詳説ロンバケ40th No.15
第1章 霧の中のあいつ
第2章 バディ・ホリーに捧ぐ
第3章 ヒットを狙え
最終回を迎えたロンバケ40th全曲解説も、気がつけば盛夏の東京五輪の時期にまで延展していました。
今回も長文読解の予感がしますので、ゆーっくりご覧くださいませ。
第1章 霧の中のあいつ
大滝詠一さんの「さらばシベリア鉄道」の元ネタ曲として広く知られるのが、ジョン・レイトンの歌った「霧の中のジョニー」です。
基本的なリズムや哀愁を帯びた曲調が「さらばシベリア鉄道」のヒントになっており、サビのメロディ(動画の0:57~)や、1番と2番をつなぐリフ(動画の1:32~)などは、ダイレクトに「さらばシベリア鉄道」へ引用されています。
John Leyton 「 Johnny Remember Me 」(1961年)
ここでいきなり、話は“ゲゲゲの鬼太郎”に飛ぶのですが、水木しげるの漫画『墓場鬼太郎(ゲゲゲの鬼太郎)』にも『霧の中のジョニー』というエピソードがあります。
これは偶然の一致ではなく、ジョン・レイトンの歌や日本でのカバー・バージョン(鹿内孝や克美しげる)の影響を受けた結果なのだそうです。
三木鶏郎の門下生でもある いずみたくの作曲したアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』のエンディング曲が、以下の動画です。
歌い手を変えながら、第1期(1968年)から使われています。
●「カランコロンの歌」(クリックしてお聴きください)
「♪ カラーン コローン カランカラン コロン」
と歌われるところのコード進行が、実は…、「さらばシベリア鉄道」で度々登場するエレキ・ギターのキメ・フレーズの箇所のコード進行と同じなのですよね…。
以下の「さらばシベリア鉄道」の動画の0:48~0:54のフレーズです。
●大滝詠一 「さらばシベリア鉄道」 (クリックしてお聴きください)
この「さらばシベリア鉄道」のおかげか、日本では、ジョン・レイトンの知名度が高いのです。
ジョン・レイトンは歌手のみならず、俳優としても活躍しました。
彼は、スティーブ・マックイーン主演の1963年の映画『大脱走』に出演していました。
『大脱走』で、ジョン・レイトンが演じたウィリー( Willie “Tunnel” King )は、捕虜収容所から脱走するためのトンネル堀りを担当するメイン・キャストで、通称はトンネル王。
脱走した76人の捕虜のうち、最後まで生きて逃げのびる3人のうちの一人という重要な役柄でした。
以下の映画『大脱走』の動画(約2分)で、冒頭から登場し、崩落したトンネルで生き埋めになりかけて助けられるのが、ジョン・レイトンです。
●映画『大脱走』のジョン・レイトンのシーン (クリックしてご覧ください)
そして、あまりにも有名な「大脱走マーチ」に歌詞を乗せて歌ったのも、ジョン・レイトンでした。
●John Leyton 「 The Great Escape 」(1963年) (クリックしてお聴きください)
さて。
映画『大脱走(The Great Escape)』の監督は、ジョン・スタージェスでした。
音楽を担当したのは、エルマー・バーンスタイン。
この監督&音楽のコンビによって、『大脱走』の3年前に制作された西部劇映画がありました。
有名な『荒野の七人( The Magnificent Seven )』が、それです。
2016年には、『荒野の七人』をリメイクした『マグニフィセント・セブン』が公開されています。
(日本公開は2017年1月)
そもそも、『荒野の七人』は、1954年の日本映画『七人の侍』(黒澤明 監督)を基に撮られた作品ですね。
せっかくですから、超有名な「荒野の七人 メインテーマ」を映像とともにお楽しみください。
(第3章でカギとなる1曲でもあります。)
●「The Magnificent Seven Main Theme 」 (クリックしてご覧ください)
“七人”と聞いて思い浮かべるのは、“七人の刑事”でもなく“少年探偵団(BD7)”でもなく…。
“フィヨルドの七人”です。
●フィヨルド7「哀愁のさらばシベリア鉄道」 (クリックしてお聴きください)
マグニフィセント・セブン すなわち“荒野の七人”にちなんで、大滝さんがシャレで名付けた架空のグループ名、それが、フィヨルド・セブン。
すなわち、“フィヨルドの七人”というわけです。
