http://www.nikkei.com/sports/column/article/g=96958A88889DE1E2E5E5EBE6E7E2E0E3E2E4E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E0E2EAE0E2E3E2E1E6E6E4


フリーライター・野口美恵


 女子フィギュア史上初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳び、1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得した伊藤みどり(41)。日本フィギュア史上初の世界女王(89年世界選手権優勝)にもなり、2004年に世界フィギュア殿堂入りした。荒川静香、安藤美姫、浅田真央……、現在の日本のフィギュアブームはパイオニア・伊藤の存在があったからこそ。そんな伊藤が6月、ドイツで行われた「国際アダルト競技会」で15年ぶりに試合の舞台に戻ってきた。


元選手を対象にしたクラスに出場


 国際アダルト競技会とは28~71歳の一般スケーターのための“世界選手権”で、国際スケート連盟(ISU)公認の国際大会だ。


 レベルに応じて3種類の2回転ジャンプまで跳ぶ「ゴールド」、5種類の1回転と1回転半ジャンプの「シルバー」、5種類の1回転の「ブロンズ」の3クラスに分かれ、フリー演技のみで競う。年齢別のカテゴリーもある。採点方法はトップ選手と同じだ。私も銅メダルを獲得した昨年に続き、「ブロンズ」に出場した。


 伊藤みどりさんは、元選手を対象とした「マスターズエリート2」のクラスにエントリーした。


 ここに出てくる選手は元選手とはいえ、国際大会の出場経験はない選手がほとんどで、ダブルアクセル(2回転半ジャンプ)に挑戦する人が数名いる程度。みどりさんのような、五輪メダリストがアダルト競技会に出場するのは初めてのことという。


「スケートを好きっていう感覚を忘れずに」


 伊藤みどりさん復帰のニュースが流れたのは6月2日の夜のことだった。


 「フィギュアスケートは、観戦するだけじゃなく、やれるスポーツだってことを伝えたいです。技術的には落ちているけれど、今は、ただ滑って風を感じるのが気持ち良い。スケートを好きっていう感覚を忘れずに滑りたいです」


 みどりさんはアルベールビル五輪後、プロスケーターとしてショーに出演しながら、95―96年シーズンは現役に復帰して、全日本も制した。その後は再びプロスケーターに戻り、02年まで滑っていたが、その後はまともな練習はほとんどしていなかったという。

大人のスケート愛好者から刺激

 常に全力でしか走れないみどりさんが、そんな状態でも試合に託したかった思いとは何か?


 そもそも出場を決めたきっかけは初心者向けのスケート教室だった。全国で教室を開くうちに、子供だけでなく大人の愛好者が多いこと、また大人の国際大会があることを知った。


 「現役時代と違ってスケートを楽しんで滑りたい」


 そんな純粋な気持ちで出場を決意したという。みどりさんが現役時代に背負ってきたプレッシャーは、今の選手の比ではないことを、改めて思い起こさせる。


 出場を決めたとはいえ、練習は、ケガとスタミナとの戦いとなった。昨年12月末から、今大会の出場を目指して秘密で練習を再開。週2、3回氷に乗り、4月からは現役選手に交じって練習の強度を上げていった。


葛藤の日々


 3回転ジャンプを2種類降りるまでになったが、すぐにアキレス腱と膝を痛めてしまい、3回転ジャンプが跳べなくなった。このため、出場の意義について改めて考えるようになり、「出るか、出ないか?」と葛藤の日々が続いたという。


 「こんなに力が落ちているのに出場する意味がある? 批判もあるかもしれない。でも、スケート好きだなという気持ちは変わらないし、楽しんで滑る姿を見せれば喜んでくれる人はいるはず」


 自問自答の末に、こう結論を出した。2日の会見に出席することは、みどりさんが自分自身に決意を示すためでもあった。


 みどりさんを慕う人は多いのだと、改めて思った。遠征には、多くの団体から提供を受けた備品が活躍した。脚の炎症を和らげるため、タレントの間寛平さんが世界一周で使ったマイクロ波治療器を社会医療法人財団が提供。試合会場は標高約850メートルの準高地だったため、サッカーW杯で使った高濃度酸素発生器をメーカーから借り、さらに鉄分やアミノ酸など各種サプリメントも各社から提供を受けた。日本チーム(出場選手の1人)にトレーナーがいたことも大きい。


 会場だったドイツ・オーベルストドルフは、11歳のときに訪れた世界選手権以来、29年ぶりという。「ここの氷は質が良くて硬い。高いジャンプになるか、すっぽ抜けるか。シビアな氷」とみどりさん。


気取らず、選手らと仲間に


 公式練習の4日間は、まるで氷と会話をしながら友達になっていくかのようだった。スケーティングが滑らかにスピーディーになり、ジャンプは高さを増していく。そして4日目、見事な3回転トーループを降りた。「まだまだ私、いける」


 「ミドリ・イトウが本当に出るのか」とフィギュア界では話題になっていたようだが、本人が実際に公式練習している姿を見て、出場者もスタッフもみなびっくりしていた。しかし、気取らず、普通に打ち解けてしまうのも、このトップスケーターのすごさの1つである。気軽にサインや写真撮影に応じ、顔見知りになった選手には「グッドラック!」と毎日声をかけていた。


