当時から体制に疑問を持つ子だった
次男の鼻歌が、ロックに聞こえたので、そこからじわじわと、そしてガンガンと高校時代に聴いたグランジやラジオから流れた懐メロを聴いているのだが
音は、気持ちをのせてくれるから、当時どんな心境だったかを鮮明に思い出せる
音楽なんて、長男の流すヤカマシイ(失礼!)下ネタ連発編集動画ぐらいしか聴いてなかったから、
古い日記を読み返しているようで、あの頃の自分を愛おしく、あのときの体験を再び味わっている感覚
歌の歌詞は頭に入って来ないのだが(英語だし)、メロディやリズム、音の出す雰囲気が、退廃的(?!)な世界観を表していて、一つの宇宙のように、自分を覆ってくれる
「音楽は内面(内界)から外面(外界)を繋ぐツール」ミュージシャンのASKAさんが言ってたけど、その通りだな
今さらながら、歌詞の意味を調べてみて、政治的メッセージに気づいてへぇという感じ
中学生のときは、校則の意味が分からず、なんで制服着なあかんねん!、なんでこんな硬い重いカバン持たなあかんねん!しかも高いから新しいの買ってもらえんし!って内心もの凄く反発していた
誰も教えてくれんから、反発するしかなかったんやと思う
あらゆることが疑問でしたね、クラスの代表とかも意味わからなかった
話は今に飛んで、次男が学校へ行かないことも、行きたくない気持ちもすんなり理解出来てしまうから、自分は当時の子どものままだとも言えるけど、いまだに学校の存在が昭和と変わってないことにドン引きする
世の中はAIだし、スマホみんな使ってるし、リモート会議やら、現金持ち歩かないでも数字のやり取りだけで生活出来ちゃうし(自分はニコニコ現金派だが)
学校だけは、まだ生き遅れ???
タブレット授業の導入とか、部分的には時代に乗ってる風を装っているけど、本質は変わっていない
「ルールに従う子の育成」
だから、つまらないのよ
いや、ルールに従うことが悪いとは言わないし、それを樂しんでいるなら良いと思うけど、みんながみんなそうではないから
自由が好きな子もいるから
次男はマスク嫌いなのでしないのだが、コロタン真っ盛りの頃、学校の友達Yくんとコンビニへ行く瞬間、
「◯◯さん、マスクしようね」と勧められてるのを横目に見た
この「◯◯さん」という呼ばれ方も学校仕込みだし、
学校や世間一般の大人からしたら百点満点のYくんの呼びかけが、わたしには「大人もしくは体制に作られた子ども」にしか見えなかった
敬語はしっかり使えるし、世間一般に「正しい」とされることをやれる子
わたしにはそんな子が正直つまらなく見えてしまう、だって本来のその子ではないのを知ってるから、作られた部分を見ているだけだから
次男は敬語使わないし、マスクもしないし、地味で控えめだけど、オリジナルがあって面白い
親だからひいき目で見ているのかもしれないが、それでも構わない
だから、Yくんが親から離れて次男と自由に遊んでいるときは微笑ましく思った
そんな次男もいまはYくんとの遊びには飽きたようで、違う子と遊んでいる
相変わらず何を書きたいのかよく分からないブログだが、
しばらくは疑問をたくさん持っていた自分、体制に反発していた自分に再会しながら、音を聴いてみることにする
では、また〜