なぜ、あなたは責任を転嫁したのか。
ピアノの練習が嫌になったのは、その子自身だ。
曲が難しく感じたのも、その子自身の感覚だ。
挫折したのも、その子自身の選択だ。
なのに、なぜそれを全部、私のせいにしたのか。
—
それだけじゃない。
あなたは、話し合いの扉も閉ざした。
「練習しない理由を、お子さんと話してみてください」
そう、私は提案した。一緒に考えようと思った。
親子で話し合うことで見えてくるものもあるだろうと。
そう、誠実に提案した。
意思疎通をするのは大切なことだ。
—
それなのに
返ってきたのは「音楽が嫌いになることを危惧する」という言葉。
画面の向こうから、一方的に送りつけられた批判。
娘さんの練習に対する挫折を、私の責任に転嫁するような言葉だった。
電話もなかった。
顔を合わせて話す機会もなかった。
ただ、LINEの画面に表示された文字だけ。
長年オンラインで指導していたオンラインレッスン生だったからこそ、たちが悪い。
こちらの表情も、声のトーンも、必死さも、何も伝わらない。
文字だけが切り取られ、解釈され、刃に変えられる。
「話してみてください」
その一言が、なぜここまでの批判になるのか。
なぜ対話ではなく、断罪を選んだのか。
予想はつく。
子どもの練習が進まない焦り。
どうしていいかわからないどうしようもない無力感。
でも、話し合うことを拒否したのは、なぜだ。
対話の扉を閉ざしたのは、なぜだ。
責任転嫁とは、自分の痛みを処理するために、誰かを傷つけることを選ぶ行為なんだよ!
一瞬だけ自分は楽になる。
でも、その矢を受けた相手は、何年もその矢を抜けずに生きることになるんだよ。
そして、対話の機会を奪うことは相手を「人間」として扱わないことと同じだ。
あなたは私を、話し合う価値のないものとして扱った。
私が許せないのは、その"無自覚さ"だ。
返ってきたのは「あなたのせいで音楽が嫌いになる」という越権発言。
そこから先の対話は、何もなかった。
なぜそう思ったのか。
どうしたらいいと思うのか。
何を求めているのか。
何も聞かれなかった。
何も話されなかった。
一方的に、私の存在意義が否定された。
—
その子も、何も言わなかった
もっと根は深い。
その子は、
「この曲、嫌だ」とも言わなかった。
「別の曲がやりたい」とも言わなかった。
ただ、練習しなくなった。
それだけだ。
誰でも練習したくないことはある。
伝えてくれなかったのだ。
何が辛いのか。
何に躓いているのか。
どうしたいのか。
もし「難しい」と言ってくれたら。
もし「この曲、合わないかも」と言ってくれたら。
一緒に考えられたのに。
曲を変えることもできた。
ペースを落とすこともできた。
目標を小さく刻むこともできた。
「伝えること」が、すべてを変えたかもしれない。
でも、誰も言わなかった。
その子も。
保護者も。
だから、何も変わらなかった。
そして、保護者は私を責めた。
意思疎通しなければ、何にもならないじゃないか。
—
だから私はブチギレた
「あなたのせいだ」と責任を押し付けられ。越権発言されたから。
私の存在意義を否定する権利は誰にもない。
—
今、社会で起きていること。
実はこれは私だけの話ではない。
2025年、文科省は保護者からの過剰な苦情を「学校以外が担うべき業務」と位置づけた。
東京都は2026年、保護者によるカスタマーハラスメント対応のガイドラインを公表した。
教師に対するハラスメントは、特別なことではなくなっている。
毎日のようにどこかの学校で、誰かが同じような刃を受けている。
そして、対話の機会すら奪われている。
—
伝えたいこと
責任転嫁をする人に伝えたい。
あなたの「助けて」は、そのまま「助けて」でよかったんだ。
でもあなたは、それを"「あなたのせい」という刃に変えた。"
そして、対話の扉を閉ざした。
そして、私の尊厳を傷つけた。
だから私は言う。
責任転嫁も、対話拒否も、許さない。
同じような刃で傷つく教師たちを、一人でも減らすために。
もう、誰かが「人権侵害だ!」と叫ばなければならない状況を、なくしていくために。
まじで理不尽すぎてたまらない。
#複雑性ptsd #自死遺族


