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「日本の震災のニュースを見たら、フィギュアスケートなんてとてもちっぽけなことに思えた」

 電話の共同記者会見で、スコット・モイアはそう口にした。

 現アイスダンス世界チャンピオンである彼の言葉は、私たち全員の正直な気持ちでもある。3月11日の震災後、月末に東京で開催される予定だった世界選手権はいったん延期とされた。秋に東京での開催、延期して他国で開催するなど様々な案が浮上したが、今年は中止が一番妥当ではないかという意見も多かった。

 1961年には世界選手権に向かった米国代表選手団全員が飛行機事故で死亡し、世界選手権そのものが中止されたという前例もある。だが今回は、代表選手が直接被災したわけではなかったためでもあるのだろう。国際スケート連盟(ISU)は「ショー・マスト・ゴー・オン」の決断をくだした。

 4月24日から代替地に選ばれたモスクワで、平年の1カ月遅れの世界選手権が開催される。

■優勝が決まっているかのような取材を受けるパトリック・チャン。

「この1カ月を精神的にどう消化したかが、勝敗を左右することになるでしょう」とパトリック・チャン(陳偉群/カナダ)は語った。

 カナダの連盟がアレンジした電話での共同記者会見では、参加した北米のジャーナリストたちの質問は、まるでチャンの優勝が決まっているかのような口ぶりだった。

「優勝候補として試合に赴くプレッシャーは?」

「勝てるかもという立場と、最強の選手としていく気分の違いは?」

 現在世界タイトル保持者は、高橋大輔である。

 だが今季はまだ高橋は試合で本調子の滑りを見せていない一方、パトリック・チャンは恐ろしいほど勢いのある演技を見せてきた。

 GPファイナルでは初のタイトルを獲得し、カナダ国内選手権ではフリーで2回の4回転を成功させて優勝している。

 もともと優れたスケーティングの技術で高い評価を受けてきた彼は、過去2年間、4回転なしの演技で2回世界銀メダルを手にしてきた。そのチャンに4回転が加わった今季、北米の記者たちが彼は敵なしと考えるのも無理はない。

 モスクワでもSPで1回、フリーで2回、4回転をやると宣言している。だが浮かれている記者たちを諌めたのも、チャンだった。

「でも、優勝候補はぼくだけではない。日本の選手たちはきっと、これまで以上にモチベーションを上げてこの大会に挑んでくるだろうと思う」

■男子優勝は間違いなくチャンと日本人3人で争われる。

 本来ならば、東京で自国の観衆の応援を受けながら試合に挑むはずだった高橋大輔、小塚崇彦、織田信成の3人が、どのような精神状態、コンディショニングでモスクワにやってくるのか。この非常事態に、どこまで集中してトレーニングをしてこられたのだろうか。

 今の日本に、明るいニュースをもたらしたい。

 彼らは3人とも間違いなく、そう考えているだろう。その思いがモチベーションとして心を引き上げるか、あるいはプレッシャーとなって足を引っ張るか。いずれも能力ではそれぞれ甲乙をつけがたいほど実力のある選手が揃った。あとは、各自の心の強さが問われるときだ。

 いずれにしても優勝は、日本選手3人とチャンの間で競われることになるだろう。プレッシャーで誰かが崩れたとすれば、欧州チャンピオンのフロレン・アモディオ、ブライアン・ジュベールらが表彰台に割り込んでくる可能性もある。冒頭でチャンが語ったように、本来ならばもうオフシーズンに入っていたこの時期まで、体力、精神力を維持してコンディショニングをうまくやりとげた選手が勝つ。それが誰になるかは蓋を開けてみるまで予想がつかない。

■昨年3月から隠遁するかのようにメディアに出なくなったキム・ヨナ。

 女子では、もっとも気になるのが言わずと知れたキム・ヨナの状況である。

 昨年3月のトリノ世界選手権を最後に、キムは競技生活から休養をとっていた。アイスショーなどの活動を除くと、まるで隠遁生活のように一般社会に顔を見せなくなった。いったいどのような状態でトレーニングをしているのか、ほとんど情報がはいってこない。

「相変わらず男子みたいな大きな3回転を跳んでいました。彼女が跳ぶと、あまりにも楽々と跳ぶからまるで2回転みたいに見えるの」

 最近まで彼女と同じカリフォルニアのリンクでトレーニングをしていたというある選手が、そう語ってくれた。

 だが選手にとって、試合慣れというのは大切なコンディショニングの一環である。しばらく間があくと、地方大会など小さな試合に出てから大舞台に挑むというのはどんなベテランでも普通にやることだ。1年以上の期間をあけていきなり世界選手権に挑むキム・ヨナが、どのような演技を本番で見せるのか、これもまた予想がつかない。

 世界チャンピオンとしてタイトルを守る立場の浅田真央は、今季から佐藤信夫コーチのもとで新スタートをきり、心機一転して技術修正に励んできた。通常フィギュアスケートの世界では、コーチを移って技術を修正すると試合で結果を出すのに2年かかるといわれている。浅田はGPシリーズこそ不調だったが、全日本選手権、四大陸選手権と徐々に調子を上げてきた。そんな彼女にとって、1カ月余分にトレーニングできたことは大きなメリットになったのではないだろうか。

■女子もアジア人3人が表彰台を独占するか!?

 その一方で、逆に今シーズン最初から安定した結果を出してきた安藤美姫にとっては、集中力を途切れさせないように維持しているのは大変だったのではないかと思う。そのあたりは、勝負強いモロゾフ・コーチがきっと何らかの工夫をして調整をしてきたことだろう。初出場の村上佳菜子にとっては、どんな結果になろうとも貴重な体験を積む大会になる。彼女らしい伸び伸びとした演技を期待したい。

 おそらく女子も、アジア人3人が表彰台を独占する可能性大だ。

 私の当初の予想は、東京という舞台で、男女シングルともにアジア人6人が表彰台を独占するというものだった。だが開催がロシアに移ったことで、欧州の選手が予想以上に健闘する可能性も出てきた。

 いずれにせよ、この前代未聞の状況下で開催された大会は、心がもっとも強い選手が勝つ。どの大会もそうだが、これまで以上にそのことが強調される試合になることだろう。

(「フィギュアスケート特報」田村明子 = 文)