今日のブログは・・・・・。
『なぜLilyが、体温上げることの大切さ』
『治療費より予防費を』
と伝え始めだしたのか?
そして工藤由里を知らない方にどんな人間かを知ってほしいから
今までの大きな出来事の事実だけを書きます。
私は、生まれた時から健康体だった。
水泳・バレーボールと大好きなスポーツをして過ごしてきました。
体の大きさに恵まれ、(小学校6年生で164cm)たせいもありですね。

この写真は小学校で黒ンボ大会という行事があり、優勝した時の写真です。
それだけ水泳を毎日していたのです。(野外プールは当たり前の時代)
私が23歳。
突然の出来事が起こりました。
肺がん
パパが肺がん末期で余命6ヶ月の宣告。(全くの病気しらずで休みもなく毎日朝早くから働き仕事の合間をぬっては大好きなゴルフに行っていたのです)
初めて病気と向き合う出来事でした。
2年の闘病生活をおくり、56年間という人生を終えました。
そんな辛いことも時間というものは忘れさせてしまうんですね。
タバコの吸いすぎで肺がんになり死んでいったパパを見ていたのにタバコを止めることもせず・・・
『若さ』と『家庭を持っていなかった』
ママの辛い気持ちもわからなかった。
未亡人になるということを。
そしてまだ癌の予防に対しても意識は芽生えなかったのです。
ただママは私に言い続けていました。
『パパに1番似ているからタバコはやめなさい。食べ物を気をつけなさい』って。
子宮頸癌
25歳で結婚し3人の子供にも恵まれ、専業主婦しながらコンビニにも行くことが贅沢だと感じながら生活していた。
末っ子の次男を出産し1年が経ちママから30歳も過ぎたから子宮検診へ行きなさいと押され、何の不安もなく検診。数日後結果を聞きに受診するとグレーなので再検査ですと。
少しの不安はあったがまさか私が癌になるなんてありえないくらいの感覚で再検診をしたのです。
そして・・・
『子宮頸癌の初期』を宣告された。
真っ先に頭を過ぎったことが『死』
そして『子供達』
長女は6歳だったからある程度わかり私と抱き合って泣きじゃくったことは今でも忘れないです。
まだ幸いに初期だったので治療方法はたくさんあり命にも別状はないと言われたのですが、私が選んだ方法は子宮全摘。
3人の子供達だけですっごく有難いし何よりこの子供達と一緒にいたい!それしかなかった。
担当医はまだ若いから全摘はしない方がいいのでは?と言ってくれたが私は意思を曲げませんでした。
この時はまだ、ママの心。。。わかることできなかった。自分のことと子供達のことで頭がいっぱいだった。
56歳で夫を亡くし、娘が癌宣告された母親の心情。
今でこそ、私は理解出来る。
熱せい痙攣で発達障害が
末っ子は生後6ヶ月くらから熱せい痙攣を繰り返し熱が出るたび救急車。
そして入院。
あの痙攣は何度経験しても慣れることはなくパニックになってしまいました。
みるみるうちに唇が真っ青になっていき死んでしまうんではないか?という恐怖に襲われ救急車が到着するまでの時間がとっても長く感じました。
何度も繰り返すので発作予防で薬を飲むようになってしまい、どこか出かける時は必ず痙攣止めを持ち
小学校になれば落ち着くだろうからそれまでは続けましょうと。
痙攣は呼吸が止まり酸素が脳に行かなくなる。そんなことが何度も起きてしまったため保育園の時に
発達障害が若干ありと言われ、団体での行動に遅れをとってしまうこともあり副担任の保母さんがついてくれたり・・・
小学校では低学年までは集団で行動できていたが高学年になり勉強の方も少し難しくなり少人数での授業を受けられるように学校が配慮してくれたり・・・
高校受験もどうなのか?と不安な時もあったが、
たくさんの方々の力があり今では高校生活を送ることができています。
当時の私は末っ子の発達障害をこうやって話すことなんてとてもできなかった。
なぜ?なぜなんだろう?
