1 御曹司の仕掛け 社の士気高揚に利用


 自動車の国内販売シェア第1位を誇るトヨタ自動車。グループ企業も加わった所属のスポーツチームが、10年度はプロ・アマを問わず数々の栄冠を手にした。「100年に1度の不況」と言われた08年のリーマン・ショックで企業スポーツが、休廃部に追い込まれる中、トヨタは自社のリコール問題までもが続く苦境に立たされても手放さず、日本のスポーツ界のリーダー役を担うことになった。総資産約30兆円に上る巨大企業のスポーツ戦略を探る。


 名古屋市内で1月末に開かれた「全国トヨタ販売店代表者会議」。約290ある販売会社のトップやトヨタ役員らスーツ姿の1000人を前にユニホーム姿の一団が登壇した。今年度全国優勝を果たした硬式野球と女子ソフト、陸上長距離の各部監督と部員が謝意を述べ、連覇を誓うと大きな拍手が起きた。


 年初の恒例行事に初めて運動部が招かれた。豊田章男社長は会議で「試合に出た選手だけでなく裏方を含めた総合力の優勝」とたたえ、販売店を含めたオールトヨタとしてのチームワークの重要性を訴えた。


 一時の危機的状況からは脱したとはいえ、景気低迷が続く日本経済。自動車業界も例外ではない。


 そこでスポーツを組織の引き締めと士気高揚に利用して本業のテコ入れを図るのは、五輪を国威発揚に使う政治家の手法と重なる。会議は運動部に社業を、より意識させる役割も果たした。


 トヨタの国内スポーツ躍進の始まりは、09年秋のF1撤退と時期をほぼ同じくする。


 ■歴史的転換のF1参戦


 F1参戦の表明は奥田碩社長時代の99年。世界でブランド力を向上させ、シェア数%にとどまる欧州などでの販売拡大につなげる狙いがあった。年間経費数百億円とも言われるF1への挑戦は、地方都市に本社を構え、1円単位のコスト削減を地道に続ける経営が「乾いたぞうきんを絞る」と評されるトヨタの歴史的転換だった。


 参戦した02年以降、販売台数を毎年50万台規模で急激に伸ばし、08年に米ゼネラル・モーターズを抜いて世界一に上り詰める。


 だが同年秋のリーマン・ショックの影響で71年ぶりの営業赤字へ転落。大市場の米国に偏重し、販売店から「国内を向いていない」と批判を浴びたトヨタの拡大路線は行き詰まった。


 「原点回帰」を掲げ、早期黒字化を最重要課題に、豊田社長が09年6月に就任。子会社・富士スピードウェイでのF1日本GP開催を中止。さらに秋には8年間未勝利のまま、世界一へ突っ走った「よき時代」の象徴から完全撤退した。


 ■国内スポーツへシフト


 縮小の一方で国内、地域重視を強く打ち出す。バラバラだった各運動部のインターネットホームページを集約したサイト「GAZOO(ガズー) SPORTS」を開設した。ガズーは画像と動物園のZOOを組み合わせた造語。選手や試合の様子を写真やブログで紹介し、閲覧者も感想を返してプロ選手から一般愛好家までが交流する場にする。学生時代ホッケーで日本代表に選ばれた豊田社長にはサイト広告の収入でマイナー競技部を支援する構想もあり、「子どもたちも自分の写真や動画が載れば励みになる」と気軽に投稿できる仕組みも目指す。


 4月には張富士夫会長が日本体育協会会長に就く。「側面支援したい」という豊田社長だが、こうした取り組みはいずれも本業を意識したもの。大会参加や観戦に伴う移動に車の利用機会が増えれば国内シェア5割のトヨタ車も売れる算段だ。


 愛知県内の一企業から世界的企業に成長するにつれ、「自動車の運転免許も持たずに入ってくる社員もいる」ほど質が変わり、愛社精神が薄れたとの指摘もある。そんな中、創業者・喜一郎を祖父、章一郎名誉会長を父とする創業家直系の豊田社長が影響力を自覚しつつ、先頭に立って自社のスポーツチームを応援する。その頭の中には常に自動車会社の経営者としての冷徹な計算がめぐっている。【鈴木泰広】=つづく


2 重点強化部 「結果第一」現場に重圧

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2011/02/23/20110223ddm035050007000c.html

 

国内スポーツの支援に力を注ぎ出したトヨタ自動車の豊田章男社長。「不況の時こそ、スポーツが元気を与えてくれる」と言い、試合会場や練習場にも足を運ぶ。トップの視線は選手らを刺激、昨年から団体競技などで顕著な成果が出ている。


