スタンフォード⑭
やれやれ。
今日やっとプレゼンが終わった。
keynoteを使って作ってみた。
比較的いいのが作れたと思う。
しかし、英語を使って話さなければならない。
言いたいことと言ってることの違いに対するジレンマ。
これは1ヶ月間感じ続けてるわけだが・・・
まぁ、今はいい。
で、その後昼寝。
今日2時間しか寝てなかったからね。
こっちに来て2回目の昼寝だと思う。
で、その後はチャリを借りて一人でサイクリング。
目的はない。
適当に漕いでたら、道に迷った。
異国の地で迷子。
しかも、日も沈み始めてて、ちょっと怖くなった。
しかし、iphoneが役立った。
ここはシリコンバレー。
探せば比較的wi-hiは使える。
Google map と方位磁石を駆使して、なんとか帰宅。
途中にTESLA(これであってるはず。)があって写真撮った。
TESLAは電気自動車の会社でこのあいだTOYOTAと業務提携した会社。
車とかにはあまり興味はないけど、スゲーかっこよかった。
今日はこんな感じ。
このプログラムももうすぐ終わる。
北京行ったときとはなんか今回は違う。
もちろん北京に行ったことで自分の中のいろいろなものは変わったとは思う。
でも、今思えば精神的にはなんかテンパってた気がする。
これは場所の問題じゃなくて、初めて一人で海外に出て勉強するってとこから来てると思う。
(もちろん今回のプログラムは本質的に普通の短期プログラムとは違うわけだけどもね。)
うまく自分の中でその刺激を噛み砕いて吸収できなかったと思う。なんというか、そのまま飲み込んじゃったとでもいいのかな。
なんかうまく言えないけども。
今回は2回目ってこともあって、受けた刺激をうまく自分になじませることができてると思う。
そのせいか今自分は海外にいるくせに少し落ち着いている。
どっちのほうがいいのかは正直分からない。
でも、どっちもいいんだと思う。
ある意味、自分が変化してる過程だと思う。
あえて成長とは書かない。
確かなことは、多くのことを経験したことだと思う。
今日はこのくらい。
なんか中途半端かな。
でももう1時だし。
寝る。
じゃっ。
スタンフォード⑬
やれやれ。
前回「時間」について書くって言ったけど、これはここで書くと今の僕の文章力では伝えられない気がする。
よって、「時間」については書かない。
これについてはいろいろと他の人の意見も聞いてみたい・・・
まぁいい。
おととい、昨日と美術館に行った。
サンノゼ美術館とSFMOMAである。
SFMOMAは一人で行った。
やはり、一人で行動するのが好きである。
芸術はいろんなことを考えさせてくれる。
もし、もう一つ人生を送っていいならば、芸術家として人生を送りたいと切実に思う。
ということで、今回は「芸術」について考えていることを一部分書こうと思う。
つまらなかったらごめんなさい。
あらかじめ断っておくが、僕は芸術に関する知識はほとんどない。
だから、非常に当たり前のことを言ってるかもしれない。
そのため、芸術を学んでいる人をいらいらさせる可能性は多分にあると思う。
その点は了承して欲しい。
まず、当たり前のことだが、芸術家は何かを思考し、意図を持って作品を創作している。
もし、そうでなければその人は芸術家ではないし、その作品は芸術ではない。
だとすれば、芸術を見る側も何か思考しながら見なければいけないと思う。
さらに個人的な意見として、もし芸術家が正確に確実に何かを伝えたいのであれば、言葉を使って説明すればいいと思う。
そのほうが絵画や音楽などより正確に伝わる可能性は高いと思う。
つまり、芸術に対して素人な僕としては、芸術家が意図したことと違うことをその作品から考えてもなんら問題はないと思う。
(個人的にはこれは村上春樹の作品を読んでるときにも同じことを感じる。
簡単に言えば、彼の使うメタファーは正確に読者に理解されることを求めてないではないかと思う。)
むしろ、この主観性の尊重こそが芸術の醍醐味ではないかと思う。
多くの場面で客観性を求められている社会の中で、強く主観性を求められている分野が芸術ではないかと思う。
そして、だから人は芸術を見るのではないか。
これが書きたかったことの1つ目。
SFMOMAとはサンフランシスコモダンアート美術館の略である(そのはず)。
