"この子らを世の光に"


戦後の混乱の中、障害のある子どもたちの発達を保障するための活動に大きな力を注ぎ、その後の日本の障害福祉の礎を築いた、糸賀一雄氏の言葉です



私がこの言葉に出会ったのは大学時代
 

その後、子どもの発達支援の職に就き、結婚して母となり、どういう巡り合わせか、18トリソミーの子を産んだ…


この子を授けていただいた今、私は改めてこの言葉の意味を考えることとなりました




「ねぇねぇ、あそぼーハート
        はいはい、お手手ぷるぷるぷる~キラキラ音符


*:*:*:*:*


 "この子ら" とは、いわゆる障害のある子らのこと

古い時代、この子らは何の役にも立たず、社会から落ちこぼれ、隠される、不幸な子らでした


そんなこの子らに、世の光を

つまり可哀想な子に光を当ててあげる、という慈悲の考えが、糸賀氏の活動の初めにはありました



しかし彼が生涯の終わりに残した言葉は

『この子らに世の光を』ではなく

『この子らを世の光に』


180度意味の異なる言葉です



糸賀氏はその実践の中で、

どんなに重度の障害がある子でも、生き抜こうとする意欲を持ち、その子なりの自己実現をしているのだと気付き

『重症な障害はこの子たちばかりでなく、この事実を見ることのできなかった私たちの眼が重症だったのである』

と語っています




「ねぇねぇ、お腹すいたーほにゅうびん
        はいはい、ミルクねhart


「トールでほにゅうびんキラキラ3
        スタバかよ!笑


*:*:*:*:*


『この子らを世の光に』という言葉には


この子ら自身が、意思を持ち、自ら輝く存在であること

その力を持ったこの子らがさらに輝くように、発達の保障をしていくこと

そして、そのことを皆が理解し、実現していける社会にしていこうという

強い思いが込められているのです




糸賀氏は、

『この子らの放つ光はまだ世を照らしていない。目もくらむような文明の光輝のまえに、押しつぶされている。

しかし私たちは、この子らの放つ光を受け止める人びとの数をこの世に増やしてきた。

異質の光をしっかりとみとめる人びとが、次第に多くなりつつある。

人間のほんとうの平等と自由は、この光を光として認め合うところに初めて成り立つということにも、少しずつ気づきはじめてきた』


と語りました。(※少し要約しています)






「ねぇねぇ、プリキュア見たいハートリボン
        姉ちゃんに似てきたねまったり


*:*:*:*:*


彼がこの世を去って今年で50年


この子らの光は、確実に世の光となりつつあります




思えば、10年前、教育実習で出会った重度の子らの輝きを目の当たりにし
この子らが豊かに生きられる社会を作っていかなければという使命感に胸が熱くなったあの日から

私の思いは変わっていません



生きられないと言われながら懸命に命を輝かせるこの子らからのメッセージが、写真集というひとつの形になった今日

糸賀氏の残したメッセージと重ねて



かならず


"この子らを世の光に"


していくことを誓います





「ねぇねぇ、終わったー?」
         はいはい、抱っこでゆらゆら30分コースねhart


 「スクワット追加で(o´罒`o)矢印
         ちょっと腰が…(;´д`)汗



☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜



 今日、お空へと旅立つお友だちもいます


あなたの命の輝きは

これからもずっと

みんなの未来を照らす光となり

輝き続けることでしょう



Sちゃん、生まれてきてくれてありがとう星