久保君ほどの人が、ボスじゃなくてチームの一員によくなったなあ、って思うのよ」


 長久保「私は割とそういうのは、平気。気にしませんね。自分が親分になりたくないんですよ。むしろ、いい親分の下で働きたい。そんな気持ちがあるから色々な人の無理も城田さんの無理も聞いちゃうわけです(笑)」


 城田「まあ、私に対しての反骨精神で頑張ってこられたんだから良かったじゃない(笑)。それに仙台のリンクが閉鎖された時も苦労したみたいだけれど、結局は名古屋でいい環境を得られて、結果オーライじゃない?」


 長久保「でも大変だったんですよ。仙台が閉まって1年目は、あっちこっちフラフラしただけで終わってしまって。『このままじゃあ、生活できなくなる…』ってことで、最終的に甲府か名古屋か、どちらかのリンクのコーチになることになって。甲府がダメになって名古屋に決まっても、最初の2年くらいはなかなかどうなるか分からなかった」


 城田「でもよく名古屋に根を張ったな、て思うわよ」


 長久保「フフフ、まあ、生活をするためでもあるしね」


 城田「何言ってるんですか(笑)。私は、まさか長久保君が名古屋に住みつくことになるとは思わなかったわ。それだけ今がうまくいってるってことでしょう? でも、仙台時代やその前から、変わらない指導方針ってあると思うんだけれど…。例えばジャンプはやっぱり12歳までに5種類トリプル?」


 長久保「うん、とにかく小学生の間に5種類」


 城田「そうよね、体が変わらないうちに全部きちっと跳べるようにしないとね」


 長久保「ダブルができるようになると、すぐにトリプルの練習をやらせるしね。でも、虚弱体質でパワーが少し足りない子は確かにいるので、そんな子たちは中学2年生までに5種類、と変えてはいます。でも何よりも本人がやる気にならないと、何もできるようにはならない」


 城田「そう言いながら3回転の種類を跳ばせる、これは長久保君がうまいのよ。先生のところの選手たちは、3回転の軸の取り方が、やはり違う」


 長久保「たまたまですよ、たまたま(笑)。だいたい僕の指導なんて、“嘘八百”ですから」


 城田「そんなこと言ったらお母さん方に怒られそうだけど(笑)。暗示にかけちゃうってこと?」


 長久保「例えばルッツ。一応基本は、『ちゃんとアウトで踏み切るように、そして跳ぶ前にローテーションを起こさないように』ってことは、注意させるんです。でも子供にローテーション起こさないで跳べって言ったって、そんなの無理に決まってる。だから本当に素直にこっちの言うことを聞かせるために、やっぱりくだらないこともしゃべるし、多少興味を引くことを言ってみたりもする」


 城田「頑張って面白いこと言うのね(笑)」


 長久保「『こうやったら跳べるよ』って言っても、絶対跳べるって保証はないじゃないですか? ですから、どうすれば僕の説明にもっと興味を持って聞いてもらえるか考えながら。時にはうまくウソをつきながら。親と子だって同じですよね。親だって上手にウソをつきながら、子供たちをいい方向に育てようとする。でもウソでも、真剣に説明します。そして、『先生の言うとおりに練習すれば、出来るようになるから』って言う」


 城田「信じるものは救われる、じゃないけれど、先生を信じて頑張った子は跳べるようになる」


 長久保「実際にそうなんです。素直に聞いてくれさえすれば、出来るようになっちゃうわけです。だから素直な子、赤いものを『白だ』って僕が言ったとしても、『そうか、白なんだ』って信じてくれるくらいの子は、本当にうまくなるなあ、といつも思いますね。静香なんかはたぶん、『先生、また赤を白だって言ってるわ』何て思いながらも、『はい、白ですね』って聞いて練習してくれた子なんです。とにかく、子ども自身が僕を信じて、『できるんだ!』という気持ちで取り組まない限りは、絶対できるようにならない」


 城田「それはスポーツに限らず、何事においてもそうよね」


 長久保「そう、だから結局僕はスケートのレッスンを通して、そのことを徹底して教えてるんだと思う。『出来ると信じれば出来る』。そんな難しいことじゃない。みんなが、誰もが知ってること。そのたった一つのことを教えて、僕はお金をもらってるんです(笑)」


 城田「でも選手として仕上げの段階での装飾、プログラムの振り付けなんかは、まあ他の人に頼むことも出来るのよ。でもジャンプについては、ちょっとこの選手、長久保君のところで基礎を作ってあげてよ、って思うことはあるのよね」


 長久保「もう今は他の先生たちもみんな、同じような指導をするようになったから大丈夫だよ(笑)。でも僕が思うにね、一人のコーチが選手の飾り付け、仕上げにまで手を掛け始めちゃうと、もう他の選手を育てる時間がなくなってしまうんですよ。だから信夫先生(佐藤信夫氏)くらいになっちゃうと、きっと上の選手の仕上げの指導に忙しくて、小さな子を育てる時間がなくなっちゃうと思う。僕も明子がここまで来てくれて時間がかかるようになったら、やっぱりなかなか下を育てられる余裕はないですもん」


