「恥ずかしい」は自分の気持ちではない。

 

みっともない、きまりが悪い、申し訳ないなどといった感情は「社会的感情」と呼ばれます。この社会的感情とはいわゆる喜怒哀楽などの原始的な感情とは区別されて、対人関係の中で生じる高度な感情だと考えられています。

 

そして、この「恥ずかしい」という感情も社会的感情なのですが、恥ずかしいという感情がどのようなものかというのを、表現するのはなかなか難しいですが、とにかく、恥ずかしいと感じていることは、自分がその状況なり状態を恥ずかしいと判断しているというより、自分を見た他者(その場にいて恥ずかしい状態の自分を見ている人)が恥ずかしい状況だと感じているだろうと、自分が想像しているということらしいのです。

 

 

恥ずかしいと感じる状況を思い浮かべた時の脳の活動を記録した研究では、「心の理論」に関与する部分が活動したということです。心の理論とは簡単に言うと、「他人の心の存在に気づく能力」のことです。つまり、恥ずかしいと感じる感情は、その場にいる他者の心を読み取って、今の自分は恥ずかしいに違いないと想像した上で、それを自分の感情として感じているといややこしい状態だと考えられます。

 

 

確かにそう思えば、道で突然石につまずいてこけてしまったとします。誰かに見られていればとても恥ずかしくて痛みも感じないくらいだと思うのですが、誰もいなくて一人ならば、恥ずかしいと言うよりは痛みのあまり情けないような、がっくりと気を落としてしまうような気持ちになるように思います。つまり、他者に見られていること、そして他者がどのように思っているかということが恥ずかしいということのようです。

 

ですから、他者がどう思おうと関係ない、自分は自分だと割り切って考えることが出来れば、案外恥ずかしいと思うことは少なくなるのかもしれません。