~ NHK「みんなでひきこもりラジオ」 ~

 

この放送と出逢ったのは今年の正月頃。

その次は4月の祝日。

 

4月の放送の終わりに告げられたのは

次回の放送は未定。

 

いつになるのだろう。

このまま、この放送はなくなるのだろうか。

 

何故、ここまでこの放送が気になるのか。

 

身の回りに引きこもりの方がいるわけではない。

 

放送を聴いて私の心に響いたのは

誰もが必死で一生懸命生きている。

生き抜こうとしていること。

 

そして、

何よりも心を打たれたのは

過去にひきこもりの経験がある人、

今もその中で何とかしようと生き抜いている人、

その方々の生きる姿。

 

普段、誰もが何気なくしている

食事、外出、仕事、入浴、歯磨き、散髪、

そういったことが思うようにできない。

したいけどできない。

若しくは、したいと思う気になれないことへの戸惑い。

なんとか、なんとかしようと思うけれど

思うようにいかない。

そんな自身に葛藤しながらも

周りで生活している家族や兄弟姉妹に

迷惑をかけていないかと心配をしていること。

 

ひとつのラジオ番組を通じて

皆が一緒に繋がる。

 

そこで様々な「言葉と心」が通い合う。

 

その中で

私が気づいたこと。

 

「そうだったんだ。あの、あの苦しい人生どん底のあの生活」

あの時、私は何も出来なかった。

あの、私の、あの状況はひきこもりだったんだ。

 

まだ、問題は何一つ解決していない。

相手がいることだから。

 

どちらかが生命の灯が消える時まで

私は身に降りかかってきた突然の出来事とそのしがらみに

苦しめながら生きていかなければならない。

 

されど、

今は、あの時とは異なる時間を刻んで生きている。

 

私自身が変わったわけではない。

ただ、考え方に幅が出来るようになった気がする。

何を大事にするか、そこに意識を持っていくような

そんな風になれたのかもしれない。

 

過去に引き釣り回されない。

そんな時間はない。

「過去」より「今」。

そして、

「今」より「これから」。

そこに意識をもって時を刻む。

 

この番組と出逢えたことに感謝。

この番組を通して今の私に何が出来るかを考えたい。

 

残りの人生を、

自身が経験したことを自身に、人様に活かすことが出来る

そんな毎日を送りたいと願いつつ、

8月11日のこの放送を待っている。

 

目まぐるしい日が続いています。

ブログの更新もできず、

皆様にブログを訪問することもできず、

コメントにおこたえすることもできず、

申し訳なく思っています。

 

ただ、

ご理解いただきたいこと。

 

私を取り巻く環境の中で

私が綴るブログの内容、コメント返しのそのどこかに

私の陥れようとする者たちがおり

私がこの自身のブログで

ありのままを綴ることに制限があることをご理解ください。

 

暑い毎日が続いています。

日本の気候は変り果てました。

いつ、何が起きてもおかしくないこの状況。

 

どうか、皆様。

ご自愛くださいませ。