 城田「うーん」


 長久保「だからやっぱりインストラクターは、どっちかに専念してる時の方がよりいい結果が出てるんじゃないかな、と思います。下も育てて上の仕上げもやって…なんて全部やろうとすると、どこかに無理が出てくる。やっぱり僕なんかは、『はい、ここまで育てました。どなたかお持ち帰りください、あとはよろしく』っていうスタイルがいいのかな(笑)」


 城田「自分の実績にならなくてもいいの?」


 長久保「いいです。実績よりも何よりも、『教えること』に僕自身が努力し続けていきたい。僕は努力さえすれば、教えることを一生懸命勉強しさえすれば、スケートを全然やったことがない人でも世界チャンピオンを作れると思うんですよ。それくらい勉強って、大きい。もし僕がサッカーの選手を育てようと決めて、もう少し若い時からサッカーの勉強をやってたら、たぶんすごいサッカーの選手が作れたと思います。勉強すればたぶん何でもできる。インストラクターって、絶対勉強しなくちゃいけないんです」


 城田「確かに、それはインストラクターでなくても大事なことだけれど…。具体的に言えば、長久保君はどんな勉強をしてきたの?」


 長久保「基本を一番大切にしたいと思ったので、ジャンプを教えるのであれば体操を見に行ったり、水泳の飛び込みを見に行ったりもしましたね」


 城田「他のスポーツ?」


 長久保「はい。この間トランポリンを見ていて思ったんですが、『俺たちが選手の時、トランポリンをずいぶん教えられたなあ』って」


 城田「都築先生(章一郎氏)が頑張ってやらせていた陸上トレーニングの一環ね。私はあれを見ながら、『こんなのやってて意味があるのかな?』って、思ってたけれど」


 長久保「回転の感覚という点では、トランポリンが一番つかみやすいんです。でもトランポリンでジャンプを習うと、氷の上でジャンプができなくなっちゃう。それでやめたりして。それもまた勉強ですよね。昔を思い出せば森山先生(森山繁夫氏)なんて、オートバイの後ろに選手を乗せてスピード感に慣れさせたりもしてましたから」


 城田「みんなそうやって試行錯誤を続けてきたのよね、日本のフィギュアスケートの先生は」


 長久保「色々なものの中から、これは取り入れられるかな? って常に探すんですね。ジャンプの他にも、子どもたちのケガや痛みの対策も。『ここが痛い、ここも痛い』っていう子どもたちの声を聞いて、トレーナーの先生に『どうしてここが痛くなるのか』『ここを強くするにはどんなトレーニングをしたらいいのか』って聞いたり、相談したり」


 城田「今は以前よりもジャンプの回転数が多くなってるから、それはますます必要なことよね」


 長久保「すごくありがたいことに、うちのチームの先生のご主人に、2人もトレーナーさんがいるんです。葉里子先生のご主人の亀掛川正範先生は中日ドラゴンズのトレーナーだし、川梅先生のご主人は美姫ちゃん(安藤美姫)についてる川梅義和先生。彼らと話すと、本当に勉強になるんですよ。『子どもたちの肩をこう動かしたいんだけど、ここで止まっちゃうんだ』って相談すると、『こんな運動したら動くようになるよ』なんてちゃんと教えてくれる。教わりつつ、自分でも筋肉図を見たりして勉強もしてます」


 城田「長久保君が?」


 長久保「本を見ながら、この裏の筋肉、ここがいつもこの子が痛いっていう筋肉か、と。トレーナーの先生も、子どもが痛がるたびに呼ぶわけにはいかないからね。僕たちも勉強して、『ここの筋肉が痛いなら、こんな運動を毎日30回、氷の上に乗る前にやろうね』なんて言えるように。そんな勉強を僕らがしてると、やっぱり子供たちのケガも少なくなるんですよ」


 城田「子どもたちもジャンプがうまくなるだけでなく、ケガの心配をしないで安心して滑れるのが一番だものね。色々話を聞いてきたけれど、長久保君が最終的に、フィギュアスケートで選手たちを連れて行きたい場所ってどこなのかしら」


 長久保「それは…やっぱり彼らには、成績よりも何よりも、おじいさん、おばあさんになっても滑っていてほしいな、と思いますね」


 城田「滑り続けてほしい?」


 長久保「自分が滑り続けなくてもね、コーチでも何でも後輩の面倒を見る形でもいい。ジャッジとして選手に点数をあげる立場でもいいし、やっぱりスケートを忘れないでほしいな、と。それが最終的な望みですね」


 城田「ずっとスケートに携わっていてほしいのね」


 長久保「出来ることなら、自分が教えてきた子たち、みんなにそうあってほしいんですよ。そのためにも、スケートを上手くさせるより、まずはケガをさせたくない。ケガをしないで、長く長くスケートを続けてほしい。そしてスケートを好きになってほしいし、いつまでもスケートを好きでい続けていてほしいんです」


(この項終わり。次回からは門奈裕子コーチ編)