猿腕&スワンネック変形指&不気味な形の爪のPIANIST NAMUKAのBLOG -31ページ目

猿腕&スワンネック変形指&不気味な形の爪のPIANIST NAMUKAのBLOG

インフルエンサーなどに楽曲や耳コピピアノアレンジを提供(HAPPYちゃん他) 耳コピアレンジやオリジナルピアノ楽曲をスワンネック変形指&猿腕ピアニストとして弾く。フジコヘミング氏のリハーサルピアニストや、漁師ピアニストの徳永さんにラカンパネラを指導。

イマココ7Days program2日目。

私はこのイマココの告知をHappyちゃんがする間近の頃、怒りまくるという出来事に遭遇していた。

綴ってみようとおもう。



私は指導していただいた経験と指導をするという経験をこの人生でしている。

ピアノと吹奏楽を通してだ。




ピアノの指導をしていただく経験のなかでは、

10年間師事した種田先生がとくに細かに指導されるにおいての環境設定や、

短期間で膨大な数の課題曲に取り組むということを通して指導してもらったという経験をしてきた。



種田先生の指導でのことを今回はザッと書こうと思う。ワンレッスン時間は2時間から3時間。週に1〜3回、ワンレッスンのうちみてもらう曲数は5曲とか8曲とか、そのときによりけりだったけど、キャリーケースに大量の楽譜をいれてレッスンに通っていた。

それだけ個人練の時間はレッスンに向けて、ご飯はピアノの前でオニギリ、とか、ほとんどをピアノの前でずっと過ごすということをザラにしてきたりしている。

そして本番ステージが近くなると、

ほぼ毎日レッスン指導を受けるという試練、

そして期間に対しては膨大な数と感じた課題を個人練しレッスン指導を受講する、という感じだ。

個人練で一定水準に達していない曲の場合はその曲はレッスンの指導をしてもらえないのはあたりまえだし、

レッスン指導がない日は、毎日電話で個人練習をしているかのチェックが入り、たまには電話越しでのレッスンもある。さらに恋愛をすることは基本禁止、友達と遊びに行く時間やスケジュールは先生の管理下で、最低限で、という環境だった。


"ピアノの学習に命をかけてみなさい"

という感じだったのだ。

種田先生は、ドイツの音大で指導した日本人第一人者でエトリンゲン国際ピアノコンクールを立ち上げたり、偉業を成した世界的ピアニストであり指導者として知られる。2011年に77歳で他界した。



種田先生は、指導も、人となりも、

本当に細かで丁寧でそしてすごく優しくも演奏に対しては果てしなく厳しい。

そしてすごく知識宝庫な人で、

生き字引のような先生だった。

そして、演奏指導に命を削っていた先生だ。



私はバロックの音楽から、古典、ロマン派、近現代、コンチェルト、さまざまな楽曲を先生から学ばせてもらい、音に対しての向き合い方、奏で方、

心底本物を学び、知ることが出来たと私は感じているし心底感謝をしている先生なのだ。



音に本気で向き合い、学ぶ、という私の定義は、

種田先生からの学びと、自分がおかれていた環境下で感じてきたことからできているように思う。


そして種田先生以外の、一流とよばれる世界的ピアニストの指導にも共通することがあるなと感じている。



音への"指導"、

演奏の"指導"に対して、

演奏を、音を奏でる、を、心底本当に楽しむ、

という感覚でするまでの過程を、

楽しみながらする工夫や楽しむ感覚をつかみながらしていき、

譜面上の最初の音から最後の音までを、

その作品の意図のテンポ感に寄り添いながらの奏者が楽しみながら奏でる、という奏者がする表現。


1音1音細かに感覚をとぎすまし、

配慮して表現するということに対し、

具体的に指導していただいた種田先生をふくむ私を指導してくださった先生方がいてくれたからこその演奏家としての今の私があるなと感じているのです。


こっからが怒りエピソード。


私は今指導する側にも立場的にあるけれど、


なめんなよと感じた出来事があった。



指導するということや指導内容や私の気持ちを、相手にしっかり伝えきれていないもどかしさの中で、

相手側の"こうがいい"という内容を浴びる、ということがあった。




まず私は私の伝えたい内容をわかってもらっての上でその内容に対してを相手から意見が欲しかったんだけど、

でも

私が伝えきれていない。

伝えれてない、ということも伝わっていない。

そしてそのまま話は進む。


そうすると、


見当違いと私が感じてしまう意見プラス、

相手の"こうがいい"

