「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」解説

 

「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」の大滝サイドの楽曲は互いに関係を持ち合っています。
このため、「白い港」篇が続いている中での、「ハートじかけのオレンジ」篇の登場です。
伏線を回収しながらの、まさかの同時進行となるか?
「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」ではリバプール・イディオムを封印したかに見える大滝さんですが、やはり、ビートルズがいろいろ絡んできます(笑)

 

第1章 泳げカナヅチくんとブルー・バルボア

大滝詠一さんの「ナイアガラ・カレンダー'78」では、「泳げカナヅチ君」から「真夏の昼の夢」にかけて波の音でつながっていました。

 

このうち「真夏の昼の夢」は「オリーブの午后」へと転生されているわけですが、「泳げカナヅチ君」は「ハートじかけのオレンジ」へと連なっているのではないでしょうか。

 

「泳げカナヅチ君」には数曲のサーフ・ミュージックが織り込まれています。

 

大滝詠一 「泳げカナヅチ君」

 

その“織り込みサーフ・ミュージック”のうちの、2曲に注目してみましょう。

 

ディック・デイル&ヒズ・デル・トーンズ 「キング・オブ・サーフ・ギター」(1963年)

 

↑この曲の出だしのギターのフレーズが前掲の「泳げカナヅチ君」の動画の2:08~に登場します。

 

ディック・デイル&ヒズ・デル・トーンズ「ミザルー」(1962年)

 

↑この曲で0:05~から繰り返し演奏されるギターのフレーズが、「泳げカナヅチ君」の動画の2:50~に登場します。

 

両曲の動画の主、ディック・デイルは、“サーフ・ロックの生みの親”とか“サーフ・インスト・ミュージックの創始者”と呼ばれ、曲名のとおり“キング・オブ・サーフ・ギター”なのですね。


彼が出演し多くの観客を魅了していたのが、南カリフォルニアのバルボア岬のランデヴー・ボールルーム

 

ディック・デイルは1960年からほんの数年間、文字どおり波に乗って大活躍しました。
しかし、'60年代半ば以降はビートルズを筆頭とするブリティッシュ・インベイジョン勢の席巻で尻すぼみに…。

 

さて。
今回の「NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX」のブックレットで、「ハートじかけのオレンジ」の初期タイトルは「ブルー・バルボア」と記されていました。

 

サーフ・ミュージックの草分けとしてのディック・デイルが、かつて活躍した地、バルボアの岬…。

 

大滝さんは、サーフ・ロックの生まれたバルボアの地に思いを寄せて、、、
いや、「ビートルズがやって来る前の、昔はよかったなあ…」なんていうディック・デイルの独白を代弁して、、、
ブルー・バルボア」という仮タイトルをつけたのかもしれませんね。

 

大滝さんが「ブルー・バルボア」、すなわち「ハートじかけのオレンジ」を手掛けたのが1982年の1月。
「オリーブの午后」篇の回 でふれたように、当時、1980年から1982年にかけては、日本中の若者がサーファーを気取っていた時代なのでした。

ほんの数年、流行を先取りし過ぎた1978年の大滝さん…。

 


白い港」篇その1と、「ハートじかけのオレンジ」篇その1を続けてご覧いただき、ありがとうございます。

ハートじかけのオレンジ」篇は第6章まで(!?)、「白い港」篇は第4章まで(!!)あります。
ご覧になる方が混乱しないように、交通整理してご提供いたします。

以下は、これからの「白い港」篇の予告です。
第2章 「風立つカレン」の秘密
第3章 「悲しきWhite Harbour Cafe」の秘密
第4章 ビートルズともう1人のポール

 

お楽しみに!