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第二次独立戦争か第二次ナクバか…悲劇的なガザ戦争の行方

パレスチナ問題…解決への道(1)当事者双方に最悪なガザの悲劇

 

山内昌之

山内昌之 東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授

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先の展望が見えないガザにおける軍事衝突に対して、私たち日本人は言葉を失っている。ガザ戦争は、イスラエルによって「第二次独立戦争」と定義されつつあり、パレスチナ人は「第二次ナクバ」だという解釈をする人たちも多いという。いったいどういうことなのか。現在ガザを襲っている悲劇の構造とその歴史的背景や中東特有の事情を見直していくことから、遠い中東の問題に対して、日本人は「何を考え、なすべきか」に接近していきたい。(全6話中第1話)

時間:11:42
収録日:2023/12/11
追加日:2024/01/15

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●ガザ戦争は「第二次独立戦争」か「第二次ナクバ」か


 皆さん、こんにちは。

 ガザにおけるハマスとイスラエル国防軍との武力衝突は、ますます陰惨な様相を呈してまいりました。ガザの市民たちを無差別に巻き込んだ戦闘というものが今後どうなるのか、大変憂慮されるところです。

 ガザ戦争は、イスラエルによって「第二次独立戦争」と現在定義されつつあります。ユダヤ人などに約1400人の死者と、200人以上の人質(被拉致者)を出した(10月の)ハマスのテロ攻撃には、イスラエルには「第二次ホロコースト」というような名前さえ与える人がいるわけです。

 いうまでもなくホロコーストとは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが欧州のユダヤ人を組織的に殲滅し、虐殺した不法行為を指しています。この歴史的な犯罪行為と、今回イスラエルの青少年を中心とする若者たちに対するハマスの攻撃を、アナロジー(として)パラレルに考えているところが大変特徴的です。

 他方パレスチナ人は、今回のガザ攻撃を「第二次ナクバ」と呼んでいます。ナクバというのは、1948年のいわゆるパレスチナ戦争、すなわちパレスチナ分割決議に基づいて、イスラエルが「エレッツ・イスラエル」に始まる独立国家宣言を行った。これに対して、反発したパレスチナ人をはじめとするアラブ諸国の人々が戦争を開始し、アラブ側すなわちパレスチナ人は大敗北を喫します。

 こうして故郷を喪失し、つくるべき国家を持たなくなって流浪していくことになる大量難民を出したこの大惨事のことを、アラビア語では「ナクバ」と呼んでいます。今回のイスラエルによる戦争は、パレスチナ人からすると「第二次ナクバ」だという解釈をする人たちが多いわけです。

 すなわちイスラエル人とパレスチナ人の双方が、いずれも今回の事件を、彼らが歴史において一番高い価値を置き、一番悲劇的かつ許すことのできない記憶と比較している(わけです)。そうした大きな事象と比較されるべき事件であり、歴史事象であると位置付けていることが、まことに特徴的です。
 

●ガザ「人道的休戦」を否定するイスラエルの立場


 これらについて現在、私たち日本人あるいは日本の人々はどう考えているのか。あるいは日本の人々が感じる疑問などについて、私なりに少し整理しながら、私の知見の及ぶ範囲で、その答えに接近してみたいと思います。

 第一の疑問としてすぐに浮かぶ疑問は、このガザ戦争という悲惨な争いはいつまで続くのだろうかということです。これは、イスラエル軍(イスラエル国防軍)が、ガザにおいて政治と軍事を指導してきた、そして現在も指導しているハマスのリーダーたちを捕捉し、あるいは人質を解放するまで続くということです。

 したがって、このリーダーたちの捕捉(最近では「殺害」という言葉さえ出てまいりました)がいつ達成されるのかということは、時間の問題ですので、限定することはできません。今の段階で将来を展望し、確定的に申すことはなかなかできないのです。

 少なくともイスラエルは、国連より度重なる形で、安保理でアメリカなどが拒否権により否決した、「人道的な見地からの長期停戦や休戦」の呼びかけには応じていません。なぜ応じないのかというと、今回の軍事作戦の目的はハマスの組織としての殲滅と、その指導部の一掃を図っている(からだ)ということです。

 したがって、こうした作戦を中途半端に終わらせることをイスラエルの首脳たちは認めていないし、望んでもいないということです。もし長期停戦をすると、ハマスの幹部に組織の再建や外部からの補給の見直しなど、次の戦闘再開あるいは次のテロ等をはじめとする挑発行為などの準備をさせることになるかもしれないというのが、イスラエルの憂慮しているところです。

 いわばウクライナにおけるロシアの立場と同じく、侵略者に対して報酬を与えれば一時は攻撃やテロを抑えられても、将来に同じことを繰り返すというのが、イスラエルの立場です。もっともこの立場は、それぞれ正統性と大義を持って戦っていると自負するロシアや、この場合はハマスの側から見ても同じことがいえるかもしれない。このように、これはある意味で大変非対称的な争いでありながら、戦争の基本的な性格として持っているものは似通ったところがあるということです。
 

●オスロ合意「2国家解決案」の行方


 しかし、ガザのハマスを伸長させ、拡大させ、力量を強めた原因はどこにあるのかということについても、私たちは冷静に問題を見極めなければならないかと思います。

 それは、1993年のオスロ合意に基づく、いわゆる「2国家解決案(2 state solution)」です。これは、広い意味でのパレスチナ(歴史的なパレスチナの地)にユダヤ人国家としてのイスラエルとアラブ人国家としてのパレスチナを、二つの独立国家として併存させる形であり、それぞれの民族自決と国家主権を認めていこうという考え方が、オスロ合意(1993年)の基本にありました。

 この「2国家解決案」がうまくいかなかったのは、はっきりしています。それは、ラビンやペレスの労働党内閣がやがて政権交代(を迎え)、あるいはラビンの死によって最終的には今日のようにネタニヤフあるいはネタニヤフのリクード党を中心とする極右や右派の連立政権に政権を譲りがちになったからです。

 この中でネタニヤフに実は相当な責任があると私は推量しています。日本ではあまり語られていませんが、ネタニヤフは過去13年以上も、この「2国家解決案(2 state solution)」の実現を阻むために、ヨルダン川西岸の土地の一つであるラマラに首府を置いているパレスチナ自治政府(略称PA)の力を弱めるために、あらゆる手段を講じてきたのです。

 それは暗黙のうちにハマスの存在を強化し、あるいはハマスの存在を放置することによって、パレスチナの中にパレスチナ自治政府とは違う勢力を養成し、パレスチナ内部におけるパレスチナ自治政府対ハマスという対立の構造を作る(ことでした)。

 なぜ作るかというと、それはヨルダン川西岸へのイスラエル人の入植あるいは入植地の強化といったたことを、結果として円滑に進めていくために、暗黙裡にパレスチナの中における二つの勢力の内部闘争(内輪もめ)を利用したということです。

 最近の「ワシントンポスト」の中に数回記事がありましたが、コラムニストのマックス・ブートという人は、これを「自殺的な政策」と呼んでいます。この自殺的な政策が、現在の行き詰まりを招いた原因であるとさえ表現しているわけです。

 次回はこの点について、もう少し続けて考えてみたいと思います。今日はこれで失礼いたします

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