 今年元日のニューイヤー駅伝(群馬県)。ゴール目前での3チームの競り合いから、トヨタが1秒差で振り切る劇的な展開で32回目出場にして初優勝した。直後、現地で選手やスタッフは豊田社長にねぎらわれた。陸上長距離部は重点強化部の一つ。佐藤敏信監督はコニカミノルタのコーチとして実業団最高峰のこの大会で6回優勝した。


 佐藤監督には忘れられない出会いがある。就任直後の08年秋、渡辺捷昭社長(当時)と対面、約20分の質問を受けた。選手獲得などの方針は任せるが、いつまでに結果を出せるかが主。「一クラブがここまで見られているかと思い感激もあったが、プレッシャーも感じた」


 ■株主意識し順位付け


 70年代までの高度経済成長期に、職場の一体感醸成など人事労務施策などの一環で次々と創部され、現在30を超えるトヨタ本体の運動部は、厳しくランク付けされている。陸上長距離と硬式野球、ラグビー、男女バスケットの5部が重点強化部に指定。専用グラウンドや体育館があり、野球部には元プロ、男子バスケット部は外国人選手も所属している。一方、それ以外の部は移動やユニホームなどの活動費は支援されているが5部には及ばない。人事部の藤原睦行主査は「これまでの経緯と従業員への影響力を考慮した。運動部をすべて強化できればいいが、日本一を目指すため絞っている」と言う。


 昨年上半期の自動車国内販売は1位、シェア50%を占めた。企業がより株主を意識した経営をするようになった現在、運動部にも社会が認めるトップ成績が求められる。藤原主査は「株主への説明責任は従来より重要になっている。企業のトップが『費用はかかるが経営に必要』と説明できればいい」と話す。


 硬式野球部も変わった。日本選手権で89年の初陣から7回出場でベスト8が最高だったが、ここ4年で3回優勝。強化には川島勝司総監督の力が大きい。ヤマハで都市対抗優勝3回、96年アトランタ五輪銀メダルの名将は99年秋からチーム運営に携わり、試合結果を人事考査に反映するよう社に求めた。「社業と野球の両立」から「野球の勝利が社業」になった。「各社員は、旋盤担当なら見事な仕上がりを目指してプロになろうと努める。野球も同じ」と川島総監督。選手が練習後に職場に戻る姿もなくなった。


 ■ちらつく休廃部


 昨年26年ぶりに日本リーグで優勝した女子ソフトボール部。重点強化部には指定されていない。07年から指揮した福田五志監督は「会社に見極められる立場。現場の希望は受け入れられたが3年以内の日本一を求められた」と危機感を感じていた。現チームで福田監督になってから入社した選手は21人中16人。中には08年北京五輪で銀メダルを獲得した米国代表の主力投手、モニカ・アボットもいる。福田監督は「現場で社長に応援され、かけられる言葉は重みが違う」と語る。


 勝利を重要課題にする企業側と、存立を意識する現場。休廃部がちらつく緊張感の中、トヨタの各部は結果を出した。豊田社長は「プロの下に実業団があってこそレベルを保てる。そのためにも実業団が必要なんだ」と次世代の育成のためにチームを持つ大切さを訴える。【黒尾透】=つづく


3 アスリートの特別待遇 「複線型」雇用で支援

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2011/02/24/20110224ddm035050033000c.html

 団体競技で重点強化部を設けてトップを目指すトヨタ自動車。個人競技では世界の頂点を目指すアスリートを特別待遇で支える。


 昨年末のフィギュアスケート全日本選手権を制し、世界選手権(3月・東京)で頂点を狙う小塚崇彦と安藤美姫。14年ソチ五輪ではメダル獲得への期待が大きい。2人は全日本選手権の練習で「TOYOTA」のロゴ入りジャージーを着ていた。観客席ではトヨタ社員が横断幕を掲げ声援を送った。小塚は会見で「支援してくださるトヨタ自動車さんに恩返しできた」と話した。


 ■出社は月に1回


 ともに名古屋市出身で、人事部所属の嘱託社員だ。海外での練習や国際大会出場が多いため、出社は月1回程度で競技結果などを報告する。オフには小塚が昨夏の都市対抗野球で東京ドームで応援席のロープ張りを手伝うなど社内イベントの設営準備も行い、安藤も07年都市対抗の応援に駆けつけ、ステージで拡声機を握った。


 けがの際の医療費などは一般社員と同じ保険が適用される。社内留学制度を使って中京大に通い、ナショナルトレーニングセンターに認定された学内のリンクで練習した。マネジメント会社と広報などの委託契約を結ぶ。


