参議院議員選挙が近づいてきているが、選挙区選挙はともかく比例区選挙の候補者が実に魅力に乏しい。タレントなど数人の著名人が「目玉候補」で、後は党の支持組織の内部候補ばかりが並ぶ。特定の組織に属さない無党派層の人にとっては、政党に投票して議席数が増えたとしても、その党の支持組織を代表する候補者がより多く当選するだけであり、下手をすると組織エゴがより通りやすい結果を招きかねない。




 そこで、私は「ニコニコ親民主党」と「ニコニコ親自民党」という、無党派層の受け皿となる新党を作って、比例区のみに候補者を立てるというアイデアを提示したい。これは「民主主義2.0」(ウェブ学会シンポジウム)http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0912/07/news102.html の一つの回答になるのではないだろうか。上記「ウェブ学会シンポジウム」では「バーチャルなキャラによる政治家がいてもいいじゃない」という提案がなされていたが、もちろん、バーチャルなキャラでなくても議員自身が有権者の代弁機能に徹するというスタンスでの議員活動は可能だ。つまり、記者クラブオープン化で閣僚の記者会見に登場したニコニコ生放送 http://www.j-cast.com/2009/10/27052663.html の記者(記者自身は政治的な素養をほとんど要求されず、ニコニコ生放送視聴者の質問を代読する機能に徹している。)の国会議員版を行えば良いのである。




 しかし、現状ではいくら「有権者の代弁機能」と言っても、その抽出方法に確立されたものがあるわけでないし、その時々に揺れ動く有権者の意見を反映させるだけでは衆愚に陥るだけなので、多くの支持を集めることは困難であろう。そこで、まずは多くの既成組織の支持を得る二大政党、民主党と自民党にそれぞれ寄り添う形で比例区単独で候補者を擁立するのだ。




 「ニコニコ親民主党」(別にニコニコは無くても良いが)は、基本的に民主党の政策を支持し、民主党が党議拘束をかける案件については同調することを公約とする。他方、党議拘束をかけない案件や、国会の質問権については、ネット利用などで試行錯誤を重ねながら、最も無党派層の意見に合致するような行動をとる。こうすれば、民主党に投票したいが労組など支持組織の候補者の跋扈は困るという無党派層の受け皿になるのではないかと思う。「ニコニコ親自民党」も自民党に寄り添う形で同様の公約、行動をすれば良い。ちなみに、その他の政党については、みんなの党は大規模な既成組織の支持は受けていないようだし、公明、共産両党は支持組織と支持者がほぼ一致しているので「ニコニコ政党」は不要であろう。




 この「ニコニコ親民主党」と「ニコニコ親自民党」を作るというアイデアは、直接民主主義的な機能を国会に送り込むと同時に、ネットなどを利用した意見集約の場を提供し、その方法をリファインしてゆくことで「民主主義2.0」の実現に大きく貢献できるのではないかと思う。

10年ほど前に書いた「公平な税制とは」という文章があるのだが、現在もさほど価値を失っていないと思われるので、再掲してみようと思う。そういえば少し前に、中山巌も同じようなことを提案していた。民主党の「給付付き税額控除」も同様な考え方だが、私は、このような制度は所得税の文脈でなく、消費税とセットにして導入を図るべきものだと思う。

 

以下、再掲



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まずは、公平な税負担のありかたについて考えてみたい。

 

まず、平等と公平は違うという点を、はっきりさせておきたいと思う。 「平等」といった場合、何に着目して平等というかによって、人頭税のように貧困層にとって非常に過酷なものもあれば、逆に社会主義のように悪平等に近いものもある。いずれも、「公平な税制」としてすべての人が納得できる制度ではない。

 

僕は、税負担は各人が最小限必要な生活をする費用を除いた余力、(最大担税能力とでも呼んでみよう。)のべき乗に比例するのが もっとも公平であると考える。(べき乗というのは、M なら1、M x M なら2、M x M x M なら3のことをいう。)そして、べき乗の数としては1以上、つまり最大担税能力に比例して税額を決めるか、あるいはそれよりも累進的な課税が望ましいと思っている。 しかし、実際にはべき乗の数字を1より大きくするには、複雑な税制を必要としそうなので、

 

税収の中心的となる税を最大担税能力に比例させ、

補完的な税を、より累進的に課税することによって

 

おおむね公平な税制が実現できるであろう。さて、ここで問題になるのが、どのようにすれば最大担税能力に比例した課税ができるかということである。つまり、収入、消費、資産といった国民各人の経済行為のなかで、最大担税能力にもっともよく相関するものを選んで、それを中心に課税額を

決めるのが適当と考えられる。

 

このような目的に、これまで使われてきていたのが「所得」である。様々な控除を差し引いた後に得られる「課税対象所得」は、そのまま生活の余力と同義に考えられ、課税ベースだけでなく 様々な行政サービス適用の基準としても用いられてきた。

おおざっぱな数式で表すと

 

最大担税能力=課税対象所得=総収入-必要経費-最低限の生活費

 

となる。因みに、総収入-必要経費が所得であり(確定申告の際に「手引き」の表で求めるもの)、

最低限の生活費が種々の控除に相当すると考えて良い。

 

