「Doing or Being」は「する(能動的)か ある(受動的)」である。
何のことだろうかと考えてしまうが、T紙人生のページにあった「する仏教からある仏教へ」▸上のみだしに惹かれて読んだタイトルだ。
大谷派T師の親鸞の教えの解説であるが、過去の体験に支配されない今を肯定、受容する親鸞仏教は「ただ念仏」があるのだと言う。
もっともこの▸下を全部読まないと十分に理解できないだろうが、妙に気にかかることがある。
それはする(能動的)と ある(受動的)の二項対置のような考え方である。
とくに宗教では善悪も生死も対置ではなく、同じ全体の一部ではないかと思うからだが。地獄も極楽も同じ世界のうら・おもてで、一枚の葉っぱの表裏の違いと見るべきではないか。「Doing or Being」もこれと同じと考えたいが、次回の▸下を注意して読もうと思う。