 支援目的を人事部の藤原睦行主査は「広告宣伝効果などはあるが世界で活躍する地元選手のために環境を整えようという考え」と言う。小塚は「社員として支援に対し『結果を残さなければ』と引き締まる」と話す。


 こうした雇用のさきがけは女子柔道の谷亮子(当時は田村姓)。谷はバルセロナ五輪に出場した92年からトヨタのCMに出演した縁もあり、98年に嘱託社員として入社。参議院議員選挙出馬表明前の昨年3月末まで在籍した。主に首都圏で練習し、00年シドニー五輪ではトヨタ所属選手初の金メダルを獲得。トヨタ本社がある愛知県豊田市内をパレードした。04年アテネ五輪で2連覇した直後に都市対抗野球の舞台、東京ドームで応援、シンボル的存在だった。


 「単なるスポンサー契約ではなく、同じ社員の選手が世界の舞台で頑張って活躍すれば、社内の一体感も高まる」と藤原主査。重点強化部の活躍は国内トヨタの士気高揚に結びつき、五輪選手の活躍は「TOYOTA」のブランド力アップにつながる。さらに小塚や安藤の活躍は地元貢献も強調できる。


 ■社員としても育成


 同じ五輪選手でもスケート部ショートトラックの選手は、他の運動部と同じ正社員で雇用している。


 今月、名古屋市内での硬式野球部の日本選手権優勝祝賀会。背広姿で来賓誘導する寺尾悟監督の姿があった。愛知県豊田市生まれで、94年リレハンメル五輪から4大会連続出場。この間、98年長野五輪後に入社し、社業に従事しつつ、競技を09年まで続けた。後輩社員には昨年のバンクーバー五輪出場組の高御堂雄三(愛知県一宮市出身)、伊藤亜由子(浜松市出身)両選手がいる。寺尾監督は、東海地区出身選手を大舞台へ飛躍させる役も担う。


 メディア露出の大きい選手はプロに等しい契約をする一方で、取り上げられる機会の少ない競技でも、現役中から社員教育し、競技引退後も社業に戻れるようサポートする。対外的には地元密着のアピールになり、選手側には愛社精神が育つ。体力のある大企業だからこそできる複線型の雇用で選手を支える。【村社拓信】=つづく


4 グランパス支援 地域とつながるツール


http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20110225ddm035050060000c.html


昨秋、Jリーグ参加18年目にして初優勝を決めた名古屋グランパスの前身は、旧日本リーグのトヨタ自動車サッカー部だ。93年のJリーグ発足に伴うプロ化に際し、トヨタだけでなく、日本リーグを支えてきた企業チームは戸惑いを見せていた。「地域密着」を掲げ、クラブ名称に企業名を入れることを禁じたJリーグの方針に異を唱える企業は多かった。


 しかし最終的にトヨタはJリーグ参加に踏み切った。「グランパス支援をトヨタ従業員の士気高揚につなげる関係ではない。一出資会社としての付き合いにする」がトヨタ側の判断。


 グランパスがプロとしてスタートするには、企業チームとは異なる価値観の創出が必要だった。


 ■サッカー教室も


 もちろん、今もグランパスがトヨタの多大な財政支援で支えられているのは事実だ。22・5%を出資する筆頭株主で、グループ企業の出資も10社を超える。歴代社長はトヨタグループの役員も兼務し、クラブハウスと練習場は、硬式野球、ラグビー部が使うトヨタスポーツセンター(愛知県豊田市)の一角にある。ユニホームの胸のロゴなどに出すトヨタの広告費用は億単位。しかしプロクラブへの出資には違う意味合いがある。


 ホームタウンの名古屋市にゆかりのある中部電力やJR東海、松坂屋など、トヨタグループ以外の企業も出資しており、チーム名の通り、グランパスは「名古屋」のクラブだ。グランパスの福島義広・代表取締役専務は「トヨタグループ以外の企業からするとハードルが高いかもしれないが、さまざまな形で協賛をいただければ」と広げた間口を強調する。


 愛知県全域ではここ3年間で、東部の豊橋、岡崎両市で子供たちのためのサッカー教室を設立し、グランパスのコーチ陣が地域の指導者に対してセミナーを開いている。選手の幼稚園訪問や年間チケット購入者とストイコビッチ監督や闘莉王らトップ選手との交流会なども開催、愛知県サッカー協会の小久保孝専務理事は「地域をより重視しているように感じる」と語る。


