コンプレックスを武器にした猿腕&スワンネック変形指PIANIST NAMUKAのBLOG -2ページ目

コンプレックスを武器にした猿腕&スワンネック変形指PIANIST NAMUKAのBLOG

インフルエンサーなどに楽曲や耳コピピアノアレンジを提供(HAPPYちゃん他) 耳コピアレンジやオリジナルピアノ楽曲をスワンネック変形指&猿腕ピアニストとして弾く。フジコヘミング氏のリハーサルピアニストや、漁師ピアニストの徳永さんにラカンパネラを指導。

なぜ、あなたは責任を転嫁したのか。

ピアノの練習が嫌になったのは、その子自身だ。
曲が難しく感じたのも、その子自身の感覚だ。
挫折したのも、その子自身の選択だ。

なのに、なぜそれを全部、私のせいにしたのか。


それだけじゃない。

あなたは、話し合いの扉も閉ざした。

「練習しない理由を、お子さんと話してみてください」
そう、私は提案した。一緒に考えようと思った。
親子で話し合うことで見えてくるものもあるだろうと。

そう、誠実に提案した。
意思疎通をするのは大切なことだ。


それなのに

返ってきたのは「音楽が嫌いになることを危惧する」という言葉。
画面の向こうから、一方的に送りつけられた批判。
娘さんの練習に対する挫折を、私の責任に転嫁するような言葉だった。

電話もなかった。
顔を合わせて話す機会もなかった。
ただ、LINEの画面に表示された文字だけ。

長年オンラインで指導していたオンラインレッスン生だったからこそ、たちが悪い。
こちらの表情も、声のトーンも、必死さも、何も伝わらない。
文字だけが切り取られ、解釈され、刃に変えられる。

「話してみてください」
その一言が、なぜここまでの批判になるのか。
なぜ対話ではなく、断罪を選んだのか。

予想はつく。
子どもの練習が進まない焦り。
どうしていいかわからないどうしようもない無力感。

でも、話し合うことを拒否したのは、なぜだ。
対話の扉を閉ざしたのは、なぜだ。

責任転嫁とは、自分の痛みを処理するために、誰かを傷つけることを選ぶ行為なんだよ!
一瞬だけ自分は楽になる。

でも、その矢を受けた相手は、何年もその矢を抜けずに生きることになるんだよ。

そして、対話の機会を奪うことは相手を「人間」として扱わないことと同じだ。

あなたは私を、話し合う価値のないものとして扱った。

私が許せないのは、その"無自覚さ"だ。

返ってきたのは「あなたのせいで音楽が嫌いになる」という越権発言。
そこから先の対話は、何もなかった。
なぜそう思ったのか。
どうしたらいいと思うのか。
何を求めているのか。

何も聞かれなかった。
何も話されなかった。
一方的に、私の存在意義が否定された。


その子も、何も言わなかった
もっと根は深い。

その子は、
「この曲、嫌だ」とも言わなかった。
「別の曲がやりたい」とも言わなかった。

ただ、練習しなくなった。
それだけだ。
誰でも練習したくないことはある。

伝えてくれなかったのだ。
何が辛いのか。
何に躓いているのか。
どうしたいのか。

もし「難しい」と言ってくれたら。
もし「この曲、合わないかも」と言ってくれたら。
一緒に考えられたのに。

曲を変えることもできた。
ペースを落とすこともできた。
目標を小さく刻むこともできた。

「伝えること」が、すべてを変えたかもしれない。
でも、誰も言わなかった。
その子も。
保護者も。
だから、何も変わらなかった。
そして、保護者は私を責めた。

意思疎通しなければ、何にもならないじゃないか。

だから私はブチギレた

「あなたのせいだ」と責任を押し付けられ。越権発言されたから。

私の存在意義を否定する権利は誰にもない。


今、社会で起きていること。

実はこれは私だけの話ではない。

2025年、文科省は保護者からの過剰な苦情を「学校以外が担うべき業務」と位置づけた。
東京都は2026年、保護者によるカスタマーハラスメント対応のガイドラインを公表した。

教師に対するハラスメントは、特別なことではなくなっている。
毎日のようにどこかの学校で、誰かが同じような刃を受けている。
そして、対話の機会すら奪われている。


伝えたいこと

責任転嫁をする人に伝えたい。

あなたの「助けて」は、そのまま「助けて」でよかったんだ。

でもあなたは、それを"「あなたのせい」という刃に変えた。"
そして、対話の扉を閉ざした。
そして、私の尊厳を傷つけた。

だから私は言う。
責任転嫁も、対話拒否も、許さない。
同じような刃で傷つく教師たちを、一人でも減らすために。
もう、誰かが「人権侵害だ!」と叫ばなければならない状況を、なくしていくために。

まじで理不尽すぎてたまらない。





#複雑性ptsd #自死遺族
バカにすんな!ふざけんな!
と言いたい。
"自尊心を傷つけるものは許さない。"

(始めましての方、私の「人生story」を軸に発信してます。)

───

「あなたのせいで、子どもが音楽を嫌いになったらどうする?」

── 普段のオンラインレッスンでのこともフワッとしか知らないで、練習しないからって責任転嫁して言ってきた馬鹿クソジジィのこの言葉を聞いた時、私の中で何かが音を立てて崩れた。
そして同時に、静かな怒りが奥底から湧き上がった。

バカにすんじゃねえ!!!!!!!!!!!!
越権発言だ!!!!一切関わるな!!!
あたしがどんだけ音楽に対する気持ちをもってるかわかる?
こだわりをもってるかわかる?
わかんねーだろぼけかす!!!



