名古屋方面から高山線に乗ると、岐阜までは進路方向とは逆向きの座席に座る事になってしまう。岐阜から高山までとは進路方向が逆になり、面倒なので、そのまま岐阜まで我慢。あっという間に岐阜に着いてしまうけれど、名古屋から岐阜間の逆方向の車窓が、妙に不思議な感覚を与えてくれる。どんどん過ぎ去る風景はまるで過去を早回ししているみたい。並んだ家々を眺めても、そこに個々の生活があるだとか、お庭が整備されてるだとか、町並みに特徴があるだとか、そんな感覚が全くなくなって、ず~っと遠い場所からまるで箱庭を眺める感覚。死んでから生前の有り様をぼんやりたどっている感じ。目にする風景はもはや同じ世界の息づかいは感じられない。不思議な時間を通りすぎて、岐阜に到着。そこで、いつも通り、座席の向きと列車の方向は同じに変わる。すると、風景もいつもの自分が存在する世界とちゃんと繋がっている感覚が戻り、家々、風景、洗濯物さえも、あ、私の住んでるこの地球の一角ね、という、当たり前な物に全て戻っている。おかしな感覚。タイムテーブルに乗っかっちゃったのかしらね?