引っ込み思案で人見知りの強かった自分

そんな自分が14歳で渡米し、ハイスクールでみっちりアメリカ式自己主張を覚えた

 

といっても、両親は生粋の日本人だし、日本の教育を受けていたし、

親しい友達は日本人だったりするから、

心は日本人なのだが

 

アメリカらしいハチャメチャをやりながらも、「日本人であらねば」という意識が常にあったので、帰国を意識したあたりから、その「日本人はこうでないと…」みたいなぎこちなさがあったと思う

 

「人に失礼なことしちゃダメだ」とか「こうあるべき」みたいな思い込みで、自分で自分をどんどん窮屈にしていったけど

 

長男が生まれてこの方ずっと連続でいろんな変人っぷりを見せてくれて、

次男も地味にかたくななマイペースをしっかり見せつけてくれて

 

わたしは再び天真爛漫さを取り戻したかもしれない

 

今朝はシンディ・ローパーを聴いてしまい、ますます80年代の大好きなアメリカを思い出し

(わたしがいたのはバッキバキの90年代オルタナティブロック時代だったが)

 

ついでに、高校時代にのめり込んだロック音楽を聴いてしまい

 

ますます「そのまんまの自分」でいいことが心地よく、肩も凝らず、楽ちんだということを嚙み締めた

 

母というのはひとつの役割だけど、ずっとその係をしていたら頭がおかしくなる

 

子どもから離れ、解放され、一人の自由な時間を持つことで

本来の自分を取り戻して、自分が何者であったか思い出し、

再び「母」という他に類をみない面白い役割を演じることができるのだ

 

自分が親から心配され、いつも構われるのが嫌で嫌で仕方なかったから、

子どものことを信頼し、心配せず、何かに集中していたらそっとしておいてあげる

 

まだまだ、構って~の方が強いけど!!!特に長男は…汗

だからこそ、第三者に預け、少しでも「母」としての負担を減らしていくのだ

もう、そこには罪悪感はない(きっぱり)

 

では、高校時代の青春ソングをもうちっと聴いてみることにするw

 

では、また