もちろん、大滝さんは、ジョン・レイトンと『大脱走』と『荒野の七人』の“連なり”をご存知だったのでしょう。
ここで、雑誌「pen」515号(2021年4月)の、松本隆氏へのインタビューを思い返してみます。
大滝さんからは「ロシアのイメージで、スプートニクスがやりたいんだ」と依頼があったそうです。
スプートニクスといえば、大滝さんはスライド・ギターをフィーチャーしたインストゥルメンタル・アルバム「多羅尾伴内楽團Vol.1」で、スプートニクスの「霧のカレリア」を取り上げています。
「霧のカレリア」をヒントに、フィヨルド7の「哀愁のさらばシベリア鉄道」のジャケットがデザインされたのですね。
北欧ギター・インストの趣のある「哀愁のさらばシベリア鉄道」にとって、スプートニクスにちなんだジャケットはピッタリというわけです。
スプートニクスのナンバーには、“さらシベっぽい”曲もあります。
キーワードは“空”や“宇宙”です。
●ザ・スプートニクス 「空の終列車( Last Space Train )」 (クリックしてお聴きください)
●ザ・スプートニクス 「宇宙パーティー( Space Party )」 (クリックしてお聴きください)
●ザ・スプートニクス 「ゴーストライダーズ・イン・ザ・スカイ( Ghost Riders In The Sky )」(クリックしてお聴きください)
最後の曲、「 Ghost Riders In The Sky 」は、大滝さんによれば「さらばシベリア鉄道」の間奏に用いたのだそうです。
同曲は50組以上のアーティストが演奏していますが、西部劇映画の1シーンが思い浮かぶラムロッズのバージョンが、大滝さんにとっては印象深いのでしょう。
「さらばシベリア鉄道」では、イントロや間奏でムチの音が響きます。
なんで“鉄道”なのに“ムチ”なの?と思われるかもしれませんが、やはり、西部劇が「さらばシベリア鉄道」の一要素になっているのでしょうね。
ラムロッズ 「空かける恋( Ghost Riders In The Sky ) 」(1961年)
第2章 バディ・ホリーに捧ぐ
第1章で登場したジョン・レイトンの楽曲をプロデュースしたのが、ジョー・ミークです。
彼は英国初のインディペンデント・プロデューサーとして知られています。
エンジニア出身の彼は1960年に自分のスタジオを作り、自分のレーベルも設立しました。
彼の生み出す独特なスペーシー・サウンドは、本名のロバート・ジョージ・ジョー・ミークをもじって、R.G.M.サウンドと呼ばれました。
自分のスタジオとレーベルと自分の名前をもじったサウンドの愛称…、なんだか、大滝さんに似ていますね。
私、個人的には、ミークのR.G.M.サウンドは一部の名曲を除いてサウンドの実験作品的な曲が多い、という印象があります。
そんなR.G.M.サウンドの代表曲が、1961年に全英1位のヒットになったジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」と、1962年から63年にかけて全英、全米で1位を記録したトーネイドーズの「テルスター」です。
「テルスター」はあまりにも有名な曲なので、トーネイドーズの曲で「さらばシベリア鉄道」の旋律の下敷きにもなっている「空を飛ぶ恋 」をお聴きください。
トーネイドーズ 「空を飛ぶ恋( Ridin' The Wind )」(1963年)
第1章の巻末のスプートニクスも、そしてトーネイドーズも、やたらと空を飛んで宇宙へ行きたがりますが、それもそのはず、当時の宇宙時代の幕開けを象徴しているのですね。
そもそも、スプートニクって某国のロケットです。
ちなみに、テルスターも1962年にNASAが打ち上げた通信放送衛星です。
さて、R.G.M.サウンドの中でも、ジョン・レイントンの歌う曲には名曲が揃っていました。
ジョー・ミークの右腕であり、作曲やキーボードで活躍したジェフ・ゴダードの功績も大きかったのでしょう。
ジョン・レイントンの代表曲である「 Son This Is She 」は、ノスタルジックな雰囲気が魅力です。
曲中の印象的なソプラノ女声コーラスは、ジョン・レイトンのナンバーでは頻出します。
それらは、「さらばシベリア鉄道」で聴かれる伊集加代(伊集加代子)のコーラスに引き継がれていると思います。
John Leyton 「 Son This Is She 」(1961年)
ここで私の昔話を。
