自分の子供に付けたい名前
ブログネタ:わが子に付けたい名前
くいんです。
僕には奥さんもいませんし
自分の子供もおりません。。。

良い歳して未婚って
もしかして子供だけはどこかにいるんじゃない?


ってよく言われますが(笑)
決してそんなにふしだらではございませんので(笑)


さて、アメブロのブログネタに
「我が子に付けたい名前」
ってのがありました。

親になると
自分の子供の名前を付けてあげる権利を
持つことが出来ますよね。

皆さんならどんな名前を付けられるのでしょうか?

ちなみに
「2006年に一番多く付けられた名前は
男の子 大翔(ひろと)
女の子 陽菜(ひな)」
だそうです。

なるほど、
男の子なら大きく羽ばたけと言う想い、

女の子なら陽気で明るい活発な子になれ

そんな想いが名付け親から感じられますね。
大切な自分の子供ですからね・・・
名前のつけ方でも
絶対悩むだろうな
・・・って思いますが、僕なら、
信・義・礼・智・仁

のいずれかの文字は
是非使いたいものって思っています。
この漢字は何かって言うと
確か・・・僕もおぼろげですが(大汗)
聖徳太子あたりが十七条憲法作るにあたって
なんちゃら言っていませんでしたかね?


中国儒教の教えで、
人間に必要な徳の教えだったような・・・


(すみません、国文科の方、フォローを(笑))
里見八犬伝って物語では
忠・考・信・義・礼・智・仁・勇
でしたっけ???


(あまり記憶にありませんが(汗))
僕としては人間として生きていく上で
大事な「信・義・礼・智・仁」
と言うものを子供には持っていてもらいたい

そう思いますので、
僕または将来の奥さんの漢字1字と
信・義・礼・智・仁を組み合わせて
名前を付けたいな・・・
って思っています。


信・・・人を信じ、自分を信じる心
義・・・嘘をつかない、義理を重んじる心
礼・・・他人には礼を尽くし重んじる心
智・・・人知のさとりを持った大きな心
仁・・・慈愛に満ちた優しさ
こんな感じなのでしょうか。。。
で、僕が付けたい子供の名前は・・・

・・・・・・

って、言える訳ないでしょ(笑)


僕の本名がバレテしまいますよ!!


皆さんは僕がくいんって名前だと
思っていた訳ではないでしょうね・・・


それは、違います!!


それは、私のおいなりさんです(笑)


(なんのこちゃ
)(過去記事参照して下さい(笑))
ヾ(@^▽^@)ノ【65.5キロ】(→)
ケロケロケッケッケケツゲ
僕のペタの付け方について
ブログネタ:ペタしてますか?
くいんです。
僕のペタの付け方について
少しお話しましょうか。


僕はペタについては
記事を読んだらペタる

って感じですかね。
ペタ返しってことは
基本的にやっていないんですよ(大汗)

なのでペタして頂いて
ペタを返せなかった方のブログ記事は
読んでいなかったのです・・・(猛省)

逆に忙しかった時などは
記事だけ読んで
ペタをすること忘れることもしばしば・・・

もし、ペタを楽しみにしている方には
申し訳ないところですね。m(_ _ )m
でも、本当なら
ブログのトップページにいって
数分経過(1記事読むくらいの時間)
したら自動的にペタが付く機能が
出来たら良いのになって思います。

まさに
「自動足跡機能」

アメブロさんには是非考えて頂きたい機能ですね。
o(〃^▽^〃)o【65.5キロ】(→)
ヤーヤーヤー、ホーホーホー
毛利隆元のブログを読んでみたい!!
ブログネタ:この人のブログを読んでみたい!
くいんです。
僕が読んでみたい「この人のブログ」

なぜか僕は、もう死んでいる方なのですが
戦国時代の武将
「毛利隆元」(もうりたかもと)

って思ってしまいます。
3本の矢ってご存知ですか?


