先日、地下鉄で、
部活のジャージを着てる女子高生4人組がいたのね。
みんなでおしゃべりをしながら、
1人はノートに何かを書き、
1人は前髪を直し、
1人は眠たそうで、
1人は携帯を触っていた。
それは彼女たちだけの、
ゆったりとしていて、
でも忙しく慌ただしい、
一生続くと勘違いしてしまうような日常。
大人や、部活が異なる同級生でさえ入れない空間。
高校生時の友達には、
妙な、
言い換えれば、特別な絆があるのかと。
その特別な絆のことを、
“きらきら”と呼ぶことにする。
こないだわたしは、
高校生の時、同じ部活だった友達数人とご飯に行った。
随分久しぶりに会ったので、
近況とか、恋愛事情とか、仕事のこととか、
話すことはたくさんあった。
だけど、
話の内容が少し大人になっていただけで、
ノリや、笑いのツボ、テンポ、相槌、など、
そいったものは全くもって変わっていなかった。
わたしたちは、
高校生の時にしっかりと“きらきら”を築き上げたので、
年齢を重ねても、
頑張る場所が変わっても、
車を所有するようになっても、
「結婚」が現実味を帯びてきても、
もう何年も会っていなくても、
会うとあの時の空間を取り戻せる。
“きらきら”は、
心地よさであり、わくわくで、
変化するものであるが、
ある種普遍的なものである。
わたしは“きらきら”という表現を使ったが、
人はそれを「一生もの」と言うかもしれないし、
「かけがえのないもの」と言うかもしれない。