かつて、ナイアガラーの友人に作詞してもらい、「シベリア象は吹雪の中」というオリジナル曲を作ってAXIAミュージック・オーディションに応募したことがありました。
その時に下敷きにしたのが私の大好きなこの曲、ジョン・レイントンの「 Oh Lover 」でした。
同オーディションで特別賞をとった槇原敬之は、その後あっさりメジャー・デビューしたのでした。
●John Leyton 「 Oh Lover 」(1962年) (クリックしてお聴きください)
「Oh Lover」の間奏(0:56~)やエンディング(1:50~)で耳を澄ますと、ピアノが「♪ ポロロロン ポロロロン」と3連符を奏でています。
これは、先述の「空を飛ぶ恋( Ridin' The Wind )」の「 ♪ ポロロッ ポロロッ 」という16分音符と同様に、「さらばシベリア鉄道」のピアノ・サウンドに取り込まれています。
ところで。
プロデューサーのショー・ミークはバディ・ホリーに心酔していました。
大事なことなので、もう一度…。
ジョー・ミークは、バディ・ホリーを敬愛していたのです。
彼は、バディ・ホリーへのトリビュート・ソングをマイク・ベリーに歌わせたりもしていました。
Mike Berry 「 Tribute To Buddy Holly 」(1961年)
↑
動画の1:01~1:30の部分では、バディ・ホリーの代表曲「ペギー・スー」を引用しながら、追悼しています。
そして、あまりにも有名な「ペギー・スー」が以下の動画です。
●Buddy Holly 「 Peggy Sue 」(1957年) (クリックしてお聴きください)
そう、「ペギー・スー」を歌ったバディ・ホリーは1959年の2月3日に、リッチー・バレンスらと飛行機墜落事故で亡くなっていたのです。
このため、2月3日は「音楽が死んだ日 (The Day the Music Died)」と呼ばれました。
大滝さんが手掛けた曲にも、バディ・ホリーのエッセンスを取り込んだ楽曲がいくつかあります。
「シャックリ・ママさん」や「あの娘にご用心」が分かりやすいですが、新井満への提供曲の「消防署の火事」(大瀧詠一 作曲)も“バディー・ホリー”です。
新井 満 「消防署の火事」(1978年)
動画の0:26~の部分の、
「♪ 昔からボヤひとつ見逃さない
昔からボヤひとつ見逃さない 」
が、まさにバディ・ホリーの「ペギー・スー」になっているというわけです。
(「ペギー・スー」のイントロをバックにして歌えます。)
これは後に「恋のナックルボール」の「♪ バンドゥビ バンバンバン」になります。
(主旋律の「♪ バンドゥビ バンバンバン」は3度上を歌っています。)
さらに動画の 0:11~0:18 の部分の、
「♪ ここは街はずれ 丘の上
桜の名所 花ぐもり 」
は、バディ・ホリーのフォロワーとしてデビューした、トミー・ロウの「可愛いシェイラ」が用いらていると思います。
●Tommy Roe 「 Sheila 」 ( 1962年 )(クリックしてお聴きください)(スマホからの閲覧の場合、YouTubeで見るをクリックしてください)
↑
「シェイラ」の動画の 0:07~のところですね。
そして。
“バディ・ホリーと大滝詠一”といえば、なんといっても「A面で恋をして」です。
●ナイアガラ・トライアングル「A面で恋をして」 (クリックしてお聴きください)
「A面で恋をして」のイントロで奏でられる「ペギー・スー」、
1:03~1:05で聴かれるシャックリ唱法(ヒーカップ唱法の派生)、
そして、曲の骨格には「エブリデイ」…。
●Buddy Holly 「 Everyday 」(1957年) (クリックしてお聴きください)
大滝さんによれば、「A面で恋をして」は、“バディ・ホリー・ミーツ・フィル・スペクター”なのだそうです。
バディ・ホリーやエヴァリー・ブラザーズは、ビートルズをはじめとした“リバプール勢”に影響を与えたオリジンだ、というのが大滝さんの認識です。
そのため、リバプール・サウンドが3人の共通項だった「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」へも、大滝さんは敢えて、“バディ・ホリー”という変化球を投じたのですね。
バディ・ホリーの話を縷々述べてきましたが、“バディ・ホリー・ミーツ・フィル・スペクター”である「A面で恋をして」とカップリングで、1981年10月21日に両A面シングルとしてリリースされたのが、「さらばシベリア鉄道」でした。