しかし、以前にも述べたように、高齢化社会を迎えて、大きな資産を持つが所得が少ないという人が無視できないほど増えてくると、このような「所得万能主義」は時代遅れとなってくる。実際、高齢者が仕事を持つことによって、様々な行政サービスが受けられなくなるといったペナルティを受けるシステムになってしまっているのである。

 

では、このような高齢化社会において、「所得」に代わって最大担税能力とよく相関する経済行為は何か?今のところ、2つの候補が有力視されている。

 

一方は、「所得+資産」である。

国民背番号制度やグリーンカード方式によって、国民一人一人の所得と資産を監視し、それを課税ベースにしようとするものである。これについてはここでは詳しくは述べない。

 

他方は「消費」である。

勤労世代では所得と資産が相関するのに対し、高齢者では所得と資産はむしろ逆相関する傾向があるが、どちらの世代でも「消費」は、各人の生活水準によく相関する。 ただし、日本の消費税のような一般的な付加価値税の場合は、所得税のような控除のシステムが無いため、逆進性が問題となる。

 

 

この場合について簡単な式で表すと

 

最大担税能力∽消費-生活必需品購入費

(∽は「比例する」という記号)

 

ここで最大担税能力をy、消費をx、生活必需品購入費をCと表すと、x、yは納税者各人で変わりうる変数であるのに対して、Cは定数と見なしてよいと思われる。(つまり、納税者一人いくらと見なして大きな問題はないと思われる。)

 

すると、上の式は   y=a(x-C)      と表せる

 

ここで最大担税能力に比例した理想的な税金(税率t)をかけるとすると、

税額=ty=ta(x-C)

=tax-taC

ここでt, a, Cは定数であるから、

 

最大担税能力に比例した、税制の中心にふさわしい税金は、

消費額に比例した金額(tax)から、一定額(taC)を引いたものということになる。

 

つまり、消費税を中心的な税制としつつ、一定額(taC)を各人に交付する、すなわち消費税+逆人頭税というシステムが高齢化社会において中心的な税制として有力な候補であることが示された。

 

一方、補完的な税制として、所得税、資産課税を採用することで、金持ち層の累進度をやや高めた制度が、ほぼ理想的な税制になるのではないかと思う。

ブログタイトルはエロいですが、内容は硬めです。
いやタイトルも硬くてエロいか?(笑)
基本的にTwitterで書ききれない内容を書いていこうと思います。
その他に、以前書いた文章や書評などもおいおいアップしていきます。
足らないところを「さしふた」ぐというのは、Twitterだけでなく
巷間流布している視点に足らない部分も補えればということも意味しています。

以下に「なりなりてなりあまれるところ」の引用元を示します。
古事記「天地開闢」の一説で、いわゆる国生み神話の部分です。


ここに天神(あまつかみ)もろもろのみこともちて、伊邪那岐(いざなき)のみこと、伊邪那美(いざなみ)のみこと、ふたはしらの神に、「このただよへる国ををさめつくりかためなせ。」とのりて、天沼矛(あめのぬぼこ)をたまひて、ことよさしたまひき。かれ、ふたはしらの神、天浮橋(あめのうきはし)にたたして、その沼矛(ぬぼこ)をさしおろしてかきたまへば、塩こをろこをろにかきなしてひきあげたまう時、その矛のさきよりしただりおつる塩、かさなりつもりて島となりき。これ淤能碁呂(おのごろ)島なり。

その島にあまくだりまして、天之御柱(あめのみはしら)をみたて、八尋殿(やひろどの)をみたてたまひき。ここにそのいも伊邪那美(いざなみ)のみことにとひたまはく、「なが身はいかにかなれる。」ととひたまへば、「あが身は、なりなりてなりあはざるところひとところあり。」とこたへたまひき。ここに伊邪那岐(いざなき)のみことのりたまはく、「あが身は、なりなりてなりあまれるところひとところあり。かれ、このあが身のなりあまれるところをもちて、なが身のなりあはざるところにさしふたぎて、くにをうみなさむとおもふ。うむこといかに。」とのりたまへば、伊邪那美(いざなみ)のみこと、「しかよけむ。」とこたへたまひき。

ここに伊邪那岐(いざなき)のみことのりたまひしく、「しからばあれといましとこの天之御柱(あめのみはしら)をいきめぐりあひて、みとのまぐはひせむ」とのりたまひき。かくちぎりて、すなはち「いましは右よりめぐりあへ、あれは左よりめぐりあはむ。」とのりたまひ、ちぎりをへてめぐる時、伊邪那美(いざなみ)のみこと、さきに「あなにやし、えをとこを。」といひ、のちに伊邪那岐(いざなき)のみこと、「あなにやし、えをとめを。」といひ、おのおのいひをへしのち、そのいもにつげたまひしく、「をみなさきにいへるはよからず。」とつげたまひき。しかれどもくみどにおこしてうめる子は、水蛭子(ひるこ)。この子は葦船にいれてながしうてき。つぎに淡島(あはしま)をうみき。こもまた、子のたぐひにはいれざりき。