世界初の念写成功者と言われている。


明治4年山口県に、厳格な家庭に生まれ、17歳で司法官試補の長尾与吉に嫁ぎ、丸亀区裁判所に転任。


御船千鶴子以上の透視能力を確信した東京帝国大学の福来友吉博士は丸亀に赴き、

透視実験を行いいくつかを成功させた。


一方、詐欺師と疑われる重圧の中、明治44年初頭、急性肺炎で亡くなる。