ぶーにゃん、虹の橋へ
4年前の冬、ぶーにゃんが旅立ちました
1月20日 我が家に来て丸10年、推定13歳でした。
まだ3歳ぐらいの時に尿路疾患で生死の境を彷徨い、持病を抱えながらも元気に過ごした日々でしたが、人間の様々都合で、ぶーにゃんの幸せな日々を守ってあげる事が出来ませんでした。
丸々として可愛かったぶーにゃんは、晩年はとても痩せて小さくなってしまいました。
きっかけは引っ越しでした。
義父母が他界し、自宅を相続した私たちはススとぶーにゃんと共に一軒家に引っ越しました。
新居で快適に暮らせるように、事前に立派なキャットステップを設置して2匹を迎えましたが、特にぶーにゃんは引っ越してから急激に痩せて行きました。
1歳を迎える前に飼い主である義母を亡くして天涯孤独の身となったトイプードルの麦を新たに家族に迎えて、猫2匹と犬1匹距離感を保ちつつなんとかやっていけると思っていました。
ぶーにゃんと麦は、割と仲良くやっているようにも見えました。
でもあの日にススが先に旅立ってから、ぶーにゃんはさらに痩せて行きました。
生活動作はいつも通りながら、食事をあまりとりたがらなくなり、ちゅーるだけを食べるようになりました。
ススが亡くなった時、この子はもう生きている事が不思議な状態と病院で言われた事、そのため治療はできなかった事を引きずっていた私は、ぶーにゃんには早めの措置を望んで、病院で検査と治療を行おうとしました。
亡くなる前日の夜、数値はさほど悪くないものの、点滴を入れた方が良いだろうという事になり、針を刺そうとしたその時、病院でもいつもおとなしいぶーにゃんがあり得ないほどの抵抗を見せました。
慌てて補助に回った私の手を、牙が貫通しそうなほど噛み、最終的に諦めて皮下点滴に変更したのですが、直後に泡を吹いて涎が止まらなくなりました。
点滴を終えて落ち着かせ、帰宅したものの容体は悪くなるばかり。よだれも止まらず。
水分すら受け入れてくれず、近づくと顔を背けてしまうぶーにゃん。覗き込んでも目も合わせてくれません。
今思えばもう生きる意志が感じられませんでした。
迷惑そうにされながらもそばに一晩付き添い、翌朝みんなが出かけた後、廊下の奥に横たわっていたぶーにゃんが突然痙攣し大量に失禁しました。
ススの穏やかな最後の1週間を共に過ごした私は、そのあまりの急変に驚いてひとり泣き叫びながら、ススの最後、箱の中で小さな叫びを上げて息耐えたススをただただ撫でるだけ抱き上げてやる事が出来なかった事を思い出しました。
目を見開き、呼吸は既に止まっているぶーにゃんを慌ててタオルにくるんで抱き上げました。
リビングのソファーに移動して、胸の上に乗せて寝かせて撫でていると、再び鼓動が戻って来ました。
生き返った!!!
あの時の感触はずっと忘れません。
死の淵からぶーにゃんが私のもとへ戻ってきてくれました。
その後で先生が往診に来てくれてまた皮下点滴を打ちました。もしかしたらこのまま回復する可能性もとその時は言われました。
ぶーにゃんはそれから数時間ずっと私の腕の中にいて、私はずっとぶーにゃんを撫でていました。徐々に徐々に呼吸が弱くなり、最後はいつ息を引き取ったのかも分からないほど静かに、静かに旅立ちました。
ほんの少し2人だけの時間を過ごすために、急な別れにショックを受けて取り乱す私を見兼ね、生き返ってくれたぶーにゃん。
けれど私は、間違ってしまったのかもしれません。
ぶーにゃんの気持ちを無視して、治療を受けさせようとしてしまったのかもしれません。
もっと早くにぶーにゃんが生きる気力をなくしている事を知るべきでした
あの日の夜、その現実を知った時は既に遅かったのです。
大切にしてきたつもりでした。
でも、引っ越しも、犬との同居も、ススとの別れも、ぶーにゃんにはストレスが大きすぎて、私はちゃんと守ってあげることができていませんでした。
4年前、ぶーにゃんが最後に食べていたちゅーるをつい先日処分しました。
半分残っていたちゅーるも水分が抜けて殆どなくなっていました。
ずっと、ぶーにゃんが亡くなってしまった現実から目を背けていました。
最後の最後まで、気持ちが通じ合っていたススとの別れとは違い、はじめて全力で私を噛み、私を責めるようにあっけなく逝ってしまったぶーにゃんの死を今まで受け止められませんでした。
あの日から4年、ぶーにゃんが亡くなったあの日を境にふと、我が家の負の連鎖が止まったように思えます。
猫はこの世を去るときに、飼い主の不幸を全部持っていこうとするのだそうです。
遺骨はまだリビングにあります。
いつか、庭に埋めようと思いながら、また4度目の春を迎えます。
思い出の詰まったこのブログの更新も、今回がラストです。
ありがとう。とてもとても大切でした。