 ■V効果で観客増員


 かつての企業スポーツは、大企業を置く各地の都市「企業城下町」を基盤に発展してきた。スポーツは社員の福利厚生や士気高揚だけでなく、企業と地域社会を結ぶ役割を果たしてきたといえる。そして、バブル崩壊や景気低迷の時期を経て、スポーツの価値観も地域との関係を重視する方向にシフトし始めてきている。


 こうした動きはサッカー以外のプロスポーツにも波及し、プロ野球ではダイエー(現ソフトバンク)が福岡、ロッテは千葉、日本ハムは北海道に本拠地を移し、地元住民の支持を確実に得ている。


 昨季、グランパスの1試合の平均観客動員数は初優勝もあって前年比約4000人増の約2万人にのぼった。J1全体が前年比500人減の約1万8400人の中、福島専務は「初優勝で地元が大いに盛り上がり、熱心なサポーターだけでなく、多くの人が興味を持ってくれた」と優勝効果を強調する。その盛り上がりをどう発展させていくか。グランパスの動向は、トヨタという世界的企業と地域との関係をこれからも映し出していくに違いない。【村社拓信】=つづく




5 グループ企業は闘志前面 プライド持ち競い合う



http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2011/02/26/20110226ddm035050121000c.html



 近年のスポーツ界ではトヨタ自動車のグループ企業も各競技で全国優勝した。女子バレーボールでは10年にデンソーが全日本選手権優勝。男子バスケットのアイシンは今年、全日本4連覇を達成した。女子駅伝では08年に豊田自動織機が実業団を制した。3社ともトヨタ自動車本社がある愛知県豊田市に隣接する刈谷市に本社を置く。


 スピードメーターやエアコンなど自動車部品を製造するデンソーは、かつてトヨタ自動車の開発部門。今でもトヨタが約25%を占める筆頭株主だ。ただ今はトヨタとの取引は全体の半分。09年度は自動車部品製造会社で世界一の売上高を記録した。


 スポーツチームは01年にバレー、ソフト、バスケット、陸上長距離の女子4部を強化部に指定。人事部にスポーツ強化室を置く。支援理由を永田将人室長は「棚に並ぶ商品ではないので一般の認識が低い。スポーツでブランド価値を高める狙いもある」と話す。これまでソフト日本代表で染谷美佳が08年北京五輪金、バレーでも井上香織が10年世界選手権で銅を獲得した。永田室長は「日本一になり、世界の舞台で活躍できる選手を輩出したい」と意気込む。


 ■互いにライバル


 アイシン精機もトヨタが株式を約23%所有する。オートマチック変速機で高い技術力を誇り、約4割はトヨタ以外の国内外の自動車メーカーとの取引。トヨタ以外からも売り上げを得ているという状況はデンソーと同じだ。社員の関心は高く、山田竜一郎バスケット部部長は「勝敗が(試合開催日の)週明けのあいさつになるほど」と言う。日本リーグでトヨタ自動車とも対戦機会があり「勝ちたいというより、勝たないと優勝できない」とライバル心を燃やす。バスケットは外国選手も複数入りチームを構成するが「広告宣伝と思っていない。企業としてプライドを持ってやっている」と山田部長。コートは、相手がトヨタでも対等、と意識できる格好の舞台になる。


 トヨタの一部門などから成長し「トヨタを追い越せ」と発奮するグループ企業。その一方で、本社や練習場が同じ愛知県内で近接していることもあり、両者は底上げのためさまざまに交流している。豊田自動織機は、トヨタの豊田章男社長の曽祖父でグループ創始者・豊田佐吉が設立した「本家」。今は自動車組み立てとフォークリフト生産が主だ。今季初めてラグビー・トップリーグに昇格し、トヨタ自動車とも対戦した。田村誠監督は、トヨタでラグビー部長なども務めた経験があり、強化面でアドバイスも受けている。


 女子ソフトは昨年、トヨタ自動車が日本リーグで優勝。4位に豊田自動織機、デンソーも5位に入った。3チームはシーズン前のオープン戦で頻繁に対戦する。運動部の運営を担当する豊田自動織機ウェルサポートの朝倉康善社長は「『負けるな』という声が社内で大きい。グループ企業同士での切磋琢磨(せっさたくま)は強化につながる」と話す。


 ■実業団の灯消さぬ


 NEC男子バレー部、日産自動車硬式野球部など、複数回の全国優勝を誇る名門企業チームが次々と消えた。その中で「うちはやめない」と存続方針を打ち出して、スポーツを支え続けるトヨタ自動車。選手のレベルアップを担う、リーディングカンパニーへの期待は大きい。【鈴木英世】=おわり