昨夜のこと。
ラジオきしわだ 79.7 FM
23:00~24:00
≪瀧本光静とおろかな仲間たち≫
私が、仏教の教えを学んでいる
「逆視道」の瀧本光静 先生が
とてもわかりやすく
導いてくださいました。

私は子どもの頃から「死」というものを
とても、とても、恐れていました。
小学生低学年の頃から
子ども部屋で寝ようとする時の、
暗闇で「寝る」という作業に入るのがとても嫌でした。(今も苦手です)

寝ようとすると
人はいつか死んでしまう…
せっかく生まれてきたのに私も死んでしまう…
死んだらどうなるの?
死んだらどこに行くの?
死にたくない…
死ぬの恐い…
私が死んだ後も世界は続いて行く…
宇宙なんて、なんであるの?
地球が無くなっても宇宙はあるの?
なんで地球はできたの?
無くなるかもしれない地球は、なんで生まれたの?
などと考え始めると
眠れないどころか、恐くて怖くて
1階に降りていって
台所で洗いものをしている母に
「ねぇ、死ぬのがこわいんだけど…」

と、言いに行きました。
母は、
「なにくだらないこと言ってんの、早く寝なさい。」

まあ、母からしたらそうでしょう。
寝たはずの子どもが起きてきて
死ぬのが恐いだの、
死んだらどこに行くのか?だの、
死にたくないだの
そんなことを言われても
答えられるはずがありません。
でも、私にとっては大問題だったんです。

なんで聞いてくれないんだろう?
なんでわかってくれないんだろう?
もう、死ぬことを考えるだけで
とてもとても絶望的な気持ちになっていました。

大人になってからも未だに、
現在も…入眠がとても、苦手です。
やはり、考えてしまいます。
宇宙は…地球は…
この世は…人間は…などなど 

ぐっすり眠れるとか、
α派がどうのとか、
空気を清めるとか、
そのようなCDをかけて、知らないうちに眠れるといいなぁ…と思っても
1時間30分くらいのCDを最後まで聴けちゃうくらいは、大概 起きてます。

でも
心理学を学び、仏教を学び、楽算メソッド®️を学んできた中で
少しずつ死を受け入れられるようになってきました。
今は、家族や身近な人が死ぬことを恐いとは思いません。
それは仏教を学んだことが大きいと思います。
でもまだ、自分が死ぬのは恐いし、死にたくもない。

光静先生は、
「人間は死亡率100%」
「神様は人間というものを完璧に作られた…いつ死ぬかわからないということも含め…」
と教えてくれます。
「どうせ死んでしまうのに、人はなぜ生まれてくるのですか?」
の、答えですが、
光静先生は
「結論から言うと、答えはないが
"どうせ帰って来るのに、なんで旅行に行くのですか?"ということと同じこと!」
と、教えてくださいました。

なんてわかりやすいんでしょう!!!

「どうせ帰って来るから」と言って
旅行に行かないなんて人はいない。
どうせ帰って来ると決まっていても
旅行には行くし、
どうせ下山すると決まっていても
富士山に登る。
なぜかと言うと
楽しいから。
自分がやりたいことだから。
それだけなんですね。
生きることになんの意味があるんですか?とか、そんなことではなく、
今世、与えられた命を
最後まで生ききることに、意味がある。

わずかしかない貴重な旅行の1日を
ホテルでダラダラしているなんてもったいない!
綿密に、計画を立てて楽しい旅行にする。
1時間たりとも無駄にしたくない!
誰もがそうするはず。

「旅行に行っている時間」と
「私たちが命を与えられてこの世に来ている時間」は
同じ意味だと考えると…
わぁ~ボヤボヤしてらんない❗️


と、密かに興奮した昨夜のラジオでした。
ラジオきしわだ 79.7 FM
瀧本光静とおろかな仲間たち
月曜日 23:00~24:00
スマホアプリでも聴けます。。。
