「人生のしまい方」について原稿二枚のエッセイを書きはじめたが、どうも進まないが何故だろうか。遺言とか、エンディングノートか、身辺整理とかしまい方でやらなければと思うことはある。しかし具体的に実行となると、取り掛かる気がおきないしやれないままになる。どうもせっぱつまらないからだろうか、どうもそれだけでもない方なきがする。
一つ思い当たるのは自分の死の時期が特定できず、正確に予想もできないからではないか。
転ばぬ先の杖と言う類ではなく、他者の死は認識できるが自分の死は認識できないため、自分の人生のしまい方も意識できないと思う。
それでも書かねばならないとすれば、まず自分の死期を決めねばならないことになる。
月日時刻までは無理としても何歳で幕引きと特定するより仕方ない。
やはり「人生のしまい方は」は書きにくい、いつ死にますかと聞かれるようで…。