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三日坊主はダメ!学びこそ老年の「心の快楽」のために大事

キケロ『老年について』を読む(6)学びは老年に向いている

本村凌二

本村凌二

東京大学名誉教授/文学博士

情報・テキスト

『老年について』(キケロー著、中務哲郎翻訳、岩波文庫)

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老年期のソポクレースは色事から逃れて喜んだが、老年になっても心の華やぎはあったほうがいいという意見もある。一方、肉体の快楽から離れた老年期は、新しいことに挑戦したり学んだりすることが大事であると語っている。同時に専門性を持つことも大切だと本村氏は言う。三日坊主ではなく「30年続ければ何でも本物になる」といわれるように、自分が好きで向いていると思うことがあれば、そういうものを若い頃からつくっておくことが、老年になってからの楽しみの大きな分かれ道だということだ。(全9話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)

時間:09:04
収録日:2023/06/12
追加日:2024/02/10

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≪全文≫

●色事と老年――逃れて喜ぶべきか、心の華やぎはあったほうがいいか


―― 続いて飲食の楽しみから色事のほうに話が移り、こんな言葉があります。

 「既に老衰期にあるソポクレースが、色事の方はしているかと尋ねられ、『桑原桑原、粗野で凶暴な主人から逃れるように、まさにそれから逃れて喜んでいるところだ』と言ったのは良い答えであった」

 そこから逃れて喜んでいるということですが、「いや老年になっても華やぎのようなものはあったほうがいい」といった意見もあると思います。先生はこの心の華やぎ、色事と老年について、どのようにお感じですか。

本村 若いときのようにワーッと盛り上がるというより、歳をとると「好みの女性」がはっきりしてきます。もちろん若いときからありますが、自分の経験を通して「こういう人がいい」「こういう優しさが足りない」など、いろんな思いが出てくる。そういう人とは極端な場合、男と女の関係になってもいいのではないか。

 今はとにかくジャーナリズムで「不倫は全部、刑事犯」みたいにいわれます。芸能人や公人の場合そのようになりやすいけれど、実際の行為があるかは別にして、そういう触れ合いがあったほうが絶対楽しいと思います。
 

●老年の「心の快楽」へ――学びの大切さと誰にも負けない専門性


―― 続いて色事と関連する話として、老年になってからの学びを推奨する箇所もあります。

 「老年にとって、いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間が満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身と共に生きる、というのは何と価値あることか。まことに、研究や学問という糧のようなものが幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ」

 「先にも述べたが、ソローンがある詩で語った例の言葉、『自分は日々多くを学び加えつつ老いていく』というのは見上げたものである。このような心の快楽にもまして大きな快楽は決してありえないのである」

 肉体の快楽から離れたことで心を高めやすくなるという論考で、老年の学びの大切さが語られています。新しいものに挑戦するお話が先ほどもありましたが、老年で新しいことに挑戦する、あるいは学びを加えていくのは大切なことでしょうか。

本村 新しい趣味に挑戦するのももちろん大切ですが、何か専門性を持つことも大切です。専門の学者になるという話ではなく、「ここについては誰にも負けない」という分野を持つ。「俺は競馬が好きだから、競馬の血統については誰にも負けない」といったものがあると、みんな敬意を持ってくれます。「あの人の話を聞け」といった具合です。

 そういうものを持ち、いつも情報を自分なりに仕入れ、整理していく。そういう意味での専門の趣味です。

 昔よく言われた、「3日でやめれば、ただそれだけ。3年続ければ、まあまあ。だけど30年続けたら、本物になる」ということです。

 だから、70代以降を老年とすると、40代ぐらいから何でもいいから趣味をきちんと持つ。本当に自分の興味のあることについて、それに対するアンテナを持ち、広げていく。あるいはその中での人間関係を築いていけば、70代になったときに絶対違います。

 それを定年退職してから急に始めようとしてもダメです。だからカトーが言っているのは、ある程度若いときから準備しておかなければいけない。定年になってから急にできるものではないということです。

 趣味といっても、これはデカルトの非常に大事な言葉ですが、ピアノやテニスの練習と、学問や思想は違うと。ピアノやテニスは、ある意味、同じことを何度も繰り返しているうちに、だんだんうまくなります。

 ところが学問は、自分の専門だけやっているのではなく、例えば歴史にしても、私のように古代ローマ史が専門でも、それだけでなくギリシアにまで広げて、それから日本にもということで、基本はローマ史でいいけれど、そこから話を広げていくと。

 私も『テルマエと浮世風呂』を書いて、古代ローマと江戸時代の比較をしました。すると物事の見え方が違ってきます。江戸だけやってる人が江戸について「江戸はこうだ」と言い、ローマだけやってる人が「ローマはこうだ」と言うよりも、2つを比較して「こうだ」と言うほうが意識が非常にクリアになります。
 
 テニスやピアノは同じことを何度も練習することで上達するけれど、学問や思想は周りに視野を広げることで、初めてクリアになる部分がある。

 もちろんテニスでも何でもいいし、やり方はいろいろありますが、自分の好きで、それが向いていると思うことがあれば、三日坊主ではなく30年続ければ何でも本物になる...

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