を浴びていく、という状況になっていったのだ。



感情的におもいきりなる傾向のある私は、

そのときのサナカは、

冷静にコレを分析せずにいたので、

"は?なに言ってんの?"

と、いう前提としての発言を相手に投げまくってしまった。



今日のイマココ配信のHappyちゃんが言った

エネルギーの"着火"する位置の話。


完全に着火地点がズレていた、と、今はきづいた。


この着火元から相手とのやりとりのなかでは、

"指導はオマケ"

"指導がなくても音と向き合うことができる"

などの表現を

相手から私は浴びせられるとこまでいった。



ここまできたときに

まぢで怒りは絶頂にきてしまった。

なめんじゃねえ!!!


"指導"を、

音に本気で向き合うということ、

あたしはこれまでの音楽人生を知らねーくせに

テメーになんでゴタゴタ言われなきゃなんねーんだよ!



私の全部を否定された感満載だったんだ。



でもそれは、

着火元が、

自分が伝えれてないもどかしさがある地点からのものだったから、

ということだった。


そうなってくると、全て否定された感、自分の核となるとこも否定された感覚になるとこまでいってしまうのだなと感じた。





まずは自分の気持ちを自分が丁寧に分析することは、とてつもなく大事なことなんだとあらためて感じたのです。





NAMUK@





Happyちゃんのイマココ7DaysProgram

を受講して

今日は2日目。


気づきをブログに、

綴ろうとおもいます。




「今、の、この瞬間に世界が終わることになるとするならば?」


この意識で、自分の日常の"今"に対して自分を表現していく。ということ。


昨日それをしながら自分の日常を過ごしてみて

昨日の1日目に感じたことは、


今自分が出来る範囲で、

今自分が心地よくいれるように、

その今の瞬間の体勢だったり

、景色や味わうものや耳にする音などを整えようと丁寧に自分に対してするという感覚を感じた。



その表現をする過程で、

"こうゆうことかな??"

序盤はその思考が少しあった。

けど、

"これでイイ"

"私は合ってる"

という、

"自分の感覚に対して認めて信じる"こと、を細かにしてあげる前提でしていきたいな、と、

序盤に少し出ていたその思考に対してを気づけたときからこちらの前提ををまず強固にしてから

やるようにしてみたということがあった。



それから

身体に対して、

"なでる、

トントン、

としてあげる"

ということなんて、

痛みを発しる時など以外したことがなかったかなとも思ったし

"自分が自分の肉体へのマウントをとる"

という発想は私にはなかった。


コレ塗ってるんだから綺麗になるでしょ?

このストレッチやセルフケアしてんだから、良くなるだろ?


…というマウント。


ただただ、

その身体に対し、

「別になんの感情もいらない

、自分の手のひらで、感覚を感じること」

これが絶大たる安堵を味わうことを知れた。


恥ずかしいことに、初めてこれを首の真後ろにした瞬間、涙が流れたのだ。


理由はその瞬間は正直わからなかった。

でもHappyちゃんの話を聞き、

自分が身体に溜めていたという自分自身がわからなかった悲嘆の感情や知れていないものに対し、そしてそれを自分の手のひらで安堵を与えてあげることが出来たということだった。


非常に感極まる内容だなと私は思った。


自分が自分に安心させることが、

自分に対して自分への平和を与える。


この平和の感覚を、

人類皆あったら

心底幸福で安堵な世界なのだろう。




やはりHappyちゃんは

意識界の帝王だった。




NAMUK@