長男と次男が私の実家(ジジババの家)にお泊まりに行って、いつもより静かな我が家です。
おととい、母に誘われて、父と母と我が家のみんなで近くの山に登りました。
そして昨日はまた、母の提案で、奈良にある石上神宮に今年のお礼参りに行ってきました。
母と密着して過ごしていて、わたしは2日目の石上神宮のお参りのあたりからモヤモヤし出した。
前日、山登りのあとに忘年会に行くと言ってたから「どうだった?」と聞いたら
母の答えは「まぁ4000円のコースやし、あんなもんかな」だった。
【アナと雪の女王2】の映画を観に行くと言ってたから「どうやった?」と聞いたら
母は「まぁ良かったけど、歌があんまり入ってこなかった」と言った。
石上神宮のお参りの後に食事に行く予定で、
「どこに行こうか?」と話してたら
「あそこは味がおちた」とか、母が色々と言うたびに
イライラモヤモヤが募る。。
結局、子供たちも楽しめるファミレスに行って母にご馳走になったのだけど
「ごちそうさまー!」とお礼を言ったら
「いえいえ。子供たちが小さいから家で食べるのがいちばんやね」と、言った。
たしかに子供たちはじっとしてないから気をつかうし
食べさせたり大変やけど、、、
美味しかったし、楽しかったのにな。。。
すっごく寂しくなった。
そして、「お母さんはいつも文句ばっかりや。」と、思った。
わたしはずーっと「お母さんは100%満足することはない」と思っていた。
それを、思い出した。
長男と次男はそのまま実家に泊まり、わたしと夫、娘と末っ子で帰宅したあとに
「お母さんってさ、文句ばっかり言ってるよな。」
と、夫に言ったら
夫は「そうかな?別にそう思わんけど。」と言った。
それがまた、ものすごくモヤモヤして、ノートに向かいました。
「なんでわからんの!!そうやし!!いつも文句言ってるやん!!」とイライラして書いた。
悲しい思いが溢れてきた。
小学生や中学生の頃を思い出した。
中学生の頃の通知表で、10段階評価で音楽以外の項目が全部10だったときも、
みんなが「すごい!」と言ってくれたけど、
お母さんは「音楽がおしかったね、ピアノ習ってるのに9かぁ」と言った。
テスト勉強を頑張って5教科で498点だったときも
「えー、あと1問で満点だったのにね。」と言った。
あのときも、あのときも。
みんながどんなに素晴らしいと言って喜んでくれても、
わたしがどんなに自分で満足していても、
お母さんはわたしの「あと少し」のできてない部分を見た!
いっつも、足りてないところを見たやん!
もっとできる、もうちょっとがんばれ!って。
いつもいつも、100%で喜んでくれることはなかったやん。。
ノートにそこまで書いたあと、静かに、
「あぁ、わたしはお母さんにただ喜んで欲しかったんだな。」とわかった。
ただ、お母さんの喜ぶ顔が見たかったんだ。
わたしが今まで色々と頑張ってきたのは、お母さんの喜ぶ顔が見たかったからなんだ。
わたしが今まで、お母さんの不満気な感想にモヤモヤを募らせていたのは、
わたしがお母さんを満足させられていないと自分を責めていたからなんだ。
わたしが完璧じゃないから、お母さんを100%喜ばせられないんだと思っていたんだ。
わたしが、勝手にそう思っていた。
お母さんは、本当にいつも満足してなかったの?
お母さんは、本当にいつも100%の喜びを感じていなかったの?
そんな問いが自然に浮かんで、
答えはちゃんとわたしの中にあった。
「お母さんはいつも100%喜んで生きていた」いう答えが。
わたしの中に、笑顔のお母さんの顔がいっぱいあった。
孫に囲まれて、毎年「もう本当にしあわせ、何もいらない」って言っていた。
「これ以上の人生ない」って、よく言っていた。
「お母さんは、いつも理想通りやねん。」
わたしが子供の頃に、そう教えてくれた。
それを思い出して、また泣いた。
「お母さんは1人の女性」。
こんなところが嫌で、こんなところは尊敬してる。
そう思って対等になっていたつもりだったけど
「お母さん」って、やっぱり特別な存在なんだな。
お母さんは大切だけど、ちょっと苦手だと思ってた。
しかし、わたしは、お母さんが大好きだったんだ。
いちばん近くて、大好きな存在だからこそ、こんなにも感情が揺れ動くんだ。
わたしをこの世に生んでくれたんだもん。
いっぱい泣いて、特別なんだと認めたら、
頭ひとつ分なくなったんじゃないかと思うほど軽くなりました♡
良いお正月を迎えられそうです![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
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みなさまもよいお年をお迎えください♡
今年1年、ありがとうございました✨✨