当時は、“大滝詠一”と“ナイアガラ・トライアングル”という異アーティストどうしの組み合わせが、異色に感じられたものです。
さあ、ここまでの話を読んで、ピンと来た方もいらっしゃるのではないでしょうか…。
実は、ジョー・ミークは1967年2月3日、自らにライフルを向け自死しています。
2月3日といえば、バディ・ホリーの命日。
三度繰り返しますが、ジョー・ミークはバディ・ホリーを敬慕していました。
大滝さんが「さらばシベリア鉄道」と「A面で恋をして」とをカップリングにしたのは、自死したジョー・ミークへの“介錯(かいしゃく)”か、“手向け(たむけ)”だったのではないでしょうか。
介錯(かいしゃく)とは、これのことです。
そして、手向け(たむけ)とは、これのことです。
(『機動戦士ガンダム』を知らない方、すみません)
さしずめ、大滝さんはこんな思いを込めたのでしょうか。
「ジョー・ミーク、私の手向けのカップリングだ。バディ・ホリーと仲良く暮らすがいい」
先に挙げた「A面で恋をして」の動画で確認していただきたいのですが、
「♪ A面で恋をして ウィンクのマシンガンで
ぼーくの胸 うち抜いてよ~ 」
の部分のバックで、「♪ ポロロ ロン ポロロ ロン 」と3連符を弾き続けているピアノにご注目いただいきたいのです。
この「♪ ポロロ ロン 」ピアノのルーツは、バディ・ホリーやフィル・スペクター関連の楽曲には見当たりません。
まさにジョー・ミークのR.G.M.サウンドを特徴づける「♪ ポロロ ロン 」ピアノが、バディ・ホリーの「エブリデイ」をコアに据えた「A面で恋をして」の曲中で、衛星のように巡回しているのですね。
問題が一つ…。
「さらばシベリア鉄道」でも「A面で恋をして」でも、8分音符を3分割した3連符の「♪ ポロロ ロン 」ピアノを弾き続けるキーボード・プレーヤーは、指がつって大変なのです。
4分音符を3分割した3連符の「君は天然色」や「Happy Endで始めよう」の比ではありません。
「ロング・バケイション」のレコーディングで、メイン・キーボーディストだった山田秀俊氏は「さらばシベリア鉄道」の「♪ ポロロ ロン 」ピアノに懲りて、以後のロンバケ・セッションには来なくなったのだそうです(笑)。
第3章 ヒットを狙え
第1章で取り上げた「荒野の七人 メインテーマ」をリアレンジして収録していたアルバムがあります。
フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドのアレンジャーをフィーチャーした、ジャック・ニッチェ楽団のアルバムです。
ジャック・ニッチェ楽団「 The Magnificent Seven 」(1963年)
一方、大滝さんはジャック・ニッチェ楽団をヒントにして、ナイアガラ・レーベルに関わる多彩な才人のうちアレンジャーの多羅尾伴内にスポットを当てる、という いわば架空の企画ものを捻り出します。
そうして、1977年11月25日にリリースされたのが、「多羅尾伴内楽團 Vol.1」です。
「多羅尾伴内楽團 Vol.1」は選曲のセンスもサウンドの実験の出来栄えも冴えていたのですが、大滝ファンは戸惑うばかりだったのか、セールス的にはふるわず…。
その収録曲は以下のとおりでした。
ここに、注目すべき2曲が選曲されています。
その1曲めが、第1章でふれたジョン・レイトンの歌う「霧の中のロンリー・シティ」。
●ジョン・レイトン 「霧の中のロンリー・シティ」(1962年) (クリックしてお聴きください)
大滝さんは、これをさらに発展させ「ナイアガラ・カレンダー」(1977年12月25日発売)収録の「想い出は霧の中」に仕立てました。
同曲のシンガーは、シャレで『 我田引水 “哀愁さうんど、歌謡曲同好会会長”』とクレジットされていました。
大滝さんにしてみれば、「霧の中のロンリー・シティ」を基に思いっきり歌謡曲に寄せて作って歌ったのが、「想い出は霧の中」だったわけです。
片や歌謡界では、遡ると、克美しげるが「霧の中のロンリー・シティー」を日本語詞でカヴァーしていました。
第1章で取り上げた「カランコロンの歌」の「♪ カラーン コローン カランカラン コロン」のコード進行が、この曲の前奏にも織り込まれている…。
それを体感しやすい編曲になっていると思います。(第2章の「空を飛ぶ恋」の前奏も“同じ”です。)