 残念な知らせもあった。48歳ながらダブルアクセルを跳ぶ、アダルトスケート界の星である米国選手が、ケガで欠場することになったのだ。みどりさんのクラスで優勝候補だった。


 「私が出ると聞いて、無理に練習したに違いないわ。彼女の滑りを見たかった」。みどりさんの目から涙が落ちた。


ケガそして年齢との戦い


 アダルトスケーターは、ケガとの戦いだ。その場面を次々と目撃することになる。強度のヘルニアで、杖(つえ)がないと歩けない30代の選手には驚かされた。2分10秒の渾身(こんしん)の演技を終えると、リンクサイドに崩れ落ちる。両脇を友人らに抱えられ、そのまま約2時間、微動だにできずに荒い息を繰り返していた。


 「あんなに身体が悪くても、スケートが好きで、氷上で素晴らしい演技をできる人がいるなんて。私が知らなかったスケートの世界がある」


 60代、70代のスケーターは、みんな膝や腰にサポーターを巻きながら、深いシットスピンや高いジャンプに挑む。


 「すごい、すごい。恐るべし、世界の70歳!」


 驚きすぎて、みどりさんら日本チームのみんなで笑ってしまったほどだった。


 男女、ペア、アイスダンス。世界各国・地域からのべ377選手・カップルが出場した大会。1~3日目までに、私とみどりさんを除く日本人6人が出場。みどりさんは日本の全選手を観客席で応援し、キス&クライではコーチさながら得点を待った。会場に来ている誰もが知っている「ミドリ・イトウ」である。これほど心強い応援者はなかった。


「川のささやき」に乗って


 「チームジャパンとして一体になって頑張ることがすごく楽しい」


 おそろいで作ったジャパンのジャージーには、東日本大震災で亡くなった方を追悼し、全員で喪章をつけた。

 大会最終4日目を迎えた。私の出番は、みどりさんの約3時間前。「試合前だから来なくていい」と何度も念押ししていたが、義理堅いみどりさんは観客席の一番前で拍手を送っていた。


 そして私の短い1分40秒が終わる。目標の30点を超える33.87点、そして「1位」の順位が出ると、みどりさんの目が潤んでいた。1回転ジャンプレベルの私の順位にさえ感動できるのは、彼女の純粋さに他ならない。「つけマツゲが取れちゃった」と笑った。


 「ミドリ・イトウ――。ジャパン」。聞きなれた、そして懐かしい響きが会場にアナウンスされたのは午後2時45分だった。雨が上がり、雲間から差し込む光が、会場をほんのり明るくする。大歓声、そして静寂。みどりさん自ら選んだ、辻井伸行のピアノ曲「川のささやき」が流れる。


会場全体を幸せに


 冒頭のダブルアクセルに誰もが何かを期待していた。そして空に向かってみどりさんの身体が浮き上がった。スピード、高さ、飛距離、パワー、そして笑顔。続いて大歓声……、たった1本のジャンプで、会場内の全員を幸福にしてしまった。


 そして最後のポーズは、エッジに付いた氷を拭い胸に抱くしぐさ。「スケートを心から好きっていう気持ちを表してるの」といい、自ら振り付けた。


 演技後、次の滑走者となるカルナン・ジャン(米国)のもとに行き、抱きしめた。


「あなたも頑張って」


 同じクラスの選手は、敵ではなく友であることを、本人にもそして観客にも伝えたかった。


現役選手を超えるジャンプ評価


 得点は64.43点。昨年の最高が60.68点だったことを考えれば、予想以上の得点だった。「技の数を絞っても、今できることを、クリーンにやりたい」と話していたみどりさん。ジャンプ3つに、スピン2つにステップ1つの6つだけ。でも、演技構成点が49.20点も出ていた。


 みどりさんの次に滑ったジャンが、11の要素をうまくまとめた2回転8本を含む渾身の演技で69.97点をマークして優勝、みどりさんは2位だった。


 みどりさんが駆け寄ると、ジャンはとっさに「ごめんなさい」と謝った。「いいえ、あなたの演技が素晴らしかった」。そして私たちを振り返って言った。


 「私が知名度で勝たずに、頑張った選手が優勝して良かった。明日の新聞の見出しは決まりね。伊藤みどり負ける!」


 みどりさんのスコアを見れば、審判5人中2人が、ダブルアクセルに最高評価の「+3」。先日モスクワで行われた世界選手権では、日本女子3選手は誰もジャンプで「+3」を得ていない。また、「スケーティング技術」に9点を出した審判がいた。同大会で9点を得たのは金妍児(キム・ヨナ、韓国)だけだ。


「スケートの新しい魅力が広まってほしい」


 「かつて美しく滑る紳士淑女のスポーツだったフィギュアスケートは、私のジャンプ力の影響で3回転や4回転を跳ぶスポーツへと変わった。今度は、私がスケートの基本であるスケーティングやジャンプの質の大切さを示すことで、スケートを原点回帰させる役になりたい」


 その願いが審判に届いたかのような点だった。


 テレビ放送はなかったが、観客が撮影した動画がすぐにインターネットに公開された。ほんの1週間で、その再生回数は10万回超。


 「少しでも多くの人に、大会の存在を知ってもらえたかしら。来年から、もっとたくさんのスケーターや元選手が参加してくれたらいいな。そしてスケートの新しい魅力が広まってほしい」


 フィギュアスケートの伝道師。みどりさんは新たな扉を見つけ、開き、その一歩を記した。