八ノ矢の森

八ノ矢の森

人から聞いたり日常であった、ささやかだけど
不思議な話を書いています。
(TV番組やニュースや本の感想などもありです)

フィンドホーン旅行記 通販はこちら

私のブログに来ていただいて

  ありがとうございます(^^)ノ虹


趣味で漫画を描いて同人誌を作っていましたが、不思議なご縁があって、フィンドホーンセドナに行って漫画を描きました。

「フィンドホーン旅行記」(日本語版と英語版)を描いて本にしました。


スコットランドにあるフィンドホーンは、日本ではまだあまり知られていませんが、世界的なパワースポットの1つとして有名です。


ここにある共同体の創始者であるアイリーンさんは、ある日神様からのメッセージに従って、この共同体を家族と友人と共に作り上げます。

野菜や植物の精霊と話し指導され、オーロラが出るような寒冷地で農業を成功させ、学者すら驚かせます。


様々な奇跡は本になり、BBC等で何度も番組が作られました。


そして世界中から、今も人々が集まる場所になっています。


全く天使や妖精などを信じていなかった私が、この場所に行く事になった不思議な話もブログに書きました。

本を出した当時は、まだスピリチュアルという言葉を知る人もいなくて、ましてや天使を見たからなんて絶対に変な人だと思われそうだったので、本には書けなかったのです。

英語版の方には漫画として描いて入れましたが、日本語版の方には入れなかったエピソードです。

ある日の朝、天井から羽を持った手が降りてきたのです。

今でも、あれは夢であって夢でなかったと確信しています。


不思議な夢の話⑦(フィンドホーンに行く事になった夢の話)


それから8年後、今度は「セドナ旅行記」を漫画で描きました。

こちらは、アメリカのアリゾナ州のやはり世界的なパワースポットです。

ネイティブアメリカンの聖地として有名でしたが、数年前にアメリカで最も美しい観光地として紹介されてから、沢山の人々が訪れるようになりました(日本では、安室さんカップルが行ってから一気に知られましたが)


聖地というだけの事はあり、不思議な事が色々とありました。

漫画には描けなかった、エピソードをブログの方で書いています。


私がセドナに行ったわけ(天使からの伝言②)


フィンドホーンに行く過程で、全く信じていなかった、天使や妖精を信じるようになりました。

元々私はとても現実的なので、こういう存在も1つの現実なのではないかと考えています。

(天動説から地動説へ変わったように、いつか真実が分かる日が来るかと)


何しろ俗っぽい事が好きで(芸能ニュースもチェックしますし)、性格的に繊細なスピリチュアルの世界を書く事は向いていないような気もしますが、とりあえずこういう世界もあるんだと思って楽しんで読んでいただけるように頑張って書きますね(^^)


目次はプロフィールの所にもありますが、↓になります。

興味のある所をクリックしてくだされば読めます(^^)


目 次



 クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー**クローバー 





大きさが違ってしまいましたが、上はフィンドホーン旅行記、下はセドナ旅行記の1枚です。


(購入希望の方は、コチラ に)







 

9月末とは思えない暑さです汗

昨日の車の温度計を見たら、34度でした。午後2時の日向の温度はそんなものかも。
今年の夏の暑さは、去年以上に過酷でした。

夏が超苦手な私にとって、夏で良いのは洗濯物がすぐに乾く事と、空がきれいな事だけですぼけー

上の写真も今年の輝くような夏の空の1枚です。

 

前回のブログを書いた後、亡くなった叔母の家の片付けをしたり、いろいろな手続きややらなくてはいけない事がしていたのですが、一段落終わったら気が抜けてしまって、何もする気にならなくなっていました(ちょっと燃え尽き症候群っぽい宇宙人くん

とはいえ日常生活のあれこれや母の病院や老人会の送迎をしているだけでも、時間があっという間に過ぎていって、こわいくらいです。

このままじゃいけない気がして、父と叔母が亡くなった後のいろいろなお友達とのお話を忘れないように書きました。

2人ともお友達を大事にして大事にされていたので、泣ける話がいろいろありました。

 