「1本の矢は軽く折れてしまうが
3本の矢をまとめて折ろうとしても
そう折れるものではない」
と言う有名な話なのですが、
これは戦国時代の大名で
山口・島根・広島を中心にして
中国地方を統一した
毛利元就(もうりもとなり)
が子供たちに残した言葉
(と言われる)
なのです。
毛利元就の息子達は大変優秀で
後々の世まで語り継がれるくらいの
凄い武将達でした。

毛利元就は下克上なども当たり前の
戦国時代において、
兄弟仲良く協力しあって毛利の家を支えていくように
わかりやすい例え話として
息子達に教えたのが3本の矢なのです。


で、前置きは良いとして

(え、こんなに長く前置き?(猛省))
毛利隆元とは毛利元就の長男さんです。
(次男は吉川元春、三男は小早川隆景)
昔は基本的に長男が跡取りとして存在していまして
嫡男(ちゃくなん)と言って良いでしょうね。
実はこの隆元は3兄弟の中で
(本当は3人男兄弟だけではありません(汗))
1番出来が悪かったのです。


剛の元春、智の隆景と言われた
弟達とはえらい違いであったと言います。
ここら辺でなんとなくお気付きの方が
多いのではないかと思いますが、


僕も3兄弟の長男、
そして優秀な弟達とは別に
超出来が悪く、目立っていない・・・

(自分で言ってて情け無くなってきました(泣)
)こんな辺りが僕の境遇にピッタリなのですよね。


で、話を続けますが、
この毛利家の長男隆元は
家督を継ぐか継がないかと言う時に
41才と言う若さで
死んでしまうのです?!

それも毒殺等の暗殺行為によって
(これも定説がいろいろあるみたいです。)
急死しているのです。


父の毛利元就より先に亡くなり
それも弟達に劣る長男であったにも関わらず
父からの信頼がとても厚かった長男の死は
毛利元就を大変に悲しませたと言うことです。
そう、長男の隆元は
毛利家の縁の下の力持ちで
兄弟のように特別な才能にたけていなくとも
人柄・人望・人徳にたけた
まさに父毛利元就が本当に毛利の後を
継いでいくに相応しいと思っていた
長男であったようです。


これは後に弟達、次男元春・三男隆景も
長男隆元を敬服するくらいに・・・・
まあ、僕なんかは
長男隆元と平行して話をするような
立派な長男ではありませんが
父毛利元就が悲しかった思い
その父より先に死んでしまった
長男隆元自身の気持ちは
いかばかりであったことか・・・

それも長男隆元は
自分だけが劣っているにも関わらず
毛利家の跡取りとしてくれている、
そんな父に申し訳なく思っている中で
父より先に死んでしまった自分・・・
なんだか人ごととは思えない気持ちになります。
出来の悪い跡取り長男としての
赤裸々な気持ちを書いてくれるブログ、
「毛利隆元、
長男と言う肩書きブログ」

なんて読んでみたいものです。
まさに僕は1日に何回も
読み返してしまうことでしょうね(笑)


ちまみに長男隆元が死後
毛利家は出来の良い弟達が継ぎそうなものですが
父毛利元就および弟達は
長男隆元の息子
毛利輝元に毛利家の家督を継いでもらったのでした。

その長男隆元の息子輝元とは
あの関ヶ原の戦いで東軍徳川家康と戦った
西軍の総大将毛利輝元です。

さすがにこのような家系です。
明治維新までも続く
名門毛利家が出来上がる訳ですよね!!


(確か長州藩(山口県)の藩主は
毛利敬親(もうりたかちか)って言いましたっけ?)
僕の長男としての役目が
「毛利隆元、長男と言う肩書きブログ」
で勉強できるのだと確信しています(笑)


(ここまで読んで頂き
ありがとうございました!!)
Zzz…(*´?`*)【65.5キロ】(→)
モーモーモケーション、ベイベェー

