大日本帝国海軍は
潜水艦群を艦隊決戦の補助兵器と位置づけ開発を行った。

太平洋中を航行する敵艦隊に反復攻撃を加えつつ
敵の追尾監視することを目的としていた。

しかし,太平洋戦争では,対潜能力の向上した米艦隊前に
活躍の場を奪われ,消耗した


ドイツでは近海での運用に限定したUボートの開発に力を
入れたのに対し,日本は,近海〜沿海〜大洋等使用海域
合わせて多種多様な潜水艦を建造した。

その結果は
戦後,アメリカの潜水艦に大きな影響を与えた。

現在の潜水艦の操縦系統のさきがけとなった
特殊潜航艇”海龍”


特殊潜航艇”海龍”後期量産型 

特殊潜航艇”海龍”は
水中を航空機と同じ原理で操艦できると考え,世界で初めて
水中翼を装備した潜水艦で,この思想は現在のあらゆる
潜水艦に採用されている。

特殊潜航艇”海龍”後期量産型
”海龍”の選定中央に取り付けられた水中翼

そういった,意味では,海龍は近代潜水艦の元祖である。



偵察機”銀河”から流用した,航空機の操縦士システムは
現在の潜水艦の標準的な操艦システムと変わらないものである。

水中での高速航行を実現した 伊201型
伊201型(潜高型):伊201 - 伊202 - 伊203

SenTaka.jpg

制空権を藻失した日本は,ドイツ同様に,完全潜水航行で高速を
出せる潜水艦の建造を進めた。

その結果,水中で19.5ノットの高速を実現した伊201型が誕生した。

同じころ実践配備されたUボートXXⅢ型の水中速度が
17.5ノットだったことを考えると,伊201は,の水中側道は
世界最高速を誇っていたと言える。

水中高速潜水艦の分野で遅れていたアメリカ海軍は
水中速度19ノットの伊201号を戦利品としてアメリカに回航
その技術とドイツ潜水艦の技術を参考として
既成潜水艦の高速化計画を実施した。

潜水空母
伊400型(特型):伊400- 伊401 - 伊402

3機の特殊攻撃機『晴嵐』が搭載可能であり


潜水空母(せんすいくうぼ)とも俗称される。
第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大であり
通常動力型潜水艦としては、2012年に竣工した
支那海軍の032型潜水艦(水上排水量3,797t、水中排水量6,628t)
に抜かれるまでは世界最大であった。



全長はアメリカ海軍のガトー級を27メートル上回る。
理論的には、地球を1周半航行可能という長大な航続距離
を誇り、日本の内地から地球上のどこへでも任意に攻撃を行い
そのまま日本へ帰投可能であった。


大柄な船体(排水量3,350tは軽巡洋艦夕張と比較してなお大きい
を持つが水中性能は良好であった。

急速潜航に要する時間は1分である。

同型艦3隻が就航したが、いずれも具体的な戦果をあげる前に
終戦を迎え、連合国は日本の降伏までその存在を知らなかった。
終戦直後にアメリカ軍が接収する際、その大きさにアメリカ軍士官
が驚愕したという逸話が残っている。

伊号第四百潜水艦(第5231号艦
1944年(昭和19年)12月30日呉海軍工廠で竣工。
連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。
ウルシー南方で待機中敗戦を迎える。
帰投命令を受領し搭載機、魚雷を投棄。
8月29日にアメリカ駆逐艦ブルーに接収され
8月30日横須賀港に帰港。
9月15日除籍。
その後、アメリカ本土に回航されて技術調査され
ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分。
2013年8月にハワイ海底研究所によりオアフ島南西の
海底で発見された。


伊号第四百一潜水艦(第5232号艦
1945年(昭和20年)1月8日佐世保海軍工廠で竣工。
連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。
カロリン諸島ポナペ島沖で伊四百と合流できず
そのままウルシー攻撃に向かうが終戦により日本へ帰投。
8月29日ヒラム・カスディ中佐の率いるアメリカ軍部隊が接収。
座乗して指揮を執っていた第1潜水隊司令有泉龍之助大佐は
艦内で自決した。
8月31日横須賀港に帰港
9月15日除籍。
アメリカ本土に回航され技術調査され、ハワイ近海で実艦標的
として撃沈処分。

2005年3月20日にハワイ大学の研究チームにより海底で
発見された。


伊号第四百二潜水艦(第5233号艦
1945年(昭和20年)7月24日佐世保海軍工廠で竣工。
連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。
8月11日に呉で爆撃をうけ損傷。
呉で整備中に敗戦を迎える。
11月30日除籍。
1946年(昭和21年)4月1日長崎県五島列島北方の東シナ海
でアメリカ軍の実艦標的として撃沈処分。

2015年(平成27年)年8月7日には、海上保安庁が同年7月に
観測船「海洋」が伊号第四百二潜水艦と思われる沈没船を
発見したと発表した。