父は92歳で亡くなったので、お友達はもう1人しか残っていませんでした。

男性の方が、やはり早く亡くなると思います。

その1人だけの友人Fさんは、埼玉の大宮ゴルフ場の近くに家があり、そのゴルフ場の会員でもあったので、桜の頃には必ず予約を取ってくれたりして、父ともう一人のお友達のMさんと3人で、長年一緒にゴルフを楽しんでいました。

父が80歳で免許を返納してからは私がずっと運転手をして、皆さんを家や駅に迎えに行って、ゴルフ場に連れて行っていました。

 

皆さんご高齢なのでゴルフバッグの上げ下ろしをする私に、必ず飲み物のペットボトルやお菓子や果物をくれました(最初の方は断っていたのですが、何もしないのも気まずいかな?と思って受け取るようにしました)

そうして年に2回~3回くらいペースで、何度も何度も行きましたが、3年程前にそのうちの一人であるMさんが亡くなりました。入院したというお知らせがあって、半年ほどで帰らぬ人になってしまいました。

父とFさんを連れて、お香典を奥様に渡しに行く時も運転をしました。

車の中で2人がMさんの思い出話をしていたのも、つい昨日のようです。

 

父が亡くなった時、連絡は父の姉弟の親族にだけして、弟一家と私と母だけの家族葬にしたのですが、長年仲良くしていたFさんにだけは、父が亡くなった事をお知らせしたいと思って電話をしました。

 

Mさんが亡くなった後、父も体力が無くなったこともあり、しばらくしてゴルフは行かなくなっていました。

それでもFさんと食事は一緒にしようという話になっていて、私がお店も探すし運転手もすると言っていたのですが、とうとうそれも叶わず残念だったこともあり、お知らせしたかったのです。

 

私の電話に、Fさんはとても動揺されていて私もつらかったのですが、後日送ってくれたお香典の内袋に大きな字で書いてあった文を見て母と私は泣きました。

筆ペンでなくマジックペンで書かれていて、あんまり字が上手じゃなかったんですけれども、91歳とは思えないほどの力強い大きな文字に想いがこもっていました。

 

我が人生最良の友へ

 ご指導ありがとうございました

 

Fさんは父よりも1歳年下の取引先の会社の人で、会社を辞めた後も長く長くゴルフ仲間としてお付き合いをしていました。

双子座の父は情報好きなせいか昔から教えたがりで、ゴルフのこと以外でも、アイウベ体操や(誤飲防止に私が教えたのですが)、チョコレートで血糖値が下がるという話まで(父はこれを信じてチョコを食べまくって、とんでもない血糖値になって先生に怒られていましたが)、得意げにいろいろ話をしていたんだと思います。

穏やかなFさんは、きっと父のことを立ててそんな話をずっと聞いて下さっていたんだと思います。

このメッセージは、納骨するまで父の遺骨の前に飾っていました。

 

またつい先月のこと、母がスーパーで買い物をしていたら、いつも父と一緒に行っていたちゃんこ鍋屋のご主人に声を掛けられたそうです。

お店の方は父が亡くなった後に一度行ったのですが、この夏の暑さといつも一緒に行っていた父がいなくなってしまった事もあり、母も足が遠のいてしまっていました。

ご主人はずっと気になっていたからと言って、お財布からお札を出して、母が何度辞退しても、そのまま受け取って欲しいと言って渡してきました。

そして母はご主人から、2日後にお店を畳むと言われたそうです(母は毎日通っていたスーパーですが、会う事が初めてだった上に、この話で母もすごいタイミングだと驚いていました。父のお引き合わせ?)

父へのお香典を一生懸命渡そうとしてくれた事や、お店を閉める話をされた時の気持ちを思うとこれも泣けてきます。

 

それこそ何十年も通っていたお店が無くなるのは本当にショックで、すぐに行くので予約をと母がお願いしたそうですが、クーラーが壊れてしまっていると言われて諦めたそうです(もしかしたら、これも閉店の理由かも?)