─何年ぶりだろうか。こんっなに久々にキレている。
存在否定にもきこえたからなのか?

私がどれだけの時間をピアノに捧げてきたと思っているのか。どんな想いで。
変形するこの指で、標準的な奏法が「向いていない」と言われながら、それでも音を探し続けてきたこの人生を、
何だと思っているのか。まじでふざけてる。なめんなくそが。


「あなたの指、ピアノに向いていないね」

───八歳の時に言われたピアノ指導者(オペラ歌手)のこの言葉は、今も私の中で生きている。言った本人は忘れているだろう。たぶん、何気なく、軽い気持ちで言ったのだ。でも、その一言が、どれだけの年月をかけて私の心に刺さり続けたか、想像したことがあるだろうか。

父の自死という絶望を、音に変えるまでにどれだけの歳月がかかったか。複雑性PTSDという見えない傷を抱えながら、それでも鍵盤の前に座り続けてきた日々を、何だと。

バカにするな!!!

人の尊厳を、そんな簡単に踏みにじるなくそが!!!
恨み潰してやるからな!!

───

自尊心というのは、誰にでもある。
それは時に脆く、時に頑丈だ。でも、どんなに強い人でも、核心を否定される言葉には傷つく。「あなたのせいで」「あなたが悪い」「あなたの存在そのものが間違っている」

そんな言葉は、人の心に深い傷を残す。
目には見えないけれど、確かにそこにあり続ける傷を。

私はそれを知っている。
父の死を、「家族の弱点なる恥になるから隠せ」と言われた時から。
表情が合っているかわからない自分を「おかしい」と思い続けてきた時から。

だから言いたい。

あなたの言葉が、誰かの人生を変えることがあると知ってほしい。
あなたの何気ない一言が、誰かの心を折ることがあると知ってほしい。
そして、もしあなたが誰かの自尊心を傷つけてしまったなら、それがどんなに重いことか、知ってほしい。

「バカにする」という行為は、
相手を下に見ることから始まる。
でも、本当は、誰も、"誰より上"にいない。

みんな、それぞれの傷を抱え、
それぞれの戦いをして、
ただ必死に生きているだけだ。

もう二度と、誰の尊厳も踏みにじらないでほしい。

私は自分の尊厳を守るために、声を上げ続ける。




「私という存在意義」

私という存在意義は、

ずっと、それを証明しなければ生きていけないと思ってきた。

生まれた日、母は私の指と爪を見て泣いた。「この子は不幸な人生になる」と。
その瞬間から、私は「存在すること」の許可を、
どこかで求め続けていたのかもしれない。
──
父は「死なない」と言って消えた。存在を保証してくれるはずのものが、突然、無になった。その時から、私は自分で自分を支えなければ、いつ消えてもおかしくないと思った。
だから、私は必死で証明してきたのかもしれない。


標準的でないこの指で、
それでも誰にも出せない音を鳴らすことを。
父の死という「恥」を、
音楽に変えられることを。
複雑性PTSDという「おかしさ」を、
それでも誰かの共感に届く言葉にできることを。


証明すればするほど、存在意義は確かになると思っていた。
でも、証明が増えるたびに、どこかでこんな疑問が湧いた。

「もし、何も証明できなかったら、私は消えていいのか」

---

最近、これかとわかったことがある。

存在意義とは、自分で「ある」と決めるものではない。
誰かに「ある」と認められるものでもない。

それは、
"ただ、そこに「在る」だけ。"

ピアノを弾いている時、「聴かせたい」という思いを手放した瞬間、指はただ動き、音はただ響く。
それだけで、私は「在る」。


ノートに「私はここに在る」とだけ書いた日、
その文字は、誰にも読まれないかもしれない。
でも、書いた瞬間、私は確かに"在る"のです。

---

存在意義は、何かを成し遂げた先にあるのではない。
存在意義は、誰かに認められた先にあるのでもない。

ただ、息をしていること。
ただ、音を鳴らしていること。

ただ、ここに「在る」と、自分で感じることなんだ。

その繰り返しの、その一つ一つの積み重ねが、たぶん、私という存在意義なのだ。

スワンネックの指で、今日も私は鍵盤に触れる。
父のいないこの世界で、今日も私は息をする。
表情が合っているかわからないまま、今日も私はここに在る。

それだけで、十分なのかもしれない。