そこに、4枚のキャンバスに絵を描いて、それらを重ね合わせて1つの絵画として成り立っているものがあった。
これはなかなか面白かった。
なぜならば、絵画と言われたら、一枚のキャンバスに何かが書いてあるというのが一般的な形式ではないかと思う。
しかし、この絵は違っている。
つまり、何が言いたいかといえば、芸術家は常に人間の固定観念を打破しようとしているということである。
さらに付け加えるならば、これは何かの本で読んだことだが、芸術家にとってキャンバスというのは制約であり、枠である。芸術家は常にそれを打破する方法を施行している。
つまり、この絵も絵画としての限界を超越しようとしている試みだと思う。
芸術は固定観念を打破しようとしているし、自らの限界を超越しようと常に試みているということである。
これが言いたかったことの2つ目。
でも、もしかしたら、今言ったことは作者が意図したこととは違うかもしれない。
しかし、それはそれでいいということをさっき述べた。
なにかを思考するということが重要だと思う。
そして、その思考したものには現在の自分というものが確実に投影されていると思う。
当たり前のことだが、こういう意味において、芸術は人に何かを考えさせる契機を与えるものだと思う。
ほかにも考えていることはあるが、それはまたの機会に書こうと思う。
ごく普通の感想としては、サンノゼ美術館もSFMOMAも現代アートということで非常に挑戦的なものが多かった気がする。
見てて面白かったし、楽しかった。
今年の秋は東京にゴッホも来るし、シャガールも来る(そのはず)。
楽しみだ。
じゃっ。
スタンフォード⑫
最近はすこし事実を列挙したブログにしてた。
今日は少し思索的なブログにしようと思う。
さらに、この留学プログラムと少し離れたことを書くことにする。
(このプログラムで得たものは少なからず自分の考え全般に影響をあたえていると思うが)
今個人として強い興味を抱いているのは「お金」と「時間」。
興味のない人はごめんなさい。
まずは「お金」ついて。
お金を稼ぐということももちろん大事だし興味もある。
だが、今話そうとしているのはお金そのもの持っている性質。
もっと正確に言えばお金の性質、力と人間の相互関係というか。
何が言いたいのかこの段階では分からないと思う。
できるだけうまく説明しようと思う。
個人的な意見として、お金というものは人間が発見、生み出したしたもののなかで火や電気と同等の衝撃をあたえたものとして考えている。
さらに言えば、火や電気やお金といったものは世界共通である。
言語の壁も一切関係ない。(政治的な壁はお金は超えられない部分はあるが。)
つまり、影響力がとてつもない。たぶん世界最大規模だと思う。
これは先の金融危機からも容易に想像がつくと思う。
じゃあ、最初に述べた、人間とお金の関係ってナンだろう。
すこしたとえ話をする。
ある小学校数学の先生が次のような問題を出した。
「ある牧場に羊が9匹いてそこから1匹逃げました。残った羊は何匹でしょう?」
ある羊飼いの子供が「0匹」と答えた。
先生は「それは間違いだ。答えは8匹だ。」と言った。
また羊飼いの子供は答えた。「羊は臆病だから1匹逃げたらみんな逃げます。」
これはお金と人間の心理の関係をたとえた有名な話である。
このたとえ話は金融危機の直後に使われたりした。
要するにすごい噛み砕いて言えば、人間はお金に対して臆病だから一人が手を引いたらみんな手を引いてしまうってことである。
さらにこれを大きな視点で見てみると、お金というものは人間の感情が最も入りやすいものじゃないかと思う。
これが一番言いたかったことで、言い換えればお金は人間の感情に非常に敏感に反応するもの。
(最初に言ったことが少し具体化したものになればうれしい。)
つまり、お金は生もので、かつ全世界に良くも悪くも影響をあたえるものだと思う。
なんかこういうところに興味を持つ。
影響力の大きなことをしたいと小さいときからずっと思ってたから、こういう面でお金に関係してるものにたずさわれたらいいと、大学2年生の夏の僕は思ってる。
本当はこういうことを話せる機会がもっと欲しいけど、なかなかない。
だから、こういうことを少し言葉にして吐き出してみた。
うまく伝えることができてれば幸いだ。
今度は時間について書いてみる。
時間に関しては比較的村上春樹の影響を受けてるんだけどね。
じゃっ。