雨が降ってはグーンと緑が育ち
ビュンッと季節がすすむような気がする。
すっかり目に映る世界が緑みどりミドリ!になりましたね〜!
2週間前から、保育園も完全にお休みになり
ほんっとーーーに、のんびりと家でゴロゴロ過ごしています。
なーーーんにも予定がなくて
時計を見る回数もうーーんと減って、
目の前にいる子供たちと、身体のむくまま、心のむくまま
折り合いをつけながらの生活は
カオスながらも至福でしかなくて。
ただ存在してるだけの自分の価値を、まっすぐに見つめています。
今、生きてるだけで「今日もよくやった♡」と思える毎日って最高だな〜。
2週間くらい前かな?
雨で2日間ほど一歩も外に出なかったら
その翌日に目に映る緑の多さに心底驚いた日がありました。
新緑がみずみずしく、もりもりサワサワと輝いていて
向こうの山々が2トーンくらい明るくなったように感じた。
その少し前までの「春の訪れ」の柔らかい空気と、全く違っていて
いつのまにか春は通過しようとしているのだと知った。
生まれたての生命のエネルギーに満ちていて
勝手に、ものすごく元気が出た。
淡々とめぐっている季節を肌で感じて、喜びを感じずにはいられなかった。
今年は桜を目にするたびに、
私の感覚がそれまでの春とは違う感覚になっていることを感じていました。
言葉にはしなかったけど、今までは心のどこかで
「あっというまに散っちゃうのに、毎年毎年、こんなに咲いて立派だなぁ」というような気持ちがあった。
この一瞬のために、頑張って咲くのだなぁ。
そんなふうに感慨深く思っていたのです。
厳しい冬をじっと耐えて、春が来るのを待ってるのだと思ってた。
桜や、その他のお花も
「咲くために在る」のだと思ってた。
だから散るのが寂しかった。
なんだか切なかった。
ずーーーーーっと、当たり前のように
咲く=成功
だと思っていたんだなぁ。
咲くことこそが喜びだと思っていたんだなぁ。
でも、今は思う。
そうじゃなかった。
咲くために存在してるわけじゃなかった。
ただそこに在り、淡々と訪れる変化を受け入れているだけだった。
どんな姿も喜びだった。
どんな姿も美しかった。
カタチが変わっても変わらない確かな存在を感じて、そこに美しさを感じた。
尊さを感じた。
すべて喜びだから、
すべてを受け入れているから
勝手に咲いてしまうんだ。
桜が散って緑の葉っぱがキラキラしている姿を見て、涙が出た。
「咲く」を目的にしなくてもいい。
目に見えるカタチにこだわらなくていい。
自分の存在に目を向けよう。
自分の内側に耳を傾けよう。
すでに大成功で、大喜びなのだ。
【咲く=喜び】ならば、わたしはいつも満開だ。
そう思える今が、本当にhappyです♡