私が尊敬し、理想像として追い求めていた人の昔に聞いたお話。その方がバスに乗っていたら、母親と小学生の高学年と思われる男の子がいて、その男の子が自分の母親を見て、すごく嬉しそうに見つめていたらしい。その様子を見て、その方は、「もう良い加減大きななりをして、子犬のように母親を見ている、あの姿が何かイライラしたわ。」と言っていました~。そこで私が「もし、それが息子でなく、娘だったら、どう?」と聞いてみると、「特に何も感じないわ。」とおっしゃってました。ところで、この方には一人息子さんがいらっしゃって、実は超がつくほどの、マザコン。その頃には、息子さんには既に娘さんが二人いらして、成人間近かだったと思う。その息子さんのお嫁さんともお話する機会があったけれど、お嫁さんは常々「自分の親を大切にするのは良い事だと思うけど、私も同じくらいに大切にされたいわ。」とおっしゃってました。お嫁さんにも問題が無いわけではなかったけれど、明らかに、“超マザコン”の様子は、今考えるとあからさまでした。母親であるワタシが尊敬す方も、やっぱり息子一番だったような気がする。その方がバスで見かけた状況に嫌悪感を感じるとは、なんなんでしょうか?よく、自分の関わる状況や人は合わせ鏡というけれど。今もその方にとって尊敬する人の一人にかわりなく、よく言われた“良妻賢母”の実像のような方でした。決して見苦しい弱音を吐かないままお亡くなりになりました。ただ、その方のお棺の前で娘さんが「あなたはとっても良い人間だったけど息子の育て方だけは間違えたわね。」言われたらしい😅  その他にも、お友達から聞かされる母親像、男性から聞かされる母親像、等々、ほぼ観音菩薩様のような感じを受けるお話を聞く。ドラマにも出てくるそういった女性像を見て、ある時私が「こんな女性は実際いるわけないわね」と反応すると、「昔はいたんだよ」と言ってた男性、いました~☺️やはり超マザコンでした。  女性が主婦として母親として懸命に努力する姿は素敵だし、ある時期わき目もふらずその役割に徹する事も大事かなとも思う。ただ、男性の中にスーパーマンがいないと同じで女性も役割を横に置いた時ひとりの未熟な人間なんですけど…。