柔道雑感②~履歴 | 男40にしてブログを始める。

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普段起きたことや思った事をとりとめもなく書いていきます。
あくまでも個人的な意見なので許してください。

まず何から書こうかと思ったのですが、私のバックボーンを明らかにします。

柔道を始めたのは小学校2年。父の影響です。我が家は道場ではないのですが、父が市の連盟でやっていた為私もたまに見に行っていました。
当時父は少年も指導していましたがまだ若かったので高校生位なら普通に稽古していました。そして強かった。運動神経の鈍い私にはとても眩しく見えました。
そして周りから「お父さん強いんだよ。君もやるの?」と言われたら、当然やる!と答えるでしょう。
しかし後日母から聞いたのですが「あいつは運動神経が悪いから柔道はさせられない。」と父は言っていたそうです。
さて入門した私。柔道は厳しく、痛いものでとても嫌でした。しかも火曜と木曜(途中から水曜と金曜)の19時から。テレビもみられません。(余談ですが私は世代ど真ん中ですがガンダムが全くわかりません。)よく、「なんで辞めなかったの?」と聞かれますが、単純に辞めるという選択肢がなかっただけの事。毎日稽古日は小窓から外を見ながら父が帰って来ない事をひたすら祈ってました。

試合で始めて勝ったのは3年生の時。組際の大外刈。相手の名前も感触も覚えてます。それ以来大外刈は今でも得意技。

しかし父は大外刈はあまり好きではありません。少年がやるには楽な技の為、最初は教えない方針なのです。
しかし私は使っていた。ここからも私が柔道をあまり好きでなかった事がわかります。

中学では柔道部に入部しました。しかしこれも実は消去法。当時は野球部が花形。だいたいみんな少年野球をやっており、私も野球部を考えたのですがどう考えても選手にはなれそうもない。
他の部はもっと無理。
で、柔道ならアドバンテージがある、という理由からです。

しかし柔道部は最も練習が厳しい部でした。
平日は朝と放課後。夏休みは朝から夕方まで。
内容も今なら問題になる位で、みんな血尿を出してました。
少しだけ書くと
まず800mある学校の周りを10周。これを練習が始まる前に。
準備運動後に復帰300回、腕立て伏せ100回。
更に当時はうさぎ跳びをまだやってたので少し声が小さいと畳の周りを一周しなければならず、気は抜けません。しかも体育館、バドミントンと卓球部がいるので窓は閉め切りです。

体育館で3時間、外でトレーニングを2時間やり、一日終了。
おかげで中学3年の時は、一人を除いて残りは全員50Kg台で県でベスト8まで残りました。先生が言うには「日本一練習して負けたら仕方ない」との事でした。
今でも思い出深いのは、その試合で負けた時。最後の試合であったにも関わらず、みんな「強い奴はいるなー」と淡々としていた事。これ以上練習できないから仕方ないと、みんなさっぱりしたもんでした。
この経験は今でも私に活きてます。
ちなみに一人だけいた70Kgの彼はその後東京からインターハイに出て大学も強豪大学に進み、主将を務めました。

ここまでで長くなったのでまた次回に。