ここのお店はご夫婦でやっていたのですが、お二人とも優しい良い方達で、昔から通っていた父母には何度か試食と言ってお料理を食べさせてくれたり、故郷に帰るとお土産をくれて、母達も旅行のお土産を渡したり、お店を改装した時にはお祝いに時間になるとオルゴールが鳴る壁時計を差し上げたら、すごく喜んで下さって飾ってくれたりと暖かな交流をしていたのです。

 

でも奥様が数年前に亡くなって、ご主人も腰を悪くしてしまって椅子に座って料理をするようになり、いつまで続いてくれるか心配と母と話していたので、とうとうこの日が来たのかと愕然としました。

このお店はちゃんこ鍋屋さんではありますが、ここの鳥のモモ焼きと唐揚げは、今まで食べた中で一番美味しかったんですよね(それだけ買いに行ったりもするくらい)

今は30歳を過ぎた上の姪っ子が2歳くらいの時に、テーブルの下をハイハイしていたのも忘れられないです。

姪っ子はこのお店が大好きで、うちの方に来ると必ずこのお店に行きたいと言っていたものです。

 

後日ちゃんこ鍋のお店の裏のご自宅の方にお香典返しを渡しに行ったら、チャイムの音を聞いて3階の窓から声を掛けてくださったのですが、下まで降りてくるのは大変なので、ドアノブにお返しのカタログが入った袋を掛けて、大きな声で「後で取りに来てください! お会いできて嬉しかったです! ありがとうございました!」と言って手を振りました。

ご主人も笑顔で手を振ってくれました。

あの笑顔が、お会いできる今生での最後になってしまうのかな。

いろいろなお店でお会いした店主や奥様たち、皆さんとても良くしてくれて、温かな交流がありましたが、最後のご挨拶の後にまたお会い出来た人はいないのです。
思い起こすと、しみじみと寂しいことです。

他にもよく靴下や部屋着を買っていたお気に入りのお店も、大好きなセリアもこの夏に閉店してしまったし(数年前に出来た時にあまりに大喜びしていたので、余計にがっかりしてしまいました)

 

またつい先だっての7月に、父の供養にと立派なお線香を持って来て下さった老人会の方が、4日後に倒れて1週間もしないうちに亡くなってしまったという事もありました。

別の老人会で麻雀をしていて、その中のおひとりと点数のことで揉めていた時に、脳出血で急に倒れてしまったのです。

家に来て頂いた時は皆さんで1日一緒に麻雀をしていたので、母もまたショックを受けていました。

 
今年は私と母にとっては、人もお店もお別ればかりの年になりました。
 
悲しい話が続いてしまいましたが、亡くなった叔母の方は別の意味で泣かせる話があります。

叔母の後見人になった時に、叔母にエンディングノートを渡して、親戚友人、ガス水道電気に新聞の連絡先を書いてもらったのですが、お友達や親戚へのメッセージのページがあったので、書いてくれたら叔母が亡くなった後、家族葬にするし誰にも葬儀のお知らせをしないので、せめて手紙で私が叔母のメッセージを送ると言ったのです。

次に会う時に、叔母がそのメッセージも書いて渡してくれました。

 

1人に数行しか書けないものでしたが、叔母らしい文章で「70年間ありがとうございました。一生のあたたかい想い出ばかりです」「四人の旅行、楽しかったですね。もう一度行きたかった」「素晴らしい想い出と宝物をいっぱいありがとうございました。楽しい人生でした」といった文で、それぞれのお友達にあてた心のこもったメッセージでした。

 

叔母の49日が終わった後、それらをWordで飾り枠をつけて、訃報のお知らせと共に手紙に書いて送りました。

その後、受け取った方達が、次々と電話や手紙で私の方に連絡をくださいました。

本当に皆さん、叔母を大事に思って下さっていたんだなとあらためて実感したのですが、その1人から聞いた話が忘れられません。

 

叔父は肺炎になって入院した後は、施設と病院を行ったり来たりしていたのですが、食事の時にはお世話をしてくださるスタッフの方に、必ず「〇〇(叔母の名前)の分もあるか?」と聞いていたそうです。

「大丈夫ですよ。ありますよ」と言われると安心して食事を始めていたそうです。

ちょうどコロナの頃と重なって会えない時は、叔母は必ず月に1回は叔父に手紙を書いていたそうです。

入院してから認知症が進んでしまって、もう手紙も自分では読めなくなっていたそうですが、それでもずっと続けていました(その手紙は、叔父の棺に入れていました)

 