と悔やむことばかりしていました。
そして末っ子を特別扱いし他とは違うんだから・・・かわいそうなんだからしょうがない。。。となんでも私がしてあげてしまっていたから、それも今考えたら間違っていましたね。出来ることもできないようにしてしまったのは私でした。
次なる出来事。パニック障害
35歳で美容の世界に入り、開業しました。
理由は太っていた私が痩せることができすごく嬉しかったことと、収入面で経済的に楽になれると感じたからです。
痩せたらこんないいことがあるんだ!こんなに楽しい!ということを伝え続けていたら口コミが広まりお客様はたくさん来てくださり賑やかなサロンとなっていました。
オープンして2年くらい経った頃。
足首を骨折してしまったのです。

この写真は骨折直後。
夕方になるにつれて腫れがひどくなりギブスがパンパンになってしまったのです。
この時急な不安感と恐怖心に襲われ当時のスタッフに病院へ連れてって!と大騒ぎし、救急に運んでもらったのです。
しかし担当医はすぐ来てくれず、もう私はパニック!いいからこの足を切っちゃって!と診察室で叫び自分の足を叩いていたのです。
そうしているうち医師が来てギブスを電動のこぎりで切ってくれたら私は落ち着きを取り戻し、さっきまでの不安感と恐怖心はなくなったのです。
しかしまたギブスをしないと骨がひっつかないから。。。と言われたのですが私はまたあの思いが来そうで拒否。
そこで医師が考えてくれたのが真っ二つに切ったギブスを合わせいつでも外せるように包帯で縛りましょうと。
これなら安心。
数日後、デスクワークをしていたら急に息苦しくなりなんとも言えない恐怖感に襲われ救急車で病院へ。
到着し診察されようとしたら何ともなくなっていて。。。
あれ?どうしちゃったんだろう・・・
そのまま帰ってきて仕事に戻ったのです。
でまた数日後、仕事終わり車運転し帰宅途中にあの恐怖感がやってきたのです。
この思いは言葉では表せないです。
なったものでしかわからないと思います。
そんな出来事を友達に話したら
『いいからすぐ病院行きな!心療内科に!』
と言われ、私は言われるがままに行き状況を伝えたら、
『パニック障害ですね』と。
その時初めてパニック障害という病気の存在を知ったのです。
パニック障害とは寝不足や頑張りすぎの時になりやすいと。。。
確かに当時は仕事が楽しくて楽しくて毎晩3時間くらいの睡眠時間でした。
まさか私が。。。パニック障害という病気になるなんて。。。。
信じられなかったです。
そこから今までできていたことができなくなってしまったのです。
●運転ができなくなった。
●一人でどこへも行かれなくなった。
●電車・バス・飛行機乗れない。
●歯医者行かれない。
●美容院行かれない、
●高速道路
●トンネル
●胃カメラ飲めない
などなど一人だと不安でいろんなことができなくなってしまったのです。
気長に薬物療法で様子みましょうと。
それから7年間かけほぼ克服しました。(全てではないけどね)
意外に精神面弱かったのか・・・
てんかん
そして今から、5年前。
突然の出来事がまた起こったのです。
長女17歳夏。
私と工藤さんは東京へ出張でした。
何度も母から着信が入るので打ち合わせ中だったんですが、席を外させてもらい出たら、
今、長女が日赤に運ばれたからすぐ帰ってきて!とママから。
ただならぬ状況を感じ、途中退席させていただき、車を走らせ病院へ向かいました。
その2時間30分。
渋滞にイラつき、私の心臓ははち切れそうなくらいバクバク。
ママも動転してしまっていて電話口で話ができずとにかくすぐ来て!とだけだったので余計状況が心配だったのです。
病院に着き、主治医に話を聞いたら
『てんかんの脳波が出てます』と。
えっ?
てんかんって何?どういうこと?
治るの?治らないの?
どうなっちゃうの?
