同じ時代に複数の偉人が誕生するのは歴史のいたずらなのでしょうか?

それとも生まれた時代情勢が複数の偉人を生み出すのでしょうか?

 

前回紹介した弘法大師空海

同じ時代にもう一人、歴史的な人物がいたことは多くの人がご存じでしょう。

伝教大師最澄。

 

日本で初めて「大師」の号を賜った一人であり、天台宗開祖。

彼が作り上げた組織は多くの歴史的著名人を輩出し、後に日本の歴史を学ぶ上で欠かすことのできない一大勢力となりました。

 

比叡山延暦寺

 

滋賀県と京都府の県境に位置し、両者を見下ろす山全体が修行場です。

高野山と同じく標高が高いため、麓よりも早めに紅葉が見ごろを迎えます。

 

 

最澄が生まれたのは奈良時代の後期。

奈良時代の仏教といえば、奈良の大仏を思い浮かべる方も多いでしょう。

大仏が作られるほど仏教はすでに日本に広まっていました。

しかし、かな~りざっくり言うと、この頃の仏教は「貴族だけが仏になれる。平民は無理」というもので、最澄はこのことに疑問を持っていました。

 

 

また、この頃の仏教は大きな権力を持っており、政治にも幅を利かせていていました。

そのことを嫌った桓武天皇は、大きくなりすぎた仏教勢力を排除するために都を移すことを決めます。

鳴くよ鶯、平安京…794年、平安時代の幕開けですね。

 

 

「ただ都を移しただけでは再び既存の仏教勢力に権力を奪われかねない」、そう思った桓武天皇は、既存の仏教に代わる新しい教えが必要と考え、唐で新しい仏教を学んでくるよう使節団を送り出します。

その中にいたのが、最澄空海です。

 

 

最澄はこの留学で「すべての人は仏になれる」という新しい仏教を学び、留学前から修行をしていた比叡山を拠点として広めました。

これが天台宗の始まりです。

 

 

同じ時代を生きた宿命か、よく比較される最澄と空海。

二人の仲はあまり良くなかったみたいです。

最澄「本貸して」

空海「嫌だ」

と言われたからだとか、最澄が空海に弟子を奪われたからだとか、そんな逸話が残っていますが、本当のところはどうだったんでしょうね。

 

 

比叡山はその後の歴史で多くの著名人を輩出しました。

浄土宗開祖法然

浄土真宗開祖親鸞

日蓮宗開祖日蓮

臨済宗開祖栄西

曹洞宗開祖道元

みんな最初は比叡山で修行していたのです。

「日本仏教の母山」と呼ばれることもあります。

 

 

やがて時代は進み、僧兵を擁す武装集団の側面を持つようにもなります。

そして戦国大名織田信長によって焼き討ちされ旧勢力は壊滅、歴史の表舞台からは消えていったのです。

 

 

しかし現代でも天台宗総本山であることには変わりなく、多くの僧が日夜修行に励んでいます。

 

 

1994年、1200年間もの長い歴史と伝統が評価され、世界遺産にも登録されました。
その歴史と伝統を今後も受け継いでいってほしいですね。

 

 

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滋賀県 大津市 比叡山延暦寺

 

京都側から行く場合は2通り。

①京都駅から比叡山頂行バスに乗る。ただし本数が少ないので注意。

②叡山電鉄の八瀬比叡山口駅からケーブルカー・ロープウェイ・シャトルバスを乗り継いで行く。

 

滋賀側から行く場合、JRの比叡山坂本駅、または京阪の坂本比叡山口から坂本ケーブルに乗り換え、比叡山駅から徒歩10分。

JRと京阪とケーブルの駅は離れているので結構歩きます。それぞれを繋ぐバスも走っているので歩くのが嫌なら利用しましょう。

 

さすがに1つの山丸ごと取り込んだ境内は広大です。

観光エリアは3つに分かれており、それぞれ「東塔」「西塔」「横川(よかわ)」と呼ばれています。

距離にして東塔~西塔~横川は約5km。

こちらも便利なシャトルバスが運行されているので利用しましょう。

歩く場合、道路は車専用道路で立入禁止なので要注意です。

専用の山道で行きましょう。

 

国宝である根本中堂は2026年まで修理中で、今はシートに覆われています。

中の見学はできますが、外観は見られないのでご注意ください。