彼の半生はよくわかっていない。

1875年明治8年に富山県生まれの宇田天皇から32代目の子と自称しているが、

当時の警察の調べでは天皇家とまるで関係ない木引き職人の私生児とある。


生まれてままなく旧家の竹内家の養子になり、財宝を持ち出し上京。

御嶽教に入信し、信仰宗教のノウハウを身に付け、天津教を創設。



「竹内文書」では、神と宇宙創生を語る。

エピソードに空中に文字を書くというものがあるが…

1965年に他界。