●克美しげる 「霧の中のロンリー・シティー」(1962年) (クリックしてお聴きください)
歌謡界ではその後、「霧の中のロンリー・シティ」が三木たかしによって「津軽海峡・冬景色」へ再生され(私見です)、それを歌った石川さゆりは昭和52年の紅白歌合戦出場を果たしました。
大滝さんは、その同じ昭和52年に「多羅尾伴内楽團 Vol.1」と「ナイアガラ・カレンダー」をリリースしつつ、「津軽海峡・冬景色」のヒットを横目で見ていたことになります。
「多羅尾伴内楽團 Vol.1」の注目すべき2曲のうち、もう1曲が「悲しき北風」です。
●カスケーズのジョン・ガモー「悲しき北風」(2017年、来日ライブ)(クリックしてお聴きください)
↑
動画の2:54~の部分です。
本ブログの 追悼 B・J・トーマス 「恋するカレン」の回の第6章 で取り上げたように、カスケーズの「悲しき北風」は、井上大輔によってシャネルズのデビュー曲「ランナウェイ」(1980年)に再生され、大ヒットを記録したのです。
「多羅尾伴内楽團 Vol.1」の中で自らが好きでセレクトした収録曲「霧の中のロンリー・シティ」や「悲しき北風」が、「津軽海峡・冬景色」や「ランナウェイ」になりヒットを飛ばすのを目の当たりにして、大滝さんは、こう意識したのかもしれません…。
選曲の目のつけどころはよい、あとは手さばき次第で大衆に支持されヒットに結びつくのだ、と。
そこで、大滝さんが次なる素材としてセレクトしたのが「霧の中のジョニー」や「空を飛ぶ恋 」で、それを歌謡曲寄りにトリートメントしてみせたのが「さらばシベリア鉄道」だったわけですね。
『 A LONG VACATION VOX 』のライナー・ブックで「さらばシベリア鉄道」について大滝さんは、
“自分の中では一番歌謡曲に近いのだと思います”
“歌謡歌手としての力量を試された最初の曲です”
と語っています。
ここで、第1章の、松本隆氏が明かした大滝さんからの依頼の言葉をもう一度、思い出してみます。
「スプートニクスがやりたいんだ、ロシアのイメージで」。
スプート二クスは北欧スウェーデンのバンドです。
では、なぜ“ロシアのイメージ”なのか…。
“ TOKYO 2020 ”の40年前、1980年はモスクワ五輪の開催年でした。
1979年秋からはアニメ「こぐまのミーシャ」が放送されたり、西ドイツのアーティスト・ジンギスカンによる「めざせモスクワ」が国内でもリリースされたりして、ナイアガラー世代の少年少女も当時、五輪イヤーが近づくのを感じていたものです。
1979年11月に発売されたバオバブ・シンガーズの「めざせモスクワ」は声優たちがヒーローに扮して歌う異色のカバーで、ランキング番組の上位を占めました。
バオバブ・シンガーズ「めざせモスクワ」新版
バオバブ・シンガーズ「めざせモスクワ」旧版
大滝さんは、まさにこの頃に声優バンドのスラップスティックへ曲を提供していましたから、バオバブ・シンガーズのヒットもご存知だったでしょう。
モスクワ五輪イヤーの1980年に発売するかもしれない「ロング・バケイション」の収録曲には、ヒットのためのファクターとして、歌詞に明確に“ロシア”のイメージを盛り込みたい…。
大滝さんはそんな風に考えたのかもしれません。
結果的には、1980年春に日本がモスクワ五輪のボイコットを決定。
一方、同年の7月から8月にかけて開催されたモスクワ五輪が閉会するやいなや、大滝さんは2カ月間中断していたロンバケ・セッションを再開し、お盆に「さらばシベリア鉄道」のオケを録音しました。
アルバム制作の進捗状況からリリースが年越しになるのを見越した大滝さんは、せっかく歌謡曲寄りに作った冬の曲 「さらばシベリア鉄道」を、モスクワ五輪の余波が残る年内、それも曲調に合わせた秋から冬に世間に披露したいと考えたのかもしれません。
はたして、その策とは…。
松本隆氏の書いた歌詞が“女言葉”だったので歌い心地が悪く、担当ディレクターが同じだった太田裕美に歌ってもらうことを思いついた、という有名な大滝さんの述懐は、半分は本音でしょうが、半分は建前だったような気もします。
太田裕美に「さらばシベリア鉄道」を提供したとしても、大滝さん本人のバージョンをお蔵入りやボツにする気はなかったでしょうから。
ひとまず、「さらばシベリア鉄道」は1980年11月21日に太田裕美のバージョンで世に出ました。
太田裕美「さらばシベリア鉄道」
彼女の冬の新曲として年内のリリースに間に合ったのですね。