子供の病気というものは本当に辛いです。
自分が変わりたい!自分が苦しむ方がどれだけ楽か・・・
私はてんかんということを認めたくなくてサードオピニオンまでしました。
しかし全ての医師の診断は同じでした。
長女に申し訳なくて申し訳なくて。。。
遺伝ではないと言われたが、私の責任。
どうやっても治してあげたい!治したい!という思いでした。
てんかんという病気は、決して命に関わる病気ではないが、危険がつきまとう。
一人での入浴は避ける。
高いところは登らない。
プールや海も一人では入ってはいけない。
と行動制限があるのです。
薬の飲み忘れに注意しなくてはいけない。
飲み忘れると発作が起きるから。
てんかんというのは本人は全く記憶がないため、どんなことが起こるのかわかっていないから薬の必要性がわからないんです。
毎日私が口うるさく飲んだのか?確認するからそれが煩かったんでしょうね。
飲んだと。。。
案の定。
発作が起きました。
突然、食事をしている時に椅子から落ち全身硬直し呼吸も止まり。。。
こんなことが何回も起こりました。
だから私は出張や仕事中に家からの電話にはすごく敏感で必ず出るようになってしまいました。
そんな長女も一昨年結婚し昨年赤ちゃん授かることができました。
もちろん、薬は今ではしっかり自分で管理し飲んでます。
長女もやっと、てんかんという持病持ちだということを認められるようになり、今回のブログでの開示も快く承諾してくれたのです。
なったものはしょうがない。前を向いて歩いていくのさ!ですって。
母になると強くなるし、わからなかったことがわかるようになるんだよね。
そして。。。
まだ続くのです。
そのてんかん発症から1年後。
膵胆管合流異常症
倒れる1ヶ月前くらいから胃が急に痛くなったりを繰り返していたのです。
近くの病院に行ったら胃潰瘍かも。。。と言われとりあえず薬を処方され飲んでいたのです。
ある日の夜、家族で外食から戻り着替え途中に突然の鳩尾あたりの激痛。
呼吸かできないほどの痛み。
動けない。
ちょうど末っ子が近くにいてくれ、私の異変に気付き、リビングにいた工藤さんを呼んでくれてのです。
私は救急車を呼んで・・・それだけをいうのが精一杯。
横になることもできないくらいの痛さ。
救急隊員が来てくれ、座位のまま運んでくれました。
緊急でいろんな検査をしたが原因はわからずとにかく痛みを抑えてほしいと痛み止めを処置してくれましたが効かない。
強めの薬でやっと落ち着いてきて朝方一旦帰りました。
午前中再度、消化器科へ診察に行ったら、
そのまま入院させず申し訳ありませんでしたと・・・
このまま入院で手術となりますとの説明。
工藤さんと唖然・・・
その日は長男の三者面談の日だったのでとりあえず学校行ってきますと一旦病院を後にしたのです。
わけがわからず、入院支度をし入院。
そこから絶飲・絶食だと。
胆管に管を通したん汁だし。
現状がしっかり理解できずにいたんですが会社・家・段取りしなくちゃ。
家はママと工藤さんにお願いするしかない・・・
まだ3人とも高校・中学・小学校だった。
まだ私もパニック障害を克服してはいなかったので病院で一人で寝るなんてとても出来ない・・・
担当医に相談したらご主人に泊まってもらいましょうと工藤さんも病室からの出勤生活となったのです。
とても珍しい病気らしく同じ病気の方はいなかったですね。
だから余計癌なのでは?といろんな事を考えてしまい10cmくらいの大きな円形脱毛症にもなってしまったのです。
手術は8時間かかった大きなオペでした。
今でも入院時の事は全て覚えています。
麻酔が切れた後の痛みは本当に辛かった。
30cmほど開腹したので笑うことすらできなかったです。
この病気を機にタバコもきっぱり止めました。
この入院中に考えさせられることがたくさんあり気付きもあった。
母・妻・子供・娘・経営者
いろんな立場での感情を体験し最後は家族だと。
家族を失うこと。
子供が病む。
自分が病む。
こうならないために予防が大事なんだと。
なってからでは取り返しがつかない。
経験した私だから伝えられる予防の大切さ。
健康のありがたさ。
ここから私は新たなスタートを切ったのです。
ダイエットをしよう!はもう古い。
これからは体温を上げようの時代へ。
とにかく毎日笑っていてくれるだけで
幸せ。
子供達には心からそう思います。
いろんなことが起こったが今ではこうやって開示できるくらい克服し新たなチャレンジをしています。
病気になっても保険があるからいい・・・という人もいるが、お金だけの問題ではないのです。
どれだけ心が病むか・・・
苦しいか・・・
だから治療よりも予防を!
それがLilyのしたいことなんです。
周りのみんなが予防しててよかった!って思ってもらえたら本当に嬉しい!
そんな声が飛び交うコミュニティーを作っていきたいのです。
長文、読んでくださりありがとうございました。
最後に長男に関しては本当に環境に恵まれたいい人生を送ってくれている。
これからどんな壁が待ち受けているかわからないが私はどんなことをしてもサポートする。
大学生活をエンジョイしてくれていて有難いことです・

























