かつて京都にあった花街、島原。

 

宴席の場となる揚屋・茶屋と、芸妓さんを派遣する置屋で構成され、一般人から皇族に至るまで様々な身分の人々をもてなしました。

 

老若男女問わず非常に開放的で、京都の文化の発展に大きく貢献したと言われています。

どのくらい開放的だったかというと、実のお母さんを親孝行として揚屋に招いた人もいたくらいだそうです。

 

そんな風に多くの人で賑わった島原でしたが、1851年、大火でほとんどの建物が焼失。

以降かつての賑わいが戻ることはなく、徐々に衰退していったとのことです。

 

角屋。

 

京都島原に残存する、唯一の揚屋建築です。

 

広間から庭の松を臨みます。

薄暗い部屋の中と窓に映る緑の鮮やかさの対比が美しいです。

 

『島原』という地名は、江戸時代の島原の乱が由来であるという説があります。

花街としてこの地に移転してくる際の騒動が、当時勃発した島原の乱に例えられたのだとか。

 

コンパクトな中庭もオシャレで私の好みです。

 

多くの著名人もこの角屋を利用していました。

西郷隆盛、久坂玄瑞、清河八郎、頼山陽、新選組…そうそうたる顔ぶれですね。

 

新選組が角屋でどんちゃん騒ぎして、しこたま酒を飲んだ初代局長・芹沢鴨を帰宅後に暗殺した…という歴史の舞台でもあります。

 

昭和60年頃に揚屋としての営業は終了、以降は『角屋もてなしの文化美術館』として後世に島原文化を伝える拠点となっています。

この先も末永く残っていってほしいですね。

 

 

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京都府 京都市 角屋もてなしの文化美術館

JR嵯峨野線の丹波口駅と梅小路京都西駅の中間にあります。

どちらからでも歩いて5分くらいです。