人と人が別れる時がある。

 

その別れが

どれだけ自分の人生をどん底に突き落とそうとも、

相手がどれだけ卑怯な振る舞いをして、

私を貶めようとしても、

その二人の間に、

そして

二人が共に過ごした時(とき)の中に、

幸せや楽しみや笑いや喜びが

その光を放ち存在する。

 

眼の前に起きていることに集中をし、

過去に起きて、今も自身を苦しめるその出来事から

気をそらすことに努めていても

あの、幸せや楽しみや笑いや喜びを想い出させる瞬間があり

心が大きく揺れ動く。

 

眼の前が観えなくなるほど、

涙が溢れることがある。

 

そんな時、

私は貴方に言いました。

 

あの時の、幸せや楽しみや笑いや喜びは

もう、要らない。

 

苦しくなるから、もう、要らない。

 

私の頭の中から消え去って欲しい。

 

消えないなら、憎しみで上塗りされてくれたら

それでいい。

 

涙声で伝える私に、貴方は言いました。

 

「分けて考えて。」

 

過去の出来事は、

それぞれ、起きたんだ。

 

今、あの時、

ああしていれば、こうしていればと思うだろうけど、

その時は、それが起こるべきして起きたんだ。

 

後悔とは、

時が過ぎて思えることであって

生きている瞬間、瞬間は、

それがその時の

精一杯だったんだよ。

 

どれだけの苦しみを伴う別れがあったとしても、

それが今も続いているとしても、

今も、どれだけ苦しんでいるとしても、

 

その、幸せや楽しみや笑いや喜びは、

そのまま、

「分けて考えて」

 

憎しみで上塗りすることなんて、

考えなくていいんだよ。

 

貴女が抱えている

苦しみ、憎しみを僕は否定しない。

 

でも、

幸せな出来事は幸せと思える出来事だったんだ。

 

楽しい出来事は楽しいと思える出来事だったんだ。

 

笑いは笑いで、喜びは喜びで

二人の間に

存在したんだ。

 

それを、

「分けて考えて」

 

そうやって、「分けて考える」ことが出来るようになったなら

幸せや楽しみや笑いや喜びを想い出した時、

苦しい出来事を想い出さずに

それぞれの想い出を

それぞれの想い出として

受け止めることが出来るようになると僕は思う。

 

そういう、

「きっかけ」になればいいと、

僕はそう思うんだ。

 

 

 

貴方は、私が私と分かっていても、

気づかないふりをして。

 

いつも、

今日が初めての出逢いのように、

私の悩みを

白いカーペットの上に広げて

ゆっくりと、

その、あるべき位置に、そっと置き、

ほどよく、説きほどしてくれる。

 

今日、この時間を私に捧げてくれて、

有難う。