オリコンチャートの最高位は70位と“ぼちぼち”でした。
「さらばシベリア鉄道」が大滝さんを、作曲家として初のシングル・チャート100位以内に送り込んだのです。
でも、大滝さんは、もう少しイケるはず…と思っていたかもしれませんね。
1981年10月21日リリースの「A面で恋をして」のカップリングに「さらばシベリア鉄道」を収録したのも、冬の歌謡曲としてなお一層、一般大衆に知ってほしいという、大滝さんの思いがあったからなのかもしれません。
“西部開拓劇” と “宇宙開発” と “オリンピック”。
すなわち、西を、空を、上を目指せという、野心と大志と向上心のエネルギーを詰め合わせたような楽曲「さらばシベリア鉄道」を、五輪期間中に聴いて、元気をもらうのも良いのかもしれませんね。
2014年3月21日、松本隆氏は、こんな言葉で大滝詠一さんにお別れを告げました。
北へ還る十二月の旅人よ。
ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。
私も北の空を仰いだとき、心の旅人になった大滝さんのことを思い起こすことでしょう…。
さて、思わぬ長期連載になってしまったロンバケ40th解説ブログですが、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
「ロング・バケイション」の曲たちが、10年後も20年後も聴かれ続けることを祈って、筆をおきたい、いや、ノート・パソコンを閉じたいと思います。
また、いつかお目にかかる日まで…。
New!
特別付録
「さらばシベリア鉄道」のフォロワーズ楽曲をここにまとめておきます。
あらためてお楽しみください。
●南野陽子 「風のマドリガル」(1986年) (クリックしてお聴きください)
↑
作詞:湯川れい子&作曲:井上大輔のお二人は、シャネルズの「ランナウェイ」を放ったコンビ。
編曲:萩田光雄は、太田裕美バージョンの「さらばシベリア鉄道」も手掛けていた。
大滝詠一バージョンの「さらばシベリア鉄道」がもともと好きだった南野陽子。
“その路線を”という彼女の希望が活かされたのが「風のマドリガル」だったと、
本人がラジオ番組で明かしていた。
太田裕美バージョンの「さらばシベリア鉄道」はレンジが狭かったが、この「風のマドリガル」は非常に音が良く、ソニーのレコーディング技術が数年間で著しく向上したのがうかがえる。
●日置明子 「 Scarlet 」(1995年)
↑
作曲は TM NETWORK の木根“エアー・ギター”尚登で、編曲は 清水信之。
清水信之は、たまに意図的にナイアガラ・サウンドをバリバリに意識したアレンジを放り込んでくるが、これが非常に良い。
ウィキペディアに掲載されていない清水信之のグッジョブをここでご紹介。
●トワ・エ・モア「空よ」(リアレンジ・バージョン) (クリックしてお聴きください)
●木根尚登「二人だけの海」(1997年) (クリックしてお聴きください)(偽モノラル)
●堺正章「忘れもの」(2008年) (クリックしてお聴きください)
●藤井隆 「モスクワの夜」(2002年)(音量注意)
↑(スマホからご覧になれない場合、PCで閲覧していただくとSpotifyで30秒試聴できます。)
↑
デビュー・アルバムの『ロミオ道行』に収録。
作詞は松本隆が担当。
『絵葉書』が登場したり『汽車で雪の原野を眺め』たり…、それなりに。
作・編曲は“大滝詠一リスペクト”の本間昭光が担当。
本間昭光は、本ブログの「君は天然色」編と「恋するカレン」編にも登場済み。
●吉澤嘉代子「美少女」(2014年) (クリックしてお聴きください)
↑
2014年のメジャーデビュー・アルバム「変身少女」のリード曲「美少女」でブレーン陣に「さらばシベリア鉄道」のエッセンスを込めたサウンド・プロデュースを授かった。
当時の彼女自身は大滝詠一も「さらばシベリア鉄道」も知らなかった。
●吉澤嘉代子「屋根裏」(2017年) (音量注意)
↑(スマホからご覧になれない場合、PCで閲覧していただくとSpotifyで30秒試聴できます。)
↑
その後、太田裕美バージョンの「さらばシベリア鉄道」を好きになった彼女が、オマージュ・ソングとして2017年春のアルバムで献上したのが「屋根裏」。
その年秋の「風街ガーデンであひませう 2017」で、吉澤嘉代子は「さらばシベリア鉄道」のカヴァーを披露するに至った。