そして叔母のお友達から聞いたのは、叔父の様子を見てもう長くないと叔母が思ったという最後の面会の時の話です。

叔母の顔を見た叔父が「○○(叔母の名前)は、いつもきれいだなあ」と言ってくれたそうです。

これが叔父の叔母への、この世での最後の言葉となりました。

87歳になっても、92歳の旦那さんが、そんな風に言ってくれるのって、すごく素敵ではないですか(叔母は実際に若々しくて、いつまでも可愛くてきれいなおばあさんでしたが)

結婚して4年目に、叔父が読んだ詩を紹介しますね。

 

いまだに子供ができないのを

おまえはずい分気にしているが。

いいのだよ

身体が弱いのだし

他人の目などかまわずに

ぼくたちのペースで行こう。

子供がないから どうこうと

夫婦のきずなは そんなに

弱いものではないはずだ。

 

妻よいそぐまい

大切なことはあせらずに

たしかな道を 歩むことだ。

 

叔父は詩を書く人だったそうで、叔母から棺に入れて欲しいと頼まれたアルバムには、雑誌に掲載された叔父の詩の切り抜きがいくつも貼ってありました。

正直、あまりに素敵で燃やすのはもったいなかったのですが、叔母の遺志でもあったので一緒に火葬となりましたが、全ページを写真に撮って従妹や親戚の子に送ってしまったんですよねあせる(みんな叔母が大好きだったので、亡くなった祖父母を含めた、この叔母達の若いころの写真や詩を喜んでくれました)

 

その詩に書かれていた、叔母の若い頃の様子が可愛くてにやり(なんと、叔母から叔父に告白の手紙を出していたんです。それを詩に書いちゃう叔父は嬉しかったんだろうな~)

叔父の詩は叔母への愛で溢れた詩ばかりで、いつか他の詩も紹介出来たらいいな~と思うんですけれども。

叔母は恥ずかしがるかな。

 

でもその新婚の頃の気持ちのまま、喧嘩を一度もすることもなく(叔母が叔父の葬儀の時に言っていました)叔父と叔母は、お互いを大切にして一生を終えました。

スピリチュアルという言葉さえ知らない2人でしたが、一番大事な愛というものでいっぱいの人生です。

きっとスピリチュアルの世界って、こういうもので出来ているんですよね(え~と私は、来世に期待!)

 

 

上の写真は、若き頃の叔父叔母の写真です。

叔父はかっこいいし、叔母はかわいいにやりラブラブ
 

叔母のお友達グループの方からは、今年中に和歌山の叔母の眠るお寺に皆さんで行くという連絡も着ました。

私は「今年でなくても大丈夫だし、そんなに急がなくても…」と言ったのですが「もうみんな80代だから時間がないのよお」と言われてしまいました汗

なんでも叔母と一緒に行った、仲良しグループでの初めての旅行が和歌山だったとか。

ご高齢にも関わらずそこまでしてくれる程、皆さん叔母を大事に思ってくれていたんですね。

叔母のお友達は叔母に似て、思いやりのある優しい方ばかりでした。

今回、友人間におけるいわゆる「波動の法則」を垣間見た感じがしました。

 

さてさて、またまた自分の思い出記録用の記事で、前回前々回と同じく長々と書いてしまいました。

ここまで読んで下さった方、ありがとうございますニコ

最近、自分の過去ブログを読み返す機会があって読んでいたら、当時自分で書いた話をけっこう忘れていたんですよねぼけー

それで今回の話も憶えているうちに、書いてしまおうと思って書きました。

ブログの良い所は、こういう本人も忘れてしまっている事が残っていることですね。

アメブロさん、私が生きているうちは続けてくださいね~ニコ

 

次回は、今回のいろいろな場面で出たカードの話を書きたいと思います。

涼しくなってきたので、次回はもう少し時間を空けずに書こうと思います(目標1ケ月以内)

 

私が体験した不思議話を色々と書いています。

天使と話をしたり、魂から直接過去現在未来を聞く事ができるPさんという不思議な人の話も下記に書いています。

不思議話やスピリチュアルが好きな方は、よかったらどうぞ~(^^)

 

★天使と話す不思議なPさんの話

 

★私が体験したちょっと不思議な話

 

☆よもやま話

(私が最近経験した不思議話もあり)