こんばんは目

日本人はご先祖様とのつながりをとても大切にする国だと思います。
アメリカ人辺りに、お盆の説明をするととても驚かれますし、
また、それが日本人の良いところなんだと思います。

昔は、檀家寺を持って、折々の供養等をやってもらっていたところが多かったと
思いますが、今は昔ほど檀家寺を持っているおうちというのは減ってきているのでは
ないかと思います。

先日、成田山新勝寺の節分会に参加した時、
毎年、岩手県のお寺さんとその檀家さんたちご一行が一緒に
豆まきをされていますが、何かそこに温かい心のつながりみたいなものが
見てて、ほっこりとした気分にさせられます。

日本のお寺は本来、地域の人たちの文化交流の場であったんだろうなと
思います。月に一度の法話を聞きにいったり、地域の人たちの
交流の場だけでなく、心のよりどころだったのだろうと思います。

もちろん、今でも檀家さんたちにとっては、大切な心のよりどころなのだと
おもいます。そういうお寺の姿って、どこか、イタリアの片田舎の教会の
あり方に似ているような気がして、宗教の差こそあれど、心の交流の場に
神社、仏閣、教会などがあると思うのです。

イタリアの町は、協会を中心に作られているというのを聞いたことがあります。
昔、シチリアに行った時のことですが、夕方になると、
あちこちから教会前の広場に人が集まります。
そして、仲のよい人たちとカフェで楽しい夕食のひと時を
過ごしているのです。

その場